20211130

フェミニズムに出会って長生きしたくなった

 いきなり著者アルテイシアさん独特の言語感覚が炸裂する。

著者は自分をJJと呼ぶ。熟女の略だ。女子高生をJKと称するのなら、熟女をJJと呼んでも構わないだろう。だが、著者はそうした断り書きなしに、当然のように熟女をJJと略す。

他にも膝パーカッション(激しく同意の意)、エシディシ泣き(号泣)など、説明など不要だろうとばかりに、自由奔放な造語が飛び交う。


だが、言っている事に踏み外しはない。フェミニズムの粋を見事に捉え、強烈に自己主張する。読んでいて爽快な気分にさせてくれる。

20代でフェミニズムに出会い、怒るべき時には怒っていいのだと言う事に気づいたと言う。それまでは全てを自分のせいにして、肩身の狭い生き方をしていたらしい。

独親に育てられたと自己紹介している。それ故に、いつ死んでも構わないと、半分自暴自棄にもなっていたようだ。だがフェミニズムに出会い、愉快にJJライフを送るようになった。こうなれば生を楽しむしかない。長生きしたいと思うようになったのだ。

世間ではフェミニストというと、怖いおばさんの事だと思われているらしい。けれど、実際のフェミニストに触れてみると、自分は自分であって良いのだと気付いた女たちだと言う事に気付く。それだけの事なのだが、世間のフェミニストに対する風当たりは強い。女は黙って男の言うがままにしていれば良いのだという差別意識が、日本では未だに大手を振っているのだ。

なので勢い、女たちは怒る。怒ると余計風当たりが強くなる。男たちもじっくりと怒る女たちの言い分を聞いてみた方が良い。その方が両者のためになる。男たちも余計な男らしさの呪縛から解放された方が自由に生きることが出来るだろう。

この本を読んで、最も為になった事は、男にも出来る事があるという事に気付かせてくれた事だ。セクハラ・パワハラ(アルテイシアさんはこれをセパ両リーグと呼ぶ)に遭っている女がいたら、それをしている男にそれはセパ両リーグだと、さりげなく忠告してやれば良いのだ。

いじめをしている者にそれを傍観せず、いじめをやめるように言ってやる事と同じだ。子どもたちに勧める事を、大人もやれば良いのだ。それをactivebystanderと呼ぶらしい。

言うは易く行うは難い。いざとなったら自分にそれが出来るかどうか自信が今ひとつない。だが、心掛けることは出来る。男はどう生きて行けば良いのだろうかと、ただ悩んでいるだけより、余程いい。

著者アルテイシアさんの自由な言葉と生き方は、必ずやフェミニズムの裾野を広げる事だろう。無論、その裾野には男も含まれている。

20211125

災害特派員

 先日採り上げた『南三陸日記』と同じ、三浦英之記者による本。『南三陸日記』とは合わせ鏡のような内容になっている。

『南三陸日記』はジャーナリストとしての三浦英之の仕事であったのに対し、この『災害特派員』は三浦英之の個人的な手記である。


三浦英之には答える事が出来なかった問いがあった。

東京からバスで現地を訪れた小学生たちに

「どうしてこんなに多くの人が死んだのですか」と問われていたのだ。

この本は、その答えられなかった問いに対する答えとして存在している。

三浦英之は答える。

原因の一つはたぶん、メディアにあるのだと思う。

そして畳み掛けるように言う。

人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ。

この姿勢が、彼がジャーナリストとして災害現場で深く刻まれた教訓になっているのだろう。

記者は、仕事を通じて、多くの人々と出逢って行く。ライバルであり、友人でもあるジャーナリストたち。尊敬出来る先輩。取材に応じてくれた現地の人々。そして記者はそれらの人々との出逢いを、逐一大切なものとして、抱き締めて行く。

手記はどこまでも記者の誠実さに貫かれている。だから読んでいて、思わず引き込まれるような迫力を感じざるを得ない。

この本を読み終えて、私はBlu-rayに録画しておいた、3.11以後のビデオを見返してみた。当時の記憶がまざまざと蘇って来た。同時に、当時この映像を見た時は、それを記録したジャーナリストの存在を気に留める事なく見ていた事に気が付いた。

どの映像、どの記事にも、それを伝えようとしたジャーナリストが居た。その存在は、ともすると表に現れる事なく終わってしまう。だが我々はそうしたジャーナリストの努力の上に、災害や戦争の記録を鑑賞する事が出来ているのだ。

そうした取材の現場では、ジャーナリストたちが命を落としたり、精神的に病んだりもしている。

私たちは安全な茶の間で、それらの仕事を鑑賞する。

思わず、いたたまれなくなって目を落とす。それではいけないと、再び前を向く。

この本は、取材現場に自らの前存在を賭けて臨んだ一ジャーナリストの貴重な記録だ。

20211123

南三陸日記

 2011年6月から2012年3月までの間に、朝日新聞全国版で、毎週火曜日に連載された記事をもとに書かれた本。1枚の写真と2ページの文章が交互に配置されている。

長らく東日本大震災からは、身を遠ざけて来た。何よりもショックが大きかったし、被害の規模の事を考えると、安易に触れることが憚られる気持ちもあった。

10年以上経った。もう禁を解いてもよかろうと、本書『南三陸日記』を図書館から借りて来た。


読んでいて、10年以上昔の記憶が、ありありと蘇って来るのには参った。まだ充分に傷は癒えていなかったようだ。

矛盾するようだが、東日本大震災を、直視できない自分もいる。心のどこかで、現実とは別の、東日本大震災がなかった10年があったような気もするのだ。逃避だろう。

南三陸町の事は、はっきりと記憶している。大震災の直後、大きな火災が発生した南三陸町の映像がTVに映されたからだ。

ジャーナリストというのは、つくづく因果な生業だと思う。

離れていても、大震災のショックは大きかった。三浦英之記者は敢えて南三陸町に居を構えて、そこから変わりゆく被災地の風景を、週1回報告する企画を実行する。

その精神的な負担は、いかばかりのものだっただろう。

画面一杯の瓦礫が広がっている写真から本書は始まる。

そうだった。あの当時、被災地はどこもこのような風景が広がっていたのだ。

大震災のちょうどその日に、婚姻届を提出しようとしていた夫婦もいる。夫は津波で亡くなってる。それでも結婚という形を続けようとしてる。二人の間に子どもが出来ていたからだ。

大震災が起きた、ちょうどその時間に産まれた子どももいる。

記者は丁寧に被災者と向き合い、報告を続けて行く。

本書は序章から始まり、序章で終わる。この報告は終わる事がない。ここから全てが始まっているのだ。

読み終わってからしばらくの間、私は何も出来ずにいた。頭の中では、報告の余韻が鳴り響いていた。並の迫力ではない。

三浦英之記者は良い仕事をした。私もそれに負けないように生きなければならない。

本書『南三陸日記』は私の記憶に深く刻まれる本になるだろう。

私も東日本大震災から旅立たねばならない。

20211120

時を刻む湖

日本国内より、海外の方が有名な場所がある。この若狭湾に臨む水月湖もそうした場所のひとつだろう。水月湖の湖底に堆積している地層は、世界の地質時代の標準時計として用いられているのだ。世界に誇るべき湖と言えるだろう。


本書には、その水月湖の堆積物の研究に携わって来た研究者自身の手によって、二十数年に渡る研究の一部始終がドラマチックに描かれている。

水月湖の湖底をサンプリングすると、縞模様の堆積物を得る事ができる。これは明暗色からなる地層が、1年に1枚ずつ堆積して出来た地層だ。その地層=年縞を数え、調べることによって、過去の地質時代の環境を年単位で知る事が出来る。一言で言ってしまえばそう言う事になる。だが、それを実行する事は、それ程安易な作業ではない。その事が本書を読む事によって理解出来る。

何しろ連続的なサンプルを得る事自体が難しい事なのだ。

ボーリングを行っても、そのサンプルにはどうしても欠落が出る。研究者たちは、複数のボーリングデータを対比する事によって、その欠落を補った。

対比はどうやって行うのか?堆積物の顔付きを、丹念に比較して、同定して行くしかない。これは言葉で言うと簡単だが、それ程安易に出来る事ではない。

しかもその地層の枚数が半端ではない。研究者たちはそうした地道な、そして難しい作業を7万枚の地層に対して行った。これを快挙と呼ばずして何と言ったら良いのだろうか?

7万年の連続したデータが得られるのだ。そしてその誤差30年前後。通常この程度の年数のデータには数千年の誤差が付き纏う。それを考えると、水月湖で行われた研究の誤差は、極めて正確なデータである事が分かる。

未知の出土品がいつの時代によるものかを知る手段のひとつが放射性炭素年代測定である。これは生物の体に含まれ、時間の経過と共に一定のペースで量が減少する放射性炭素の残量を測定し、年代を逆算して行く手法だ。

しかし、この放射性炭素年代測定法では時代によって数百年から数千年のズレがあるのが悩みだった。生物の体に含まれる放射性炭素は、元は大気中の放射性炭素を取り込んだものなのだが、時代によって待機中に含まれる放射性炭素(炭素14)の量にバラつきがある為、全く同じ生物でも時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるからだ。

このズレを補正する為には、年代ごとの正確な放射性炭素の量がきっちりと整った「ものさし」が必要になる。

この「ものさし」となるのが年縞なのだ。

新しい科学の誕生期には、少なくとも3人ほどの、同じ発想を持つ研究者がいるものだ。

水月湖の研究者にもそうしたライバルがいた。ベネズエラのカリアコ海盆を研究していたコンラッド・ヒューエンがそのライバルだった。

水月湖とカリアコ海盆とでは、どちらに軍配が上がるのか?

当初、カリアコ海盆から得られた気候変動のデータによって、カリアコ海盆の研究の方が優れているという評価が与えられた。水月湖のチームは深い挫折を味わったのだ。

しかしチームはそこで諦めなかった。

1mmの欠落もなく年縞を数え、1200枚の葉を拾い上げ、丹念な研究を積み重ねる事によって、初期の不利を克服して行く。

そうして水月湖の年縞が考古学や地質学における「世界標準のものさし」として、君臨するに至る過程は、まさにドラマチックと言うしかない。

是非本書を手に取り、そして水月湖畔にある年縞博物館を訪れて欲しい。必ず深い感動を味わう事が出来るだろう。それは約束しても良い。

20211118

自然を名づける

椅子に坐っていると、部屋の窓からは銀杏の樹が2本見える。私はそれが銀杏という名である事を知っている。更に、その学名がGinkgo bilobaである事も、先程知った。

もし、名を知らない植物なり動物なりが見えたら、私はその名を知りたいと思うだろう。

人は、本能的に生物の分類をしようとする。この本『自然を名づける─なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』の著者はその直感を環世界センスと呼んだ。


環世界とはドイツの生物学者であり哲学者でもあったユクスキュルの唱えた概念で、全ての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、全ての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界であるというものだ。著者は言う

自然の秩序に対する類型的な見方をもたらしているのは、この環世界センスだということに私は気づいたのである。ハーバード大学の生物学者E.O.ウィルソンが提唱した「生命愛(バイオフィリア)」が生物に惹かれる理由だとしたら、おそらく「環世界センス」が─その特殊性、強さ、弱さ、その他あらゆる特徴を含めて─、人間が自然界に秩序を見出す理由なのだろう。

しかし科学としての分類学の歴史は別の意味を持つことになる。すなわち分類学の歴史は、その誕生から今日に至る迄、人間の環世界センスとの200年に及ぶ戦いの歴史だったのだ。

その実例として著者は第1章で「科学者は魚類という群の実在性を否定する」という挑戦状をいきなり叩き付ける。著者はこの一見奇妙に見える問いに、本書を書くことによって答えようと努める。

始まりはカール・リンネである。若き天才的な植物学者として人生のスタートを切ったリンネは、二名法を編み出し、リンネ階層分類と呼ばれる分類体系を定めた。1735年、28歳のリンネは『自然の体系』を刊行した。僅か14ページのこの「聖書」から、分類学は産声を上げたのだ。この時代の分類学は、自然の秩序を五感で捉え、視覚化する作業に他ならなかった。分類学は環世界センスを用いて行うものだった。

次の主役はチャールズ・ダーウィンである。リンネから100年後、ダーウィンはフジツボの研究に取り掛かる。悪戦苦闘すること8年、馬車に乗っていたダーウィンにひらめきが訪れる。リンネの秩序は、進化の樹の単なる影に過ぎない。こうして分類学は、全生物の系統(進化上の繋がり)を学ぶ科学になったのだ。

ダーウィンの後、進化分類学者、数量分類学者(直感的な観察よりコンピュータを用いて、形質データを定量化して計算し、樹形図を作成する)、そして分子分類学者が次々と登場する。その内部で、統合主義者と細分主義者の対立もあった。

分子分類学者カール・ウーズはRNAの分析によって、リンネの界(動物界や植物界などの最上の階層)の上に「細菌」「古細菌」「真核生物」という3つのドメインを発見してしまったのである。

分類学の(現時点における)最終的な革命は、ヴィリ・ヘニックというドイツの昆虫学者によって果たされた。ヘニックは「共有された進化的派生形質」のみを手掛かりにして、近縁生物群を構築しようとした。ここに分岐学者が誕生したのである。つまり「子孫全てを含む分類群にだけ名前を付ければいい」。樹形図は生命史のみを反映する。こうして魚類が消え去った。ダーウィン進化論の必然的な帰結はヘニックによって完成されたのだ。

分類学と環世界センスとは、真っ向から対立するものとなった。

生物の研究は捕虫網を携えて野山を歩くアマチュア学者の時代は終わり、生物の研究は、助成金を得たハイテクの実験室で行われるようになった。生物学は、莫大な資金と大量の人材に支えられる巨大科学になったのだ。

しかし著者は環世界センスを安易に捨て去らない。人間は環世界センスから逃れることは出来ない。それは脳の問題でもあるからだ。そうであるならば、直感と科学とは共存出来るはずである。二者択一の問題ではないのだ。

著者の結論は、シンプルで深いメッセージ性を有している。

生物界は死の淵に立たされている。人間のせいで種が絶滅していく速さは100倍から1000倍になった。しかしまだ手遅れではない。私たちの環世界センスを蘇らせ、それを自由に発現させることによって、私たちは、生き物の世界に近づく一歩を踏み出すことができる。

自然を名づけることは、自然に近づくことなのだ。そして世界の生き物の多様性を救うことは、学者だけの仕事ではないのだ。

20211109

嘘と政治

 2016年、オックスフォード辞典は「ワード・オブ・ザ・イヤー」として「ポスト真実(トゥルース)」を選んだ。これは「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」を指すと定義されている。

真実より嘘の方が力を持っているというのである。

この背景にはEU離脱(プレクジェット)が決定された英国の国民投票と、ドナルド・トランプが当選した米国の大統領選挙がある。

英国独立党およびトランプ陣営は、多くの「嘘」と差別的発言を含む扇動的な演説を繰り返した。それは投票以前から多くのメディアによって指摘されていたが、勝利したのは「嘘」をついていた側だった。

この事は世界中に大きな衝撃を与えた。


何が起きているのだろうか?

著者はそれを解明するにあたって、ハンナ・アーレントの「政治における嘘」論を手掛かりに論考を進める。

アーレントは「政治における嘘」がそれ自体悪であるとは考えない。政治には一定の「嘘」や「機密」が付き物であり、完全にクリーンで「誠実」な政治などというものはあり得ないというのだ。

ただし、アーレントは警鐘を慣らしている。

現代的な「政治的における嘘」には、伝統的な「政治における嘘」にはなかった危険な側面があるというのだ。

伝統的な嘘と現代の嘘との違いは、隠蔽することと破壊することの違いにほぼ等しい

伝統的な嘘は為政者が真実を隠蔽するというかたちで行われるものであって、その嘘は「敵に向けられており、敵のみを欺こうと意図していた」。それに対し現代的な嘘は、それが敵に向けられるのではなく、自国民及び自分自身に向けられるという点にある。

言い換えると、嘘を語るものが成功すればするほど、それだけ彼は自分自身の作り話の犠牲になるように思われる。(…)自らも欺かれている場合のみ、真実に似たものが作り出されるのである。

アーレントが言うところの「大衆」は、複雑性や偶然性をはらむ現実よりも、首尾一貫した虚構を愛する。

実際、ネット右翼や歴史修正主義者の語る世界観は、驚くほど「首尾一貫」している。彼らにとって不都合な事実はすべて消去され、都合の良い事実が次々と捏造される。

マルクス主義を始めとする左翼はどうだったか?やはり驚くほど「首尾一貫」していたではないか。

そしてアーレントによれば、このように事実と虚構の区別が取り払われた社会状況においてこそ、全体主義が出現しやすい土壌が整えられる。

「政治的に優位に立つために嘘をつくのは大昔からあること」だが「変わったのは、かつて政治家はそれがバレるのを恐れていたこと」である。「ところが、政治家はついに気付いてしまった。ひたすら同じことを繰り返していけば、それが真実であろうとなかろうと、大衆は信じるようになるのだ、と。そして民主政治においては、多数者の信じることの方が事実よりはるかに重要だ。そのため多くの政治家は、真実を語るふりをすることすらやめてしまった。(ヒース2014)

例えその嘘がバレても全く恥入った態度を見せないこと、これが「現代的な嘘つき」の特徴である。

インターネットメディアの登場がそれに拍車をかける。SNSが政治的にも大きな影響力を持つようになった現代においては、正確な事実検証に基づく実直な政治的言明よりも、事実の正確性を犠牲にしてでも人々の感情を揺さぶる扇動的な政治的主張の方が、多くの注目を集める。

しかしアーレントは決してポスト真実主義者ではない。「真理と政治」の末尾で彼女は

真理はわれわれが立つ大地であり、われわれの上に広がる天空である

と宣言している。

ところがアーレントは驚くべきことに「活動」と「嘘」を親和的に論じてもいる。「嘘をつく能力」と「活動する能力」には密接な関連があり、両者は想像力という共通の源泉を持っている。そして「嘘をつくこと」は時に新たな「始まり」をもたらすことに繋がりうると主張しているのだ。

おそらくここで言われている「嘘をつく能力」とは、一般的に言えば、現実と異なる世界=虚構(フィクション)を構想する力と近いものであろう。

「活動」によってなにか新しいことを始めるためには「以前からあったものが取り除かれるか、壊されなければなら」ず、「さまざまな事物が今現にあるのとは異なるものであるかもしれないことを想像すること」が出来なければならない。現在とは異なる「別の世界」を想像(構想)し、それに向けて世界を変えていかなければならない。「嘘をつく能力」と「活動する能力」が相互に関連し、「想像力」と言う共通の源泉を持っているとアーレントが述べるのはそのような意味においてである。


2020年1月28日の衆議院予算委員会で、「桜を見る会」問題に関する質疑応答において、安倍首相(当時)が「募って入るが、募集はしていない」と答弁したことが物議を醸した。この発言の真の問題は、それが首相の愚かさを示していることよりも、むしろこうした矛盾した無意味な発言がなされることによって、言葉の機能それ自体が麻痺させられる効果を持ってしまうことの方にある。

首相及び閣僚が不誠実な答弁を繰り返すことによって作り上げて来たのは、言葉による議論そのものがほとんど意味を失ってしまうと言う状態だった。

アーレントが「活動」において「複数性」と「自発性」を重視する背景には、彼女が全力で批判した全体主義が、まさにこの「複数性」と「自発性」を廃棄し、それを「同一性」と「必然性」に置き替えようとする運動だったと言う事情がある。

「暴力は言論の終わるところに始まる」のであり、言論の能力を奪うことは「洗脳」にもつながっていきやすい。


ここ数十年のインターネットの普及とともに知られるようになった「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」と呼ばれる現象がある。

「エコーチェンバー現象」とは、近しい意見を持つ者同士がSNSなどで同質的なコミュニケーションを繰り返すことによって、特定の信念が増幅、または強化される現象を指す。

「フィルターバブル現象」とは、ウェブサイトのフィルター機能によって、各ユーザがまるで「泡(バブル)」に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなる現象を指す

こうしたエコーチェンバー現象やフィルターバブル現象によって、人々の間で「分断化」及び「分極化」が進んでいるという警告を発しているのがキャス・サンスティーンである。サンスティーンは考えや思想を同じくする人々がインターネット上で強力に結び付いた結果、異なる意見を一切排除した、閉鎖的で過激なコミュニティを形成する現象を「サイバーカスケード(集団極性化)と呼んでいる。

こうした苦境と対峙するにあたってサンスティーンが着目しているのは、公共空間(パブリック・フォーラム)の役割である。

公共空間は

(1)演説者がさまざまな人々に接近する機会を提供する

(2)批判対象となる人々や機関への接近を可能にする

(3)多様な人々が多様な意見に広く触れる可能性を高める

と言う意味を有している。

例えば、親トランプ派の人々の間ではトランプ政権に肯定的な情報とトランプ批判者に否定的な情報ばかりが入ってくる。反トランプ派の人々の間ではそれと正反対の事が起こる。それによって両者の間の心理的な距離はますます広がってしまう。まともな議論が出来なくなる。アーレント流に言えば「共通世界」が成立し得ないために「活動」もまた成り立たないのだ。

これに対して、公共空間は物理的に多くの人々に共有される空間であるために、好むと好まざるとにかかわらず、多様な意見や価値観を持つ人々と偶然的に出会うことを可能にする。

現代人の間で共通世界が失われてゆく現象を、アーレントは「世界疎外world alienation」と呼び、それが近代という時代を象徴する現象なのだと彼女は考えていた。

インターネット、その中でも特に発展を見せるSNSは、まさに「社会的なもの」の極致である。そこでは公的領域と私的領域の区別がなくなり、物の実在性(リアリティ)がなくなり、あらゆるものが極めて流動的かつ画一的になる。一見多様な意見や活発な議論が飛び交っているかのように見えるが、そのほとんどは記憶されず、数週間も経てば跡形もなくなく消えてしまう。ただ日々タイムラインが流れてゆくだけである。こうした「社会的なもの」の拡張が「共通世界の喪失」を後押ししているのだ。

人々が同一の対象に関わり、それを複数の視点から見ているという感覚を共有できる時にだけ、我々は世界に対するリアリティを感じる事ができる。

現代人はひとつの真理をめぐって異なる解釈を闘い合わせているのではない。むしろ現代人はそれぞれの政治的立場によって別々の世界を生きており、その別々の世界同士が争い合っているのだ。

アーレントにとって公共的な政治とは、我々が「世界」を共有した上で、その「世界」について複数の視点から語り合うことを意味した。ここには、同じ世界を共有すること(共通性)とそれをめぐる多様な意見を交換すること(複数性)と言う二つの要素が含まれている。

こうした状況を打破するためには、まず議論の土台となる「共通世界」の再構築が必要なのではないか、その際に物質的な「公共物」の役割が重要になってくるのではないか。そう著者は提案する。

また著者はアーレントが重視する「活動」の他に、「仕事」を再評価する必要があると提案する。

「仕事」によって創り出された「世界」はそれが「語り合いの対象」となった場合にのみ「人間的」なものとなるのであり、そうでなければ「非人間的」なものにとどまるとアーレントは「暗い時代の人間性」の中で述べている。

意見の異なる者同士、とりわけ政治的主張の異なる者同士で対話するのは決して容易なことではないだろう。複数性の重視と言えば聞こえは良いが、実際にそれを実践するのは大変なことである。

それでもなお、意見の異なる者の間での対話の場を創ろうとする努力は重要である。その際、ソクラテスがそうしたように、対話の術に優れた者が人々の間を繋ぐ〈媒介者〉となって、人間関係の網の目を紡ぎ出し、非物質的な「介在物in-between」を創り出す事が一つの契機となるのかもしれない。

本書を通読して私はようやく目の前で起こっている物事がどのような意味を持つ物事なのかを知ることが出来た。そして、その隘路から抜け出すにはどうしたら良いのかも、薄らと感じ取る事が出来たように思える。充実した読書体験になった。

20211104

ぜんぶ運命だったんかい

なぜこんなに苦しいのだろう?

読み始めに降りて来た感想はそうしたものだった。

そこには念願の広告会社に入社し、溌剌と働く充実した成功物語が語られている。だが、なぜかその一挙手一投足が苦しいものに感じられてならないのだ。


小さい頃から努力だけは得意だったと著者は言う。

受験・部活・就活も努力すれば、目標以上の結果を出して両親や先生の期待に応えてきました。

そんな著者にとって、名の通った広告会社への就職とそこでの成功は、疑いもなく、得意な努力の成果であり、ステイタスである筈。どんなに有頂天になっても許されるし、その資格があると思うのだが、著者はそこでも頑張ってしまい、謙る。

どうして努力する事が出来ないのだろう?それが私の最大の悩みだった。ここぞと言う時に頑張れない。なのでちっとも成果は出せないし、ステイタスも上がらない。

そんな私から見ると笛美さんは疑いもない成功者であり、憧れだ。だが読み進めてゆくうちに

仕事が充実していくにつれ、プライベートはどんどん空白になっていきました。

などの記述が目に留まるようになった。

上には上がある。一旦成功の階段を登り始めた者は余程の事がなければその階段から降りる事は許されず、更に上の段階、さらに上を要求され続けるもののようだ。本を読んでいる時、頻繁に出会うこのような「成功者の悩み」にまた付き合わされるのかと、一瞬少しうんざりした。

しかし、その後に語られる結婚にまつわる著者の「努力」の記述辺りから、単なる「持てる者の悩み」では語り切れない色彩を帯びて来る。

男の30代は働き盛りと言われる。それに対し、女の30代は産業廃棄物とすら言われる。そうした現実がある。女は何よりも子どもを産んでナンボの評価基準がガンとして世の中に居座っているのだ。著者は働きに働き、その上結婚でも努力を重ねようとする。28歳で30万円を支払って結婚相談所に登録したのだ。そして、「農家の嫁」になる覚悟まで固める。

子どもが出来ないかも知れない。その不安は、ついに子どもを持つことのなかった私にも他人事でなく、よく分かる。進化論の本などを読んでいると、科学的事実であるかのように、生物はより良い子孫を残す事に意味があると書いてある。私たちは子どもの頃から結婚し、子孫を残せというプレッシャーの下に育てられている。女だったらどうだろうか?そのプレッシャーは、男の私には想像もできない程大きなものだろう。30過ぎたら卵子は老化するなどと言う、怪しげな「科学的事実」もそれに拍車をかける。

やがて著者は「生きていてごめんなさい」という声なき声を聞くようになる。

やばい!かなりやばい!!

そうした著者が選んだ道は、F国への長期滞在だった。

この選択は正解だったと思う。本の内容もこの辺りから、煽られ、追い詰められ続けるような記述が緩み、楽なものに変化して行く。

F国は日本よりはるかに男女平等に近いと言われる国だった。ここで著者は重大な出逢いを経験する。フェミニズムとの出逢いである。

まず著者はF国の、日本とは余に異なる暮らしぶりに出逢い驚く。F国の暮らしは日本に比べ、遥かに人間らしいのだ。そしてジェンダーに敏感なのは女性だけではなく、男性もであることに気付く。

著者にとって、フェミニストやフェミニズムといったものは、世にも恐ろしいイメージで、それこそ結婚出来ない怖い女の代名詞といったものだった。けれど実際に出会うフェミニストたちは怖いイメージはなく、どこにでもいるただの女の人なのだ。そして、むしろ著者の肩を持とうとしてくれている事に気付く。

そして理解する。

バブルが崩壊し、夫だけの収入では家計が苦しくなったことで、既婚女性も働きに出るようになった。けれど夫が稼いでくれることを前提に、非正規女性の賃金は低く抑えられたままだった。リーマンショック(2008年)の影響で、既婚女性から未婚女性まで非正規が拡大した上、派遣法改正(2015年)では、非正規で働く人たちの雇用が3年と決められ、女性の雇用は更に不安定になった。リスクを負うのは女性だけではなく、男性も総合職の働き方によって過労による自殺や家庭崩壊などの深刻なリスクを抱えている。「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担は、男性にも女性にも大きな負担を与えながら、時代が変わってもずっと温存されて来たのだ。

著者の陥っていた苦悩は、個人的な選択や努力の結果ではなく、世の中の政治・経済の要請によって造られたものだったのだ。

著者は叫ぶ

…ぜんぶ運命だったんかい。

著者の運命は社会の構造の上に敷かれたものだったのだ。

著者の気付きの刃は、男性に向けられもする。

ああ、「普通の日本人男性」よ…。

のび太のお風呂のぞきシーンを見て育ち、ラッキースケベを描いた少年漫画を読み、ナンパ術をモテの教科書にし、AVや違法にアップされたポルノ動画でセックスを学んで、HENTAIを世界に誇れる日本のカルチャーとして喝采している男性。それが私の友達や同僚や上司、そして未来の恋人や夫なのだろうか?

世界でも有数の男女格差の国で、政治も経済でもおじさんが支配しているこの社会で、男性は本当に幸せなんだろうか?

その頃から本書には同じ言葉が繰り返し現れるようになる

「見える」と「気付く」はこんなに違うのか。

著者はフェミニズムからの気付きを通して社会を見詰め、より「見える」ようになったのだろう。

けれど、著者は「普通の人」としての感性を完全に捨て去った訳ではない。安倍首相を校長先生のように優しいおじさんと見、twitterで安倍やめろ!と書いた後、激しく後悔する感性はずっと持ち続けたようだ。

そして著者に大きな転機が訪れる。twitterのハッシュタグで#検察庁法改正案に抗議しますと打ったところ、それがバズってしまい、僅か3日間弱で470万ツイートにまで膨れ上がったのだ。それはやがて新聞の一面を飾り、「#検察庁法改正案に抗議します」国会前デモが写真付きで採りあげられるようになる。著者は自分でも予想しないうちに賛成派、反対派の両方から注目される存在になったのだ。このハッシュタグは2020年のTwitterトレンド大賞の2位を獲得するまでになる。

たった一人の普通のお嬢さんが発したハッシュタグは、国会で検察庁法改正案の審議を止めるまでの影響力を持った。

私は心秘かに思うのだ。

著者は普通の人の感性を持ってはいるが、疑いもなくひとりのエリートで、#検察庁法改正案に抗議しますのハッシュタグは、狙ったものではないが、疑いもなくひとつの成功物語となったのではないか?

もっと言えば、ハッシュタグの成功がなかったらこの本は書かれたのだろうか?

私としては、ハッシュタグがなくても、著者がフェミニズムに目覚め、社会の歪みに気付くことそれだけでも、充分価値のある本になったと思う。

むしろハッシュタグ事件は、ひとつの成功物語から別の成功物語へジャンプしただけのものになってしまったのではないか?

とは言え、著者のもうひとつの成功には心からおめでとうを言わせてもらいたい。ただ、どうしようもなく寂しいのだ。

20211101

批評の教室

贅沢な時間を過ごすことが出来た。

本書は批評をするにあたって必要な心構えからテクニックまで、筆者が心掛けていることを、惜しげもなく開陳している。それを思う存分味わう事ができるのだ。こんな贅沢は普通許されるものではない。


最初にチョウのように舞い、ハチのように刺すというモハメド・アリの決め台詞の引用から始まる。これは本書の副題にも、チョウのように読み、ハチのように書くと若干の変更を伴って使われている。本来の台詞は

I’m gonna float like a butterfly, and sting like a bee.

と言うものでソニー・リストンとの対戦の時に初めて披露されたものらしい。

筆者はこの一節は芸術作品に触れる時の心構えとして当てはまると言う。批評というと、ひとつのテクストに根が生えたように沈み込み、真面目に取り組んで…というイメージがあるようだが、筆者のイメージでは、ある作品に触れたらその作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較することにより、作品自体について深く知ることができると言うのだ。

軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は鋭く突っ込まないとならない。作品を批評しながら楽しむためには何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやり易い方法だと言う。

これだけでも、私の本の読み方を根底から覆す、重要なサジェスチョンだった。

以後、各節にひとつずつ気の利いたエピグラフを引きながら、批評の教室が展開されて行く。

筆者は、芸術作品の鑑賞というのはストーキングが許され、むしろ評価される唯一の場だと言う。なぜなら芸術作品というのは現実の世界とは異なり、あらかじめ受けてによって探索され、理解されるためのものとして作られているからだ。

第一章の精読するを読んで、私はある程度精読には自信があったのだが、それが入門のレベルにも届いていない事をじっくりと味わわされた。

批評家は探偵で、テクストは犯罪現場だと言う。探偵は虫眼鏡などを使って、犯行現場の細かいところまでチェックして、複数の手がかりを有機的に結び付けて他の人が見逃していた事実を発見するのだ。シャーロック・ホームズ並みの観察眼と注意力が必要だ。

作品を精読したら次にする事は分析だ。

著者は批評理論とは、作品の読み解きと言うゲームの勝ち方を探す戦略の理論だと言う。作品をゲームと考え、ゴールはそれを面白く分析する事なのだ。

そして、そのゲームのために行うべき幾つかの作業を示唆する。それは

・タイムラインに起こしてみる。

・とりあえず図に描いてみる。

・価値づけする。

といったものだ。

私は今まで漫然と本に目を通しているだけで、精読も分析もして来なかったのだと言う事実を、思う存分思い知らされた。

例えば『トップガン』と『アナと雪の女王』は似ても似つかない話に見えるが、要素に分解して骨子だけを取り出すと、前者の主人公であるマーヴェリックことピートと、後者のヒロインのひとりであるエルサが経験する物語は結構似ていると言う。

このようなことは考えても見なかった。

続いて評論を書くに当たって、必要な事柄が述べられる。

筆者は、批評を書けるようになりたいのであれば、自由にのびのび考えて書いてはならないと指摘する。何の訓練もせずに文を書いたり、絵を描いたりすると、今まで自分が身につけた思考の型から抜け出せない割に技術が伴っていないので、他の人と似たり寄ったりの凡庸なものができてしまうのが普通だからだ。

そして、批評を書く時の覚悟として大事なのは、人に好かれたいという気持ちを捨てることだと言う。批評というのは作品を褒めることではなく、批判的に分析することだからだ。良いところはなぜ良いのか考え、問題があればそれを直視してなぜダメなのかを考えるのが批評であり、それを通して作品の価値や問題点が明らかになる。

本書を読んでみて、私としては、参考になったと言うより、打ちのめされたと言った方が的確なところだと思う。

何よりも、本書で採り上げられている作品で、映画やアニメは私は観たこともないものがかなりあった。これでは本書を理解し尽くすことすら出来はしない。

自分が今まで書いて来た書評がなぜダメだったかが、ここには書いてある。この書評も、プロの目からすれば、全く批判的ではなく、不合格と言われてしまうだろう。