20220420

送別の餃子

 4月に入ってからブログを更新しなかった。図書館から借りている本に大著が多く、返却期限迄に読めるかどうか不安だったからだ。どうにか全てを読破する事が出来た。

読んだ本は大田暁雄『世界を一枚の紙の上に』、千葉雅也・國分功一郎『言語が消滅する前に』、陣内秀信・三浦展『中央線がなかったら』、矢島道子『地質学者ナウマン伝』、野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』、原基晶『ダンテ論』、三中信宏『系統樹思考の世界』、スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来』といったところだ。

どの本も面白く、私の世界を存分に拡げてくれた。

今回採り上げる本は井口淳子『送別の餃子(ジャオズ)─中国・都市と農村肖像画』である。


実はこれ程早くこの本を読もうと、最初からしていた訳ではない。著者からtwitterでフォローされた。なのでお礼の意味を込めて、読み始めた。

当初題名から空想していた内容とは、大きく異なった。随筆的な内容を思い描いていたのだ。だが、読んでみると丁寧なフィールド調査を経て書かれた、内容の濃い本だった。

17年に渡る、著者と中国の関わり合いが描かれている。

文革終了直後から、著者は中国に入っていたらしい。

文中に頻繁に中国の難しい単語と読み方が入っている。それを覚えながら読むのにかなり苦労した。ことほど左様に、私は(そして多分私たちは)隣国中国を知らない。

この本には中国の主に農村地帯のフィールド調査の経緯が書かれているが、中国の農村と言えば難しい中国語の中でも厄介な方言が支配する所だ。中国語は堪能では無かったと著者は言う。それで単身中国の農村地帯に飛び込んで行く度胸の良さにびっくりした。

中国では、出会いの時に麺を作り、別離の時には餃子を作る。その事がそのまま題名になっている。同じモンゴロイドでも、日本人と中国人とでは、その心性に大きな違いがある。

日本人は優しさを重んずるが、中国語にはその優しさに対応する言葉がない。近い言葉として「親切(チンチェ)」「温和(ウエンハー)」「老実(ラオシー)」があるが、どれも微妙に優しさとは意味が異なる。

その中国で筆者は何度も死ぬ目に遭う。その度に現地の人々に世話になり、どうにか生き抜いて来たと言って良いだろう。

その著者が中国語には優しいという言葉がないと言うのだから、多分本当の事なのだろう。

本書には、佐々木優さんによるイラストが添えられている。これがなんとも言えない味わいを本書に与えている。これらのイラストなしでは、本書の魅力は半分も伝えられない。

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