20240127

天の魚

─第三部 終─

昨日、2024.01.26 20:26私はこの行を読み終えた。第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』、第3部『天の魚』。昨年末から続けて来た、石牟礼道子『苦海浄土』三部作を、読み切ってしまった瞬間だった。

『天の魚』最終章「供護(くご)者たち」は長かった。だが、私の中で、この章はもっと長くて良いという思いが生まれていた。『苦海浄土』と伴にある時間が、もっと長く、出来れば永遠に続いて欲しいとする願いだった。


第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』とは違って、第3部『天の魚』は、水俣の病者たちと加害企業「チッソ」との交渉が描かれていた。

それは単なる公害交渉では、決して無かった。文字通り血飛沫が飛ぶ「死闘」だった。

水俣を企業城下町としてきたチッソ。病者たちは、故郷の水俣で、手厚く扱われていたのではない。チッソと死闘を繰り広げる病者たちに、加えられる相次ぐ妨害、中傷。彼らはそれとも闘わなければならなかったのだ。

そして、微妙に擦れ違う、支援者たちとの溝。

著者石牟礼道子は孤立する病者たちと、常に伴にあった。

石牟礼道子が、彼らと伴に歩む事がなかったら、水俣病はこれ程の深い意味合いを持つことはなかっただろう。

昨年末に第1部『苦海浄土』と第2部『神々の村』を読んだ後、図書館の都合で暫く間が空いた。だがその間も私は常に『苦海浄土』を意識して生きざるを得なかった。

石牟礼道子に釜鶴松の魂魄が棲みついたように、『苦海浄土』は私に取り憑いた。

それは今回に限った事ではなく、最初に『苦海浄土』を読んだ頃からそうだったのではないかと、今回読み終えて思った。

私は決して病者の方々と常に伴にあったわけではない。

だが、石牟礼道子の言の葉に導かれて、病者に寄り添うとは、どんな心構えなのかを、常に考え、模索し、辿り着いてはまた見失いを繰り返して来た。それは永遠に続くかのような、長い旅だった。

ふと思う。近年、特にこの2年間程の間で、社会は水俣病を、急速に見失い続けて来たのではないだろうかと。

それは風化と呼ぶにも程遠い、むしろ忘却と呼んだ方が正確なのではないかと思う程の見失い方だ。

私もそうだった。日常的に増え続ける気に掛かる問題たち。それについて考えるのに忙しく、私もつい、水俣病の事を考えるのを止めていた。

『石牟礼道子全集不知火』を全巻読破したい。昨年その思いが募った。なぜ石牟礼道子だったのか?それはもう思い出せない。

多分私は、石牟礼道子の魂に呼ばれたのだと感ずる。

水俣病を忘れつつある私を、石牟礼道子は的確に見抜き、私を『苦海浄土』三部作の世界に引き摺り戻してくれたのではなかろうか?

そう思ってしまう程に、今回この瞬間に『苦海浄土』三部作を読み終える事が出来たのは、私にとって幸運な出来事だったと思える。

『苦海浄土』三部作を読破して感じたのは、『苦海浄土』という作品は、三部作で初めて完結する作品だという事だ。どれも無駄がなく、必要不可欠な作品であり、三部作それぞれが互いに響き合い、それら全てが寄り添い合って初めて完結する。そうした作品になっている。その事を強く感じさせられた。

全集を選んだのも正解だったと思う。第三巻はこの後「『苦海浄土』をめぐって」という段が続く。私はもう暫くの間、『苦海浄土』と伴に生きる事が出来るのだ。

そして多分、この後ずっと、『苦海浄土』は私の意識の中にあり続けるだろう。

『苦海浄土』三部作とはそうした作品だ。

20240123

魂の秘境から

石牟礼道子最晩年のエセーとも日記とも判別が付かない遺作。だがそこには彼女の確かな肉声が響いている。

そしてその肉声は、ひと作品毎に挿入されている芥川仁の写真と響き合い。書物自体が作品である様な、見事な著作に仕上がっている。

石牟礼道子は2018年2月10日に逝去されている。本書には、著作の掲載された日付が付されており、最後の作品には2018年1月31日と記されている。本当に最後の最後迄、石牟礼道子は著作に取り組んでいたのが分かる。

そして驚くのは、その作品の質が、最後迄極めて高い水準を保っている事だ。文章に衰えは全く感じられない。

それは折に触れ描かれる子ども時代の回想に迄及び、90歳という年齢を全く感じさせない鮮明さで、遠い過去の記憶が語られている。

それら幼年期の記載を辿ると、石牟礼道子という存在が、最初から異界に棲んでいたと思わざるを得ない不思議な感触を得る。


その感触は、近代を厳しく拒絶している。

「原初の渚」にはこうある。

海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。 
水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。

石牟礼道子が魂と書くとき、そこには深く透明な意味が宿る。決して軽々しい言葉ではない。

本書を読んでいて、あ、と思った箇所がある。

花に酔ったのだろうか。「椿の花になりたい」と思った。それは幼いながら切実ともいえる思いで、畑仕事の手を休めた母にはどうしても伝えたい。けれど、そう願うばかり、そのころのわたしの内には、言葉というものがまだ生まれていなかったのである。言葉の出ない歯がゆさというものを覚えたのは、その時のことであったろうか。

彼女の最初の記憶なのだろうか?

その中に言葉の出ない歯がゆさと言う語句を発見して、私ははっとする。

石牟礼道子は生涯、その歯がゆさと格闘していたのでは無いだろうか?それ故に彼女が魂と書くとき、その語には魂が宿るのでは無いだろうか?

決して器用な書き手では無かった。『苦海浄土』を書き終えた時には、片方の視覚と聴覚を失っていたと聞く。石牟礼道子はまさに、全身全霊を賭けて、身を削りながら、数多の作品をこの世に産み出して来たのだと思う。私たちはそれ故に、彼女の作品から、途方もない深みと高みを授かることが出来るのでは無いか?

石牟礼道子の遺作である本書を読んでいて、彼女が最後迄、水俣病の事に触れていた事に、私は静かな、けれど強い感動を覚えた。石牟礼道子は最後の最後まで水俣病の作家であり続けたのだ。揺るがない、確かな、気高さがそこにある。

20240121

過去を復元する

地質学を専攻して来た。当然過去を復元する事には、強い興味がある。古生物を経由して、進化論にも強い関心を抱いて来た。

なので、名著の誉高きエリオット・ソーバーの『過去を復元する』が復刊されると聞いて、即座に購入した。

けれどどことなく敷居が高く感じられて、今迄手に取る事はなかった。図書館から借りている本が少なく、全て読了してしまったので、これはチャンスだと感じて、今回思い切って読み始めた。


予想していた以上の数式の嵐だった。

だが、慣れとは恐ろしいもので、そのうちに数式の持つ意味が分かり始めると、展開する毎に変化してゆく意味合いのダイナミズムに、快感すら感じる様になった。

本書は系統学を、哲学の立場から切り込んでいる。

推論の原則として、最節約原理と呼ばれるものがある。

世にオッカムの剃刀として知られる原理で、仮説を設定する場合、その仮説は複雑なものより、単純なものの方が真理に近いとする原理だ。

プトレマイオスの天動説は、当時の観測精度の範囲では、ほぼ十分に現象を説明していた。だが、コペルニクスの地動説は、天体の運動を、より単純に表現する事が出来る。軍配はコペルニクスに上がる。

だが、この最節約原理、一体どの様な論理的基盤を持っているのだろうか?

エリオット・ソーバーはこの難問に、論理哲学の方法を駆使して、大胆に取り組んでいる。

その論理形態は緻密で、文の一行、数式のひとつでも読み飛ばすと、滑り落ちてしまいそうなスリリングな筆致を有しており、私は予想していた以上の、知的冒険に晒される事になった。

結論から言うと、オッカムの剃刀は、数学的な検証をしてみると、それ程万能な道具ではないようだ。

これは思い掛けない結論だった。

最節約原理は、経験からは十分に信頼出来、進化の分岐図を描く時など、私もいつものように使用して来た。だがホモプラシーが成立する様な場面では、最節約原理では、説明がつかない分岐図が採用される可能性があると言う。

本書はその事を言う為に、1冊を丸ごと費やしたと言っても過言では無い。

言葉を変えれば、エリオット・ソーバーは、最節約原理をポパーの反証理論や検証度理論に結び付けるのではなく、むしろ統計学で影響力を増しつつあるモデル選択論を踏まえた際節約基準の正当化を目指していると言う事になるのだろう。

翻訳は三中信宏さん。論者の名前や基本的概念が原語で示してあったり、注釈・訳註が巻末ではなく、そのページに示してあったり、丁寧で読み易い翻訳になっていた。

本書には、数式だけでなく、理論哲学の様々なパラドクスも紹介されている。それ等読み知る事だけでも、本書を読む価値がある。

巻末の訳者あとがきや、訳者解説が付けられているのも有り難かった。本書の全体像、20年前に発表されている本書の現代的価値などは、ここから教えられた。

進化論に興味を持つ人には、必読の書と言えると思う。

20240116

四つの未来

始まったばかりだが、今年読んだ最もショッキングな本になる予感が強くある。

資本主義が限界を迎えつつある。それを指摘する本は数多ある。だが、それでは資本主義の次に来る社会は何か?と言う問いに十分な説得力を持って展望している本は少ない。

本書はその少ない本の中でも、最も説得力とリアリティを持った本のひとつに数えられるだろう。


本書では、既に資本主義の限界を強く訴えない。それは既定の事として、認識されている様に思う。筆者が現代の問題として挙げるのは、エコロジカルな破局と自動機械(オートマトン)の隆盛と言う事実(!)だ。その上で筆者は資本主義後の社会として、コミュニズム、レンティズム、ソーシャリズム、エクスターミニズムの四類型を挙げている。つまり資本主義後の世界として、ふたつのユートピアとふたつのディストピアを想定しているのだ。

だが(筆者が「結論」で強調している様に)この著作は未来予測(フューチャーリズム)の試みではない。

何故ならば、そうした予言と言うものは、これまでに相当外れてきたし、それだけではなく、予言は、宿命のオーラを醸し出し、それによって私たちを傍観者にし、運命を受動的に甘受する様に促してしまうからだ。

本書がひとつの未来ではなく、四つの未来を描いた理由は、自動的に起きる事など何もないと言う事を示す為だと言う。前途を定めるのは、私たち自身なのだ。

本書を読めば、レンティズムとエクスターミニズムが悪の側、ソーシャリズムとコミュニズムが善の側の希望を表現していると考えるだろう。だが、これらのどれもが純粋な形態で可能であることはない。端的に、歴史はそうするには余りに複雑なものだからだ。そして、現実の社会は、いかなる理論的モデルのパラメーターを超えている。

それ故、私たちは最終的な目的地の正確な性格よりも、こうしたユートピアやディストピアに向かう過程に特に関心を寄せるべきなのだ。とりわけユートピアに向かう道のりは、必ずしもそれ自体がユートピアではないが故にそうなのだ。

豊かさと平等の世界への移行は、波乱と抗争に充ちたものになるだろう。富裕層が自らの特権を自発的に手放す事がない(その可能性の方が大きい)とすれば、実力で没収せねばならないのだが、そうした闘争は双方の側に、悲惨な結果をもたらす可能性がある。フリードリヒ・ニーチェが有名なアフォリズムに於いて述べたように「怪物と闘う者は、そのため己自身も怪物とならぬよう気をつけるが良い。お前が永い間深淵を覗き込んでいれば、深淵もまたお前を覗き込む」。

だが筆者が四類型を提出する中で、エクスターミニズム(絶滅主義と訳せば良いだろうか?)の記述が持つ、既に始まっているのではないか?とすら思わせる、切羽詰まるようなリアリティは何なのだろうか?

繰り返しになるが、本書は読者に対し、歴史の傍観者になる事を、強く拒否するよう促す。現在進行中の資本主義の崩壊を傍観しているのならば、その後に訪れるのは、エクスターミニズムのそれに他ならないのだ。

本書は未来を建設する上で、読者にその主体である事を強く促している。私はそのメッセージを、確かに受け取った。決して心地よくはない、本書の読後感と共に、その決意は強くある。

20240112

ソース焼きそばの謎

ソース焼きそばは私の得意料理のひとつに数えられる。

と言うより、ソース焼きそばは誰にでも手軽に作ることが出来る軽食として存在しているのだろう。焼きそばと言えばやはりスタンダードはソースであり、決して塩や醤油ではない。

ところで、そのソース焼きそば。いつから存在しているのだろう?


この本に出逢う迄、私はそんな事を意識すらせずに、当たり前に存在する料理として、ソース焼きそばを食して来た。

その謎に、敢然と立ち向かっているのがこの本である。

ソース焼きそばは大阪。それも戦後に誕生したという説をどこかで耳にした事がある。その説にも、本書は触れている。それによると、それは広く行き渡っている俗説であり、どうやら間違いであるらしい。

本書によると、ソース焼きそばの発祥を突き止めるのは、かなり困難な作業であった様だ。

筆者は、幅広い文献、詳細な聞き込みを軸として、時には大胆な仮説を交えて、この謎に挑んでいる。

それによると、焼きそばはお好み焼きの一種として、醤油ベースのソースを用いた、子ども相手の食べ物として誕生したらしい。それがやがて、安価なウスターソースを用いる様になり、現在のソース焼きそばに近づいていったものだと言う。

発祥については、決定的な文献は存在せず、聞き込みや状況証拠を積み重ねる事で、浅草の千束町にあるデンキヤホールと言う店で、大正初期から提供されていたらしいという結論に至る。

その結論に至る経過は、一流の推理小説を読む様なスリリングな筆致が冴える。

状況証拠として面白かったのは、日清製粉の前身である館林製粉が、群馬県館林市で明治33年に創業を開始するのだが、それが東武鉄道の開設とほぼ時を同じくしており、館林から浅草への小麦粉の運搬に大きく影響したと言う点だ。

ソース焼きそばに、小麦粉は欠かせない。その運搬の便が、浅草で整っていたと言う事実は、ソース焼きそば浅草発祥説に大きな傍証となる。

だが、ソース焼きそばが全国的に広まり、隆盛を誇る様になったのは、やはり戦後の事らしい。当初小麦粉は国産のうどん粉と、アメリカ産のメリケン粉に分かれており、メリケン粉は、輸入に頼るしか無かった。これが緩むのは、アメリカ産のメリケン粉に、関税が課される様になってからであり、特に戦後は、闇市を中心に、供給されていた様だ。

ソース焼きそば大阪起源説を否定する、ひとつの材料として、関西では、焼きそばの元になる中華麺がなかなか手に入らず、戦後も焼きそばではなく、焼きうどんが主流であったという事実がある。

本書によると、長野県は北海道と並んで、ソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばが主流な特殊な地方として挙げられている。あまり外食をしないので、詳しくは知らないが、以前住んでいた住宅の隣にあった中華料理店では、確かにソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばを提供していた。

筆者は、「焼きそば名店探訪録」と言うブログを公開しており、そこに筆者自らが足で訪ね歩いた全国の焼きそば、焼きうどんの記録が残されている。

東日本大震災で、東北の主だった焼きそば店が無くなって行くのに気付いたのが、このブログを始める動機だったらしいが、焼いた粉物に賭けるその情熱の半端なさは、本書でもブログでも遺憾無く発揮されている。

本書を読み終えた日、昼食にソース焼きそばを食べた。それはいつもの味の普通のソース焼きそばの筈だったのだが、本書で様々な知識を得て、それを元に味わうと、ソース焼きそばが経験してきた100年の歴史が、我が家にたどり着いたような気になり、格別の味わいを持っているような気がした。

面白い本だった。

20240109

私たちはいつから「孤独」になったのか

孤独には強い方だ。そう思って生きて来た。

学生時代は、独りで安下宿に沈殿し、地質学の勉強や、楽器の練習に勤しんでいた。それらは、安易な友人関係に流されるより、孤独を飼い慣らし、むしろ愛していなければ、到底実現出来ない、自己鍛錬だった。

今でもやりたい事は幾つも抱えている。私には孤独な時間が何よりも大切なものだと確信すらしていた。

そんな私がこの本に手を出したのは、この本の原題が “A Biography of Loneliness”直訳すれば「孤独の来歴」と記されていたからだ。


孤独について語る本を、孤独を愛する私が読んだらどんな感想を持つのだろうか?そこに興味があった。

日本語で孤独と訳し得る英語は幾つかある。

ひとつはこの本で主に採り上げるloneliness。他にはoneliness, solitude, isolationなどが挙げられるだろう。

それではlonelinessとsolitudeはどう違うのか?

改めて考えると即答は困難だ。

この本でもlonelinessを孤独、solitudeをソリチュードと訳している。

本人が望まない、主観的に欠落感や喪失感を伴うものをlonelinessと定義しているようだ。

そう考えると、私が飼い慣らし、愛して来た孤独なるものはlonelinessではないようだ。むしろただひとりでいることを意味するonelinessの方がしっくり来る。もしくは正しい意味でのsolitudeか?

私が孤独に対して、超然としていられたのも、私が孤独つまりlonelinessを経験した事が無かったからだとも言えるのではないか?

Lonelinessという言葉の歴史は、この本によるとかなり浅い。それが前景化されるのは、少なくとも19世紀を待たなければならない。

そしてその概念はジェンダーやエスニシティ、年齢、社会的経済的地位、環境、宗教、科学などによって異なる経験であるとされる。

私は今、妻帯者であるが自分の子どもはいない。もし仮に、女房殿に先立たれたら、私は即孤独な状態に陥るだろう。

もはや音楽や地質学は、私の人間関係を保つものではなくなっている。私はそれでも孤独に対して、超然としていられるのだろうか?私が愛した孤独solitudeについても、この本は1章を費やして、論じている。孤独が贈り物(ギフト)である場合もあるが、それは、その孤独が自分から望んだものであり、一時的なものであるからだと記している。

安下宿に沈殿して没頭していた地質学や音楽は、やがてそれを用いて、人間関係を形成する事が可能な営みだった。そこには欠落感や喪失感はなく、むしろ充実感があった。私が愛して来たのは決してlonelinessでは無かったのだ。

孤独の解消の手段として、ソーシャルメディアがより大きな役割を果たすだろうという指摘は当たっていると思う。

2018年一月、イギリスのメイ政権は、孤独担当大臣まで設置した。

孤独(loneliness)という病理はもはや、社会問題として認識された、一大課題にまでなっているのだ。