フランツ・カフカは結核で亡くなっている。自殺ではない。
考えてみると、これはとても意外で不思議な事だ。本書はその疑問を、カフカの日記や手紙を読解して行く事で、解き明かそうとしている。
カフカは何かと言うと、すぐに自殺を考え、口にしている。この事実は、私たちの持つ、カフカのイメージと、大変整合性を持っている。
彼は自殺する事を、常に意識しながら生きていたのだ。
本書のテーマははじめにに端的に記されている。
彼はどう生きて、なぜ自殺したいと思い、なぜ自殺しなかったのか?
カフカは周りの人々から、どの様に見られていたのだろうか?その疑問に、カフカの恋人ミレナはこう答えている。
あの人の本には驚かされます
でも、
あの人自身にはもっともっと驚かされます。
カフカの書いた本、例えば『変身』には、確かに驚かされる。朝、目が醒めたら虫になっていたという、最初の1行から、びっくりさせられる。しかもそれは、特別な出来事として描かれているのではなく、さも、当たり前の出来事の様に描かれているのだ。これに驚かされずに、どうしろと言うのか?
そうしたカフカの本以上に、カフカ本人にはもっと驚かされるのだと言う。どんな人物だったのか?
私たちは知らず知らずのうちに、この本の続きを読みたくなり、気が付いた時には、この本にどっぷりと引き摺り込まれている。
カフカの日記や手紙は、本人の願いとは裏腹に、残されているものは全て、今でも読む事が出来る。だが、それをする為には、全集と格闘しなければならず、しかもそれ故に、日記と手紙を別々に読まねばならない。
本書では、それらが年代別に並び替えられ、カフカの日記や手紙が持つ詩情を強調する為、分かち書きで紹介されている。
これはとても親切な事で、何よりもまず読み易い。
カフカはなぜ自殺しなかったのか?
その問いには、本書は、一定の結論には至っているが、明確には答えていない。微かに答えが仄めかされているが、明確なものではない。
その理由としても取り上げられている概念として、言語隠蔽というものが紹介されている。下手に言葉にする事で、言葉にする事が出来たものしか残らず、他の肝心なものが消え失せてしまうという意味だ。
言葉を用いて表現する者は、言葉に絶望していなければならないとも言っている。
この概念には、大きく肯けるところがある。
カフカは人生に絶望していた。だが、それ故に生きたとも言えるのではないだろうか?
自殺という則を、超える事を、敢えてしなかったのではないか?
この本は、カフカの生きた軌跡を追う事で、カフカをより理解する手掛かりを、読者に与えている。
カフカの日記や手紙、そしてカフカの研究書を、もっと読みたくなった。
或いはそれこそが、本書の狙い所なのかも知れない。
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