苦手と言う訳ではないが、畏れていて手を出せずにいる作家群がある。
尊敬して止まない方に止められていた事もあり、ポール・ヴァレリーはその筆頭とも言える存在だった。ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが意外に「読めた」ので、それに気を良くして本棚から『ヴァレリー・セレクション上・下』を引っ張り出した。
恐る恐るページをめくると、冒頭に訳者まえがきとして「ヴァレリーを読むよろこび」という文章が置かれていた。
世の中には畏れるのではなく、ヴァレリーによろこびを感じている方もおられるのだ。
かなり勇気付けられた。
学生の時分に初めて『ヴァリエテ』のなかの一作品を読んだとき、こんな面白いものがあるのかと思い、邦訳にして上下巻あわせて千ページをこえる人文書院版『ヴァリエテ』の全作品を一気に、時間的には半年から一年をかけてほんとうに丁寧に、熱中して、読んだのです。
とある。
私にもその面白さが分かるかも知れない。
すぐに図に乗った。
早速ヴァレリーの文章に取り掛かった。
読み始めてすぐに感じたのは、畏れていた程ではないと言う事だった。
だが、明晰な語り口を「楽しむ」為には、相当深く広い教養が必要だと言う事は私にも分かった。
知っていて当然の様に、古典が仄めかされている。しかも、文系の教養だけではなく、科学的知識に関しても、ヴァレリーは深い造詣を持っているのだ。
書かれた当時の、国際問題にも、ある程度知識を持っていないと、文章全体が何を言わんとしているのか分からない作品も多い。
これ等の文章を学生時代に読んで、「こんな面白いものがあるのか」と感じる訳者の方々は、どれ程の教養の持ち主なのだろうか?!
若い頃、背伸びしてヴァレリーを読み散らかしていたら、私はどれ程浅い読書体験で満足してしまった事だろうかと、少し背筋が寒くなった。
更に驚くのは、ヴァレリーが生きた時代にあって、現在に通ずる抜きん出た見通しを、彼が既に持ち合わせていたという事実だ。
これはこれ等の文章が書かれた時代には、決して理解する事が出来なかったであろう、ヴァレリーの優れた一面だと嘆息した。
私は今のこの年齢でこの時代にヴァレリーを読めた幸運を、深く噛み締めた。
良いタイミングで、ヴァレリーを読み始める事が出来たと思う。
読み終えて、私は薄っすら汗ばんでいた。



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