20230828

竹取工学物語

主に竹にフォーカスし、植物を土木工学者の眼で見たらどう見えるか?それを主題にしている。

身の回りに、竹製品は多い。溢れかえっているとすら言える。それだけ竹は「使える」素材だと言う事だろう。

だが、その竹の「使い易さ」とは一体なんだろうか?その事については、今迄余り深く考えた事が無かった。


動物は周辺の環境が嫌になれば、移動して場所を変える事が出来る。だが植物は一度根を張ってしまえばそこの環境に順応せざるを得ない。

その点に目を付けて、筆者は動物を「機械」構造物。植物を「土木」構造物と思っていると言う。動力があり、陸や空を移動する自動車や飛行機は機械構造物であるし、その場から決して動くことのない橋やトンネルは土木構造物だ。

そうした土木工学者の視点から見ると、竹を始めとする、植物は、その場に適応する為に、非常に合理的な形状を持っている事が分かる。

著者はその合理性を、幾つかの数式を交えて、理系の眼で考察する。

例えば、竹の維管束は、外側に密に分布しているが、この構造は、竹自身が、自らの身体を支える上で、実に見事な配列である事が分かる。

鉄筋コンクリートの様に二種類以上の異なる材料を組み合わせた構造を「複合構造」と呼ぶが、竹は正にその複合構造物以外の何物でもないのだ。

そして著者の眼は、竹を乗り越えて、他の植物にも向かう。

そこに見出せるのは、光を求めて身体を大きくする事に適応した、各種植物の実に見事な合理性だ。

生物の合理的な形態を模倣し、様々な形で応用するという、所謂「生物形態模倣」をバイオミメティックスと呼ぶ。私はその事を、この本から学んだが、それは、古くから様々な人工物に用いられてきた手法だろう。

そればかりではなく、本書から学んだ基本的な概念は多い。

断面2次モーメントなどは、今迄、聞いた事もない概念であり、それを理解するのには、多少の労力を必要としたが、著者の分かり易い説明によって、腑に落ちる所迄理解する事が出来た。

ちょっとその気になって見回せば、世界は謎に満ち溢れている。そしてその謎は、少しの工夫で、合理的に理解する事が出来る。

その事は、いつもの事ながら、私にとっては大きな驚きに満ちている。

本書と出会う事によって、世界の植物はそれぞれに合理的な形態を保っている事を知った。またひとつ、世界が新しく見えて来た。

20230826

レオナルド・ダ・ヴィンチの源泉

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品についての、緻密な考察が繰り広げられている。

レオナルド・ダ・ヴィンチという人物は、幼少の頃から、何かと気になり続けて来た人物だ。だが、本書の著者田辺清氏程には、ダ・ヴィンチに関して、思い巡らしをしてこなかった。


田辺氏は、作品のひとつひとつに対して、その作品がダ・ヴィンチの真筆であるかどうか?作品に描かれている人物のモデルは誰か?と言った基本的な事柄についても、作品に残された走り書き、従来からなされて来た研究などを丁寧に採り上げ、具体的な論拠に基づいて、ひとつひとつ結論を導き出している。

著者の守備範囲は、ダ・ヴィンチの技法、様式から、様々な文学表現迄と、途方もなく広い。

論文の主題は多岐に渡るが、中でも著者の博士論文を元にした、レオナルド・ダ・ヴィンチの《自画像》についての、比較的長い論考が印象に残った。


有名な絵だ。

私はついぞ、この作品がダ・ヴィンチの自画像であるという事を、疑う事などして来なかった。だが、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究者の間では、この作品はダ・ヴィンチの自画像なのかどうか?ダ・ヴィンチの手によるものなのかどうか?などは、長年疑問に付されていたテーマらしい。

作品の技法が、ダ・ヴィンチのものとするには、拙過ぎるというのだ。

そう言われてみると、この「赤チョークによる老人の絵」は素描として、《聖アンナと幼い洗礼者ヨハネを伴う聖母子像》などと比べると、描き方が荒い。

だが著者は、レオナルド・ダ・ヴィンチが老年に至って、その利き腕である左手が麻痺状態にあったという証拠を見出す。《自画像》に見られる拙さは、それ故の結果であると言うのだ。

また著者は、ダ・ヴィンチの時代、及びやや時代が下った頃の文献から、ダ・ヴィンチの容貌を記したものを列挙する。

それらは《自画像》に見られる容貌と整合性がある。

それらを証拠として、著者は《自画像》のモデルは、レオナルド・ダ・ヴィンチ本人であると結論する。この辺りの議論の進め方は、極めて慎重であり、実証的だ。

この、議論に対する慎重さと、実証性は、他の論文にも共通する特徴だと読み取れる。それ故に、本書を通読した後に残る感動は、一種異様な迄の迫力を感じさせる。

本書の残念なところは、参照されている絵画、彫刻などの作品がいずれもモノクロである事だ。その為、私は作品の内、主要なものは、Webによる検索や、本棚にある画集を参照せざるを得なかった。

だが、本書は、論文にしては読み易く、お蔭で比較的短時間で読破する事が出来た。

読み終わって、レオナルド・ダ・ヴィンチという人物に対する姿勢を、改めて正す事が出来た充実感を感じている。

数多いダ・ヴィンチ論の中でも、質の高い論集だったと感じている。

20230824

カフカはなぜ自殺しなかったのか?

フランツ・カフカは結核で亡くなっている。自殺ではない。

考えてみると、これはとても意外で不思議な事だ。本書はその疑問を、カフカの日記や手紙を読解して行く事で、解き明かそうとしている。


カフカは何かと言うと、すぐに自殺を考え、口にしている。この事実は、私たちの持つ、カフカのイメージと、大変整合性を持っている。

彼は自殺する事を、常に意識しながら生きていたのだ。

本書のテーマははじめにに端的に記されている。

彼はどう生きて、なぜ自殺したいと思い、なぜ自殺しなかったのか?

カフカは周りの人々から、どの様に見られていたのだろうか?その疑問に、カフカの恋人ミレナはこう答えている。

あの人の本には驚かされます

でも、

あの人自身にはもっともっと驚かされます。

カフカの書いた本、例えば『変身』には、確かに驚かされる。朝、目が醒めたら虫になっていたという、最初の1行から、びっくりさせられる。しかもそれは、特別な出来事として描かれているのではなく、さも、当たり前の出来事の様に描かれているのだ。これに驚かされずに、どうしろと言うのか?

そうしたカフカの本以上に、カフカ本人にはもっと驚かされるのだと言う。どんな人物だったのか?

私たちは知らず知らずのうちに、この本の続きを読みたくなり、気が付いた時には、この本にどっぷりと引き摺り込まれている。

カフカの日記や手紙は、本人の願いとは裏腹に、残されているものは全て、今でも読む事が出来る。だが、それをする為には、全集と格闘しなければならず、しかもそれ故に、日記と手紙を別々に読まねばならない。

本書では、それらが年代別に並び替えられ、カフカの日記や手紙が持つ詩情を強調する為、分かち書きで紹介されている。

これはとても親切な事で、何よりもまず読み易い。

カフカはなぜ自殺しなかったのか?

その問いには、本書は、一定の結論には至っているが、明確には答えていない。微かに答えが仄めかされているが、明確なものではない。

その理由としても取り上げられている概念として、言語隠蔽というものが紹介されている。下手に言葉にする事で、言葉にする事が出来たものしか残らず、他の肝心なものが消え失せてしまうという意味だ。

言葉を用いて表現する者は、言葉に絶望していなければならないとも言っている。

この概念には、大きく肯けるところがある。

カフカは人生に絶望していた。だが、それ故に生きたとも言えるのではないだろうか?

自殺という則を、超える事を、敢えてしなかったのではないか?

この本は、カフカの生きた軌跡を追う事で、カフカをより理解する手掛かりを、読者に与えている。

カフカの日記や手紙、そしてカフカの研究書を、もっと読みたくなった。

或いはそれこそが、本書の狙い所なのかも知れない。

20230818

招かれた天敵

千葉聡『招かれた天敵─生物多様性が生んだ夢と罠』。

兎にも角にも著者の知識量の多さに圧倒された。薄からぬ本のどのページにも、多くの情報がみっしりと詰め込まれている。


レイチェル・カーソンはその著書『沈黙の春』で殺虫剤の大量散布により化学薬品で汚染され、命の賑わいが失われた世界の恐ろしさを、読者の脳裏に鮮烈に焼き付けた。

そこで登場したのは、天敵の導入による、生物学的な駆除法だった。問題はそれで解決される筈だった。当初の目論見では。

だが、現実にはその生物学的駆除法もまた、多くの困難や不都合を産み出してしまった。その事が、豊富な実例を引き合いに出しながら、丁寧に解き明かされている。

地球上の多様な生物たちは、長い地質学的時間を掛けて、その地に根付いている。だが、人間は欲から、その地質学的時間を無視して、遠い海外から特定の生物を自分たちのテリトリーに移植する。

問題が起こらない訳はない。

その問題を解決する為に、人はまた無茶をする。

この本にも書かれているが、成功は失敗の源とすら言えるのだ。物事は、最初のうちは巧く行っている様に見えるのだ。だが、長い目で見ると、その中に取り返しのつかない問題が潜んでいる。

その、失敗の実例の多くが、この本に記載されている。根本的な解決法はあるのか?それは、この本では明らかにされない。

現在、世界経済はグローバリゼーションの波に翻弄されている。

多くの生物種が、遠い海外を挟んで、頻繁にやりとりされている。その為の解決法も、多く提唱されているが、この本にある通り、抜本的な解決法ではない。

だが、この本でも、農業は基本的には可能であり、失敗は成功の源である事が記されている。要は私たちはまだ、生物学を少ししか知っていないという事なのだ。

私たちは多くの生物に依存して、存在している。ならばその生物について、もっと基本的な知識を獲得しなければ、ならない。

その基本的な作業は、まだ、始まったばかりだ。

20230808

向日葵

はっきりと憶えている。

‘79年の夏だった。私は妙に高揚した向学心に駆られ、西は島根県から東は丹沢山地迄のグリーンタフ地域を、闇雲に駆け巡っていた。

この年の経験が、後の私の人生を決めたと言っても大袈裟ではない。フィールドワークの充実だけではなく、その年に鳥取大で行われた地質学会で、タービディティー・カレントの実験を行った平朝彦さんの講演を、食い入るように見詰めていた。その事で、それ迄どちらかと言うと火成作用に傾きがちだった興味が、堆積学の方向に、大きく方向転換されたのだ。

私は日本全国のグリーンタフを叩き、記載し、考え、そしてまた歩くを繰り返していた。

当時の私は、矢鱈と体力があり、いくら歩いても、疲れるという事を知らなかった。山道を日速30km程のペースで、駆け巡っていた。

だが、嫌でも時は巡る。

私は後に自分のフィールドになる富士川流域の支流、福士川渓谷の調査を終え、ひとり身延線に乗り込んだ。

まだ冷房車など普及されている時代ではなく、富士駅に向かう上り列車の窓を全開にし、吹き込んで来る風の心地良さを全身で味わっていた。

井出駅を出発した後の事だった。

私は車窓から、大輪の向日葵が、その花を揺らしているのを見た。

その時、私は何故か、夏をではなく、夏の終わりを全身に感じ取ったのだ。


向日葵と言えば普通夏を代表する花であり、盛夏を感じても、何の不思議もない。だが、その時に全身を貫く様に、余りにも強く意識したのは、日本列島を駆け巡った’79年の夏が、今終わろうとしている、その事だった。

身延線の車窓から、一瞬だけ見えたその向日葵の姿は、何故か記憶に強く焼き付き、その詳細を、私は未だ明瞭に再現する事が出来る。

以来、向日葵は、私にとって盛夏の花ではなく、夏の終わりを告げる花となった。

向日葵の花は今年も咲いた。

今日も水銀柱はぐんぐんと上昇し、長野にも熱中症アラートが発令された。

だが、暦は知っている。今日は立秋。

本棚からアーダーベルド・シュティフターの『晩夏』を、そっと取り出した。

20230806

ACE

アンジェラ・チェン『ACE アセクシャルから見たセックスと社会のこと』。

言葉としては、私はアセクシャルという存在を知っていた。

だが、この世でアセクシャルであるとは、どういう意味を持つのかという様な事柄については、この本を読むまで無知だった。その事を素直に白状する。


対象が男であれ、女であれ、セックスを必要としない存在を、Asexual(エイセクシャル)と言い、その頭文字で省略してASEまたはACEと自称する事が多い。特に後者ACEはトランプの切り札と同じスペルであり、自らのプライドを込めて自称する場合、そちらの方が頻繁に使われる様だ。

性的な対象として、女でも男でもOKな存在をバイセクシャルというが、そうした存在があるのであれば、両方とも願い下げな存在もあり得るだろう。

私の中ではアセクシャルはそうした、論理的な帰結として認識されていた。

この本はそのアセクシャルである著者が、自らのセクシャリティーをどの様に自覚して来たのか?そして、それをどの様に守って来たのかを、他のアセクシャルな存在を含めて、記述した、貴重な論考になっている。

私はシスジェンダーの男性という、最もマジョリティな存在として、生きて来た。取り立てて自らのセクシャリティーを主張しなくても、これと言って抵抗を感じたことはない。

だが、性的マイノリティーとして生まれた場合は、そうは行かない。

筆者も、セックスを望んで当然とする社会の圧力に対して、自分はセックスを必要としていないのだという事実を、自らを含めて、納得してもらう事だけでも、多大な労力を費やして来た事を語っている。

その上で、様々な人間関係を深めてゆくには、どうあれば良いのか?

提起される諸問題は、複雑で解決困難な場合が多い。

例えば、単純な性抑圧とどう違うのか?

筆者はそれらを豊富な実例と、幅広い博識、鋭い表現力で丁寧に解説している。

私は大学時代、Sexuality研究会なる組織をでっち上げていた。元々Sexualityの問題には興味がある。だが、昨今のLGBTQ+の方々をはじめとする、性的少数者の問題を、十分に理解していたとは到底思えない。この本でも、目を大きく見開けたと感じるところが多い。

加えて、著者は名前からも分かる通り、中国系アメリカ人だ。そこにはインターセクショナリティーの問題も、当然の様に関わって来る。ACEという問題系は、人種問題と交差する事で、より解決困難になる。

世の中は複雑で微妙な問題だらけだ。

後半役者解説にもあるが、この本はショーン・フェイの『トランスジェンダー問題』と併せ読む必要があるのではないかと強く感じた。

20230805

タンネ

実は3日前からSSさんとの会話で知っていた。

日本橋浜町にタンネというパンの店があった(もう過去形にしなければならない)。パンと言えばイギリスパンとフランスパンしか無かった時代、ドイツパンという豊穣な世界がある事を、私もこのタンネで知った口だ。


そのタンネが今日5日で店を閉める。

HPを見るとタンネは93年に誕生したらしい。

これには少しびっくりした。

93年と言えば、私が森下に住み、最もタンネを利用していたのは、その頃ではなかっただろうか?

私は知らずして、開店直後のタンネに通っていた事になる。

タンネでの買い物は楽しかった。

パンの種類が実に多かった。硬めのお菓子のようなプレッツェルから、堂々とした食事パン、ブールまで、ドイツパンはそのヴァリエーションが豊富で、とてもではないが、全製品を制覇する事は、叶わぬ願いだった。

今でこそ、ちょっとした地方都市に行けば、どこにもドイツパンの店はあるが、93年頃には、ドイツパンを入手するには、このタンネに行かねばならず、質実共に充実した、貴重な店だった。

その為タンネでは、93年には既に、注文販売で、全国にドイツパンを届けるシステムが完成していて、森下を離れても、暫くはタンネからパンを調達していた。

だが、その後私の東京時代の拠点であった池袋(ここは知る人ぞ知るパン屋の宝庫だ)にも、ドイツパンの店が出来始め、店先で、実際にパンを見ながら、迷いながら購入する楽しさには叶わず、いつしかタンネからのパンの購入は止んでしまっていた。

HPによると、タンネのドイツパンのヴァリエーションは、200種類を超えていたようだ。さすがはドイツパンの開拓を担っていたパン屋だけの事はある。この豊穣さは他の店を、今でも圧倒していたと思う。

以来丁度30年間、タンネはドイツパンの世界を日本に知らせる、最先端の店の位置を保ち続けて来た。

閉店の理由はHPでは詳しくは分からない。それなりの理由があるのだろう。

タンネの閉店を知って、私はブールとひまわりパンを、密かに注文した。

これで私とタンネとの付き合いも終わりになる。私はタンネの始まりと終わりに、かろうじて付き合う事が出来た事になった。

タンネからのパンが、いつ届くのかは分からない。だが、届いたら、地元のドイツパンの店のパンと味を比べながら、じっくりと噛み締めようと思う。

私とタンネとの付き合いは、驚きと感動の連続だった。その終わりを、私は私なりの華やかな封印で飾ろうと思う。ドイツパンという世界を教えてくれたタンネへの精一杯の感謝を込めて。