レオナルド・ダ・ヴィンチの作品についての、緻密な考察が繰り広げられている。
レオナルド・ダ・ヴィンチという人物は、幼少の頃から、何かと気になり続けて来た人物だ。だが、本書の著者田辺清氏程には、ダ・ヴィンチに関して、思い巡らしをしてこなかった。
田辺氏は、作品のひとつひとつに対して、その作品がダ・ヴィンチの真筆であるかどうか?作品に描かれている人物のモデルは誰か?と言った基本的な事柄についても、作品に残された走り書き、従来からなされて来た研究などを丁寧に採り上げ、具体的な論拠に基づいて、ひとつひとつ結論を導き出している。
著者の守備範囲は、ダ・ヴィンチの技法、様式から、様々な文学表現迄と、途方もなく広い。
論文の主題は多岐に渡るが、中でも著者の博士論文を元にした、レオナルド・ダ・ヴィンチの《自画像》についての、比較的長い論考が印象に残った。
有名な絵だ。
私はついぞ、この作品がダ・ヴィンチの自画像であるという事を、疑う事などして来なかった。だが、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究者の間では、この作品はダ・ヴィンチの自画像なのかどうか?ダ・ヴィンチの手によるものなのかどうか?などは、長年疑問に付されていたテーマらしい。
作品の技法が、ダ・ヴィンチのものとするには、拙過ぎるというのだ。
そう言われてみると、この「赤チョークによる老人の絵」は素描として、《聖アンナと幼い洗礼者ヨハネを伴う聖母子像》などと比べると、描き方が荒い。
だが著者は、レオナルド・ダ・ヴィンチが老年に至って、その利き腕である左手が麻痺状態にあったという証拠を見出す。《自画像》に見られる拙さは、それ故の結果であると言うのだ。
また著者は、ダ・ヴィンチの時代、及びやや時代が下った頃の文献から、ダ・ヴィンチの容貌を記したものを列挙する。
それらは《自画像》に見られる容貌と整合性がある。
それらを証拠として、著者は《自画像》のモデルは、レオナルド・ダ・ヴィンチ本人であると結論する。この辺りの議論の進め方は、極めて慎重であり、実証的だ。
この、議論に対する慎重さと、実証性は、他の論文にも共通する特徴だと読み取れる。それ故に、本書を通読した後に残る感動は、一種異様な迄の迫力を感じさせる。
本書の残念なところは、参照されている絵画、彫刻などの作品がいずれもモノクロである事だ。その為、私は作品の内、主要なものは、Webによる検索や、本棚にある画集を参照せざるを得なかった。
だが、本書は、論文にしては読み易く、お蔭で比較的短時間で読破する事が出来た。
読み終わって、レオナルド・ダ・ヴィンチという人物に対する姿勢を、改めて正す事が出来た充実感を感じている。
数多いダ・ヴィンチ論の中でも、質の高い論集だったと感じている。
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