アンジェラ・チェン『ACE アセクシャルから見たセックスと社会のこと』。
言葉としては、私はアセクシャルという存在を知っていた。
だが、この世でアセクシャルであるとは、どういう意味を持つのかという様な事柄については、この本を読むまで無知だった。その事を素直に白状する。
対象が男であれ、女であれ、セックスを必要としない存在を、Asexual(エイセクシャル)と言い、その頭文字で省略してASEまたはACEと自称する事が多い。特に後者ACEはトランプの切り札と同じスペルであり、自らのプライドを込めて自称する場合、そちらの方が頻繁に使われる様だ。
性的な対象として、女でも男でもOKな存在をバイセクシャルというが、そうした存在があるのであれば、両方とも願い下げな存在もあり得るだろう。
私の中ではアセクシャルはそうした、論理的な帰結として認識されていた。
この本はそのアセクシャルである著者が、自らのセクシャリティーをどの様に自覚して来たのか?そして、それをどの様に守って来たのかを、他のアセクシャルな存在を含めて、記述した、貴重な論考になっている。
私はシスジェンダーの男性という、最もマジョリティな存在として、生きて来た。取り立てて自らのセクシャリティーを主張しなくても、これと言って抵抗を感じたことはない。
だが、性的マイノリティーとして生まれた場合は、そうは行かない。
筆者も、セックスを望んで当然とする社会の圧力に対して、自分はセックスを必要としていないのだという事実を、自らを含めて、納得してもらう事だけでも、多大な労力を費やして来た事を語っている。
その上で、様々な人間関係を深めてゆくには、どうあれば良いのか?
提起される諸問題は、複雑で解決困難な場合が多い。
例えば、単純な性抑圧とどう違うのか?
筆者はそれらを豊富な実例と、幅広い博識、鋭い表現力で丁寧に解説している。
私は大学時代、Sexuality研究会なる組織をでっち上げていた。元々Sexualityの問題には興味がある。だが、昨今のLGBTQ+の方々をはじめとする、性的少数者の問題を、十分に理解していたとは到底思えない。この本でも、目を大きく見開けたと感じるところが多い。
加えて、著者は名前からも分かる通り、中国系アメリカ人だ。そこにはインターセクショナリティーの問題も、当然の様に関わって来る。ACEという問題系は、人種問題と交差する事で、より解決困難になる。
世の中は複雑で微妙な問題だらけだ。
後半役者解説にもあるが、この本はショーン・フェイの『トランスジェンダー問題』と併せ読む必要があるのではないかと強く感じた。
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