心地よい読後感などあろう筈もない。
それが分かっていて、何故読み続けるのか?私にはその理由が最後迄分からずにいた。ようやくそれが見えたのは、最終作『第三の嘘』を読み終える直前の事だった。リュカ(LUCAS)とクラウス (CLAUS)という互いにアナグラムになった名をもつ双子の兄弟たちの行く末が、気になって仕方がなかったからだ。
『悪童日記』から『ふたりの証拠』そして『第三の嘘』へ。
物語の枠組みはヨーロッパ大陸からひとつの町へ、町からひとつの家族へと絞られて行く。しかしそこで語られている事が、真実なのか嘘なのか、私たちにはそれすら知らされない。しかしその主題はいささかも矮小化されていない。それどころか絶対的な永遠の次元にまで掘り下げられている。
三部作はそれぞれ、独立した小説と捉える事も可能だ。だが三部作を通読して、やはりこの三部作はそれぞれがそれぞれに支えられている事が理解出来る。『第三の嘘』を読み終えて、私にはやっと前二作とりわけ第一作の『悪童日記』に秘められた謎が、その真の姿をおずおずと現してくるのを感じた。
その構成力に、私は改めて著者の力量の凄さを感じざるを得ない。
物語は、著者アゴタ・クリストフの全てを突き放した様な真っ白なエクリチュールで語られる。読者は作中のどの登場人物にも、感情移入を許してくれない作為を感じる。そしてそれはむしろ、読者にとって幸いな事である事を、最後の最後で感じ取る事が出来る。
この救い様のない物語において、どこか一箇所でも感情移入をしながらこれらの作品を読むのであれば、読者はこの三部作について行くことすら許されなかっただろう。
どうにかこうにか、私は『悪童日記』三部作を読み切った。ここで一息入れたい。と言うより当分アゴタ・クリストフからは離れていたいと切に願う。
途方もない作品だった。




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