20180525

『ノー・マンズ・ランド』

ダニス・タノヴィチ監督の映画を観るのは2作目だ。

カメラワークもカット・構成もしっかりと手慣れており、前に観た『鉄くず拾いの物語』の、いかにも拙い手つきが、意図的な反演出志向に基づいて選択されたものだったことが、改めて確認出来た。

『ノー・マンズ・ランド』はボスニア・ヘルツェゴヴィナの紛争が深刻だった1993年当時の戦場を舞台にしている。

ボスニア軍の交代要員8人は、闇に紛れて前線へ移動していた。しかしその日は霧が深く、兵士たちは道に迷ってしまう。

夜が明け視界が開けると、彼らはセルビア陣地に入り込んでいた。
セルビア軍の容赦ない攻撃により6人は即死状態だったが、チキとツェラは中間地帯にある無人の塹壕付近まで逃げる。しかし砲撃によりチキは塹壕の中へ、ツェラは塹壕の外に吹き飛ばされる。

セルビア陣営の老兵と新人兵のニノは偵察を命じられ、塹壕へ向かう。塹壕内ではチキが生き残っており、2人の様子を伺っていた。老兵は塹壕内にジャンプ式の地雷を埋め、その上に意識のないツェラを寝かせる。地雷はツェラを動かすと爆発する仕組みになっていた。

チキは隙を狙って2人を銃撃する。老兵は即死したが、ニノは生き残る。チキはニノを裸にして塹壕の外で白いシャツを振らせる。セルビア軍はニノがどちらの兵士かわからないまま砲弾を打つ。
その音でツェラが意識を取り戻す。しかしツェラを救うには背中の下の地雷を処理してもらうしか方法がない。

チキとニノは互いを牽制し合いながらも、協力してこの状況を打開することにする。今度は2人で裸になって外で白いシャツを振る。両陣営は対応に苦慮し、国連防護軍に連絡する。

連絡を受けた国連防護軍フランス兵のマルシャン軍曹はサラエボ本部のデュボア大尉から上官と相談するので待機するよう命じられるが、命令を無視してすぐに動き始める。まずは両陣営の検問所へ銃撃しないよう要請に行く。

デゥボラ大尉はソフト大佐に相談するが、大佐は防護軍の任務は人道援助であり国連決議が出ないと何もできないと苛立つ。つまり面倒なことには関わるなということだった。

現場のマルシャン軍曹はすでに塹壕まで行き、チキたちと接触していた。しかし本部は地雷処理班の出動を拒否し、すぐに帰れと命令する。軍曹はせめてチキとニノを連れて帰ろうとするが、チキはツェラを見捨てないと言い張り、防護軍と行こうとしたニノの足を撃つ。ニノがいなくなるとセルビア軍から攻撃される可能性があるためだ。防護軍は結局3人を塹壕に残して帰ってしまう。

帰ってきたマルシャン軍曹をテレビカメラとリビングストン特派員が待ち構えていた。テレビ局は無線のやり取りを傍受しており、国連は彼らを救助しないのかと詰め寄る。彼らを助けたいと思っている軍曹はこの状況を逆手に取り、上官に再度3人の救出を願い出る。

テレビではボスニアの中間地点で数名が立ち往生しているというニュースが流され、動かざるをえなくなったソフト大佐はヘリで現場へ向かう。さらにデュボア大尉も現場へ赴き、ドイツ兵の地雷処理班が呼ばれる。防護軍と多くのマスコミが中間地帯に移動する。

塹壕内のニノは足を撃たれたことに腹を立て、ナイフでチキを刺し殺そうとする。ニノは防護軍に取り押さえられるが、2人の憎しみの感情はマックスに達していた。

ツェラの下にある地雷を確認したドイツ兵は、このタイプの地雷は一度仕掛けると処理が出来ないと言う。マルシャン軍曹たちが途方に暮れている中、ソフト大佐がヘリでやってくる。話を聞いた大佐はマスコミに向けて作業をするフリだけすればいいと指示する。

チキとニノの見張りを命じられていた若い兵士は、騒ぎに気をとられ2人から目を離す。その隙を狙ってチキは銃を拾いニノを撃とうとする。チキは殺到してきたマスコミに向かって“お前らはみんな同類だ、俺らの悲劇がそんなに儲かるのか”と怒りをぶつける。ニノは兵士の銃を奪いチキを撃とうとして、チキに撃ち殺され、チキは兵士に射殺されてしまう。

大佐は地雷処理が終了したと大尉に芝居をさせ、防護軍を引き揚げさせる。さらにマスコミに対して改めて記者会見をすると約束して、彼らを退去させる。マルシャン軍曹も最後には諦め、塹壕内の身動きの出来ないツェラだけが取り残される。


この映画は笑いとメッセージを両立させるという、映画では決して容易ではないことを実現している。

諷刺される対象は四者ある。まず互いに敵を罵倒しつつ慌てふためく両軍2組が皮肉られる。
次いで国連という組織のほとんど存在論的な欺瞞が思い切りあてこすられる。
ここで国連上層部はひたすら世評をおそれていて、メディア対策のために中間地帯への救助出動を許可し、またそれを恣意的に取り消す。
最後にニュースメディアが嘲笑される。かれらも視聴者の反応と局内での評価に隷従し、取材後はもはやニュース価値がないと考えて塹壕のなかを確認しないまま引き上げてしまう。

人びとが戦場から去ったあと、塹壕では兵士ツェラだけがたった一人、除去不能の地雷を背に敷いて横たわったまま取り残されている。もはや誰も彼を助けることはない。世界の愚かしさに向けて叩きつけたメッセージは明確だった。


こうして、わかったふうなことを言っている私も、「世界の愚かしさ」の中に含まれているのだ。勿論。そしてそれが故に、この映画を観て、とても混乱している。

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