ハンナ・アーレントの『新版 全体主義の起原』を読み続けている。昨年の9月からなので、もう8ヶ月も、この本に掛かり切りになっている。
読んでいて痛切に感じるのは、自信があった筈の世界史の知識量が余りに貧弱だという事実だ。改めて学び直す必要性を感じている。
特に第1次、第2次、両世界大戦の知識が足りない。
それを補う意味も含めて、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』を選んだ。全体主義を、それに対抗した勢力はどの様に見ていたのか。それを知りたくもあった。この選択は正しかった。
名宰相ウィンストン・チャーチル。だが、就任当時、彼は政界一の嫌われ者だった。
度重なる失政、所属政党をコロコロ変える変身ぶり、四六時中酒を食らい、葉巻をくわえ口を真一文字にし、猫背で青白い顔で睨み付けるように視線を送り、口を開けば何かと攻撃的に話す。
そんな男がどの様に後のヨーロッパを、いや世界をヒトラーの野望から救うに至ったのか?この映画は、その裏側を、チャーチルの首相就任前夜から、ダンケルクの戦いを決断するまでの27日間を日付を追いながら、丹念に描いている。
1940年5月、ナチス・ドイツがヨーロッパで激しく進攻する中、国民の信を失っていたチェンバレンの首相退陣は必至になっていた。後継首相として、まず白羽の矢が立ったのは外相ハリファックスだった。しかしハリファックスは貴族である自分は首相になれないとして、固辞。「野党が認めるのはひとりしかいない」というチェンバレンの言葉に、誰もがある人物を思い浮かべ「最悪の選択だ」と顔を曇らせた。嫌われ者ウィンストン・チャーチルである。
こうして首相に就任したチャーチルは5月13日組閣の為集められた議員たちを前に、初の演説を行う。チャーチルは熱弁を揮うが、保守党からの反応はなく、またチェンバレンとハリファックスからは演説に「平和」と「交渉」のワードが入っていないと不満を述べられる。5月19日チャーチルは国民に向かってラジオで演説をする。翌朝、官邸前で掌を内向きにしたVサインをするチャーチルの写真が新聞の1面を飾った。新任のタイピスト、エリザベスは、この逆Vサインは、庶民の間では、「クソ食らえ」の意味だとチャーチルに教え、正しいVサインを教授する(実話らしい)。笑うチャーチルのもとに国王から電話が入る。「国民には正しい情報を伝えねば」。彼の演説は、イギリスが勝っているような勢いがあったのだ。散々な船出となった。
5月25日、ドイツ軍は英・仏・ベルギーの60師団を包囲。英国軍はフランス・ダンケルクの海岸まで撤退し、孤立状態になっていた。兵士30万人が包囲され、救出の術も無い。「つまり数日のうちに陸軍をまるまる失う」危機が迫っていた。
カレーに4千人の守備隊がいると聞いたチャーチルは、この部隊を東に向かわせドイツ軍を引きつけ、その間にダンケルクの兵士たちを海路で脱出させる作戦を思い付く。30万人を救うために4千人を犠牲にするのだ。
犠牲を回避したいハリファックスは「イタリアが和平交渉の仲介を申し出てきた。大英帝国の主権が保障されるなら考慮すると答えた」と言う。チャーチルは「わが国をヒトラーの支配下に置けと?」と激高する。
ハリファックスやチェンバレンとの合意が見出せないチャーチルは、アメリカのルーズベルト大統領に兵士救出のための軍艦を譲って欲しいと相談するが、断られてしまう。誰ひとり、味方がいないチャーチル。この時期が原題であるDarkest hourそのものだったのだろう。
ある時、地図を見ながらチャーチルはある作戦を思い付く。ボートでも小型船でも、フランスまで辿り着ける民間の船を召集し、ダンケルクに向かわせるのだ。こうしてダイナモ作戦の幕が切って落とされた。
5月26日、カレーはドイツ軍に完全に包囲された。なおも和平交渉への道を迫るハリファックスに、和平交渉はドイツとイタリアの罠だとし、最後まで戦い抜くと答えるチャーチル。「危険なのは”最後まで戦い抜く”というヒロイズムだ。兵士を無駄死にさせることは愛国心ではない」とハリファックスも声を荒らげる。
カレーにいる准将に電報を打つべく口述するチャーチル。「カレーの部隊の救出は行われない」。エリザベスはタイプを打ちながら静かに涙を流す。チャーチルからの電報を受け取った准将は天を仰ぐ。この日、カレーは陥落した。
5月28日、ダイナモ作戦のため860隻もの船が集まった。史上最大の民間部隊だ。
国会へと向かうチャーチル。しかし迷いは消えない。突然、彼は車を降り、地下鉄に向かう。ウエストミンスター行きの車両にチャーチルが乗り込むと、驚き、立ち上がる人びと。彼らに笑顔を向けながら、チャーチルは語りかける。「君たちイギリス国民は、今どんな気持?」
国会議事堂に到着したチャーチルは、閣議の前に閣外大臣たちを集め、演説を始めた。地
下鉄で会話した市井の人びとの名前を挙げながら、国民が抱く不安の声を伝える。「ナチスに屈したら我々はどうなる?鉤十字がバッキンガム宮殿やウィンザー城にはためくのだ!この国会議事堂にも!」
閣議が始まった。チェンバレンやハリファックスを前にチャーチルは改めて決意を表明する。降伏しないのは、国民の総意であり、国民の気持ちを代弁し続ける事が自分に課せられた義務である。それ故和平交渉は行わない。
下院に集まった議員たちに向けて、チャーチルの演説が始まった。熱弁。この演説は4分間に及んだ。
チャーチルの力強い言葉に、議員たちは皆一斉に立ち上がり、同意を示す白いハンカチを掲げる。
転機となったダンケルクの戦いの裏には、こうしたチャーチルのドラマが隠されていたのだ。
「成功も失敗も終わりではない。肝心なのは続ける勇気だ。
ウィンストン・チャーチル
ウィンストン・チャーチルはスーパーマンではなかった。60を過ぎた、ただの人間だったのだ。彼は彼なりに、自分の弱さと向き合い。時にはそれに流され、克服もして来た。その単なるひとりの人間に、世界は一時委ねられたのだ。
この映画を観るまで、世界はここ迄ヒトラーに追い詰められていたのだという事を、私は知らなかった。将にギリギリの崖っぷちにまで、追いやられていたのだ。
この映画はそうしたことを、丁寧にそしてドラマチックに描いている。
そして忘れてはならないのは、その描写を支えた、役者たちの演技だ。
特に主役ウィンストン・チャーチルを演じた、ゲイリー・オールドマンの化け方は特筆に値する。
特殊メイク、ヘア&メイクデザインを担当した辻一弘の卓越した技術に支えられ、「カメレオン・アクター」の異名を持つゲイリー・オールドマンは、見事にウィンストン・チャーチルになった。
マイケル・ディーンというオペラ歌手にも協力してもらったらしい。ピアノでチャーチルの声域をトレーニングしたのだという。「これが彼の一番低い音、これは彼が話す音域」オールドマンの声は、どちらかと言うとテノール寄りなのだが、時にバスの音域で演説しなければならない事もあったそうだ。そのため、そのうちにチャーチルの音声や動画を見て、前日の夜に何をしていたのかが分かるようになったとも述べている。
この「天からの視点」は、その後も、ポイントとなる場面で繰り返し用いられる。
そもそもジョー・ライト監督は映像(音も含む)で物語を描く事に、執念に似たこだわりを持っている監督だ。
この天からの視点に意味がない筈がない。
そしてクライマックス。誇り高き演説を終えて議場を後にするチャーチルを、カメラはもはや真上からの俯瞰で捉えることはない。
天の視点から地上へ。この視点の変化は、全能感に満ちた権力者だったチャーチルが、国民全ての指導者に成長を遂げた結果を表現しているのではないか。映画を見終わった後、密かにそのような事を思ってみた。
ネタバレの連続のような文章になってしまったが、このようにこの映画は、関わった全ての人びとの総意が結晶した、素晴らしい出来栄えになっていると感じた。通り一遍のネタバレだけでは、この映画の魅力は、全く減じないと今では信じることが出来る。
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