20071116

無駄に忙しい

掲示板が復活してくださったのは嬉しいのだが、復活掲示板には以前になく、スパム書き込みが多い。

暫く接続不能になっていたので、その間にセキュリティー強化などメンテナンスが行われていたのかも知れないと、ほんの僅かに期待していたが、その気配は全くなく、むしろ、掲示板全体の管理に情熱が失われてきた事を感じさせる。

しかも、掲示板が復活した頃、チリで大きな地震があり、あれやこれやと調べたり、それを掲示板にまとめ、更に他の場所に日記を書いたりで、一銭の足しにもならないのだが無闇に忙しい。

掲示板が復活して、改めて、文章に臨む姿勢がBlogと全く異なる事に気付かされている。ひと言で言えばあまり構えずにメモ代わりにどしどし書いてゆける。

他の人から書き込みがあるとそれに反応すると言う形で自然にコミュニケートできる。

さて、Blog。意外と難しいなぁ…と感じているのだ。
ともすると自己中心的な文章が多くなる。

合気道をやっている方が、中心は自分にあるのではなく、相手と自分の接点にある、と言うような事を書かれていた。
文章に当てはめてみれば、Blogにモノを書いているのはわたしだが、その文章が純粋に自分にしか興味のないシロモノであるとすれば、つまらない事おびただしい。

面白ければいいのか?

そうは思っていないのだ。今読んでいる本もややこしい事この上なく、ワクワクもしないし、ドキドキ、ハラハラもしない。時々自分の読解力のなさに頭を抱えたりする。
ひと言で言えば面白くない。だが、有益かも知れない(努力して読解した本が、あまり大した事ないと悲しいが)。

自分中心的な文章は面白くない上に有益でもない。それだったら公開せずにしまいこんでおいた方がよい。

わたしの文章も相当自己中心的なのだろうなぁ…。時々そう思う。今のところ、このBlogにはひとつもコメントが付いた事がない。

今もまた、BlogについてBlogに書くという、謂わばメタ・ブログ的な文章を書き連ねている。

悩んでいるのだ。
自動的に対話が成り立ちにくいBlogという形式で、どの様にしたら文章と言う自分と相手との接点を接点にしていったらよいのだろう?

比較的簡単なのは、何らかの社会問題などに特化したBlogにしてゆけばよい。読者を狭く限定すると言う戦略だ。
このやり方をすると、自分自身が何かやっている人になったようで、それなりに満足感も得られるだろう。

いや、自己満足を軽視している訳ではない。自己満足は自分の満足なのだから、しっかりと味わった方が良い。

しかし、困った事にわたしはそれだけでは満足できない性質らしい。

更に、○○問題に強い関心を持っています。で、他人とつながり合えるという幻想はもはや持ち合わせていない。
何事かを思いのまま書いたことが、きわめてユニークなものになるほど、物事も知っていない。

何でもない人間であるわたしが、公開される日記と言う読者を特定しない長い手紙を書いてゆくとは、一体どの様なものであるべきなのだろうか?

いつまでもメタ・ブログばかりでは何の発展もないので、この手の日記は…うーん、あまり書くべきでないだろうけれど、多くなりそうな気配もあるなぁ…。困ったことだ。

2 件のコメント:

Jasmine さんのコメント...

お久しぶりです。

どういうブログにするか。
それはいけださんが何を求めているかによるのではと思います。
不特定多数の読者にメッセージを発信したいのか。
つながりがほしいのか。
出会いがほしいのか。

最近読んだ雑誌は、ウェブ上で似たような意見を書いていた人たちが会って始めたものでした。そういう出会い方が今はあるんだなと思いました。

個人的には、情報発信型のものも、日々の記録的な軽いものも両方好きです。その人が分かってくるものがいいですね。(Jasmine)

今気づいたけれど、このブログはアカウントを持っていないとコメント投稿できないんですね。

IKEDA Yutaka さんのコメント...

読んで下さってありがとうございます。励みになります。

そうなんですよ。googleアカウントを持っていないとコメントできない。
わたしも長い間、知らなかった。

多分、荒らしを防止するためだと思います。

「何を求めているか」それが問題なのですよね。

このBlogは日記的な正確を持たせてあるため、不特定多数に向けて自分を知って貰いたいという欲求が、わたしにはあります。

けれどねぇ…そのわたしと言う人間がもう少し、魅力的な人間だと良いのですが…

結局わたしという人間が何を求めて生きているか?という問題になると思うのです。

それは、今のところ模索中です。

初めてのコメント。重ねてありがとうございます。