20211029

鳥類のデザイン

美しい本である。本書は「鳥類の総論」と「鳥類の各論」の2部構成となっており、それぞれに、見事なスケッチと生態、機能、そして進化に関するよく纏まった記載とが書かれている。


スケッチは主に、鉛筆で描かれた、単色のもので占められている。目の記載をしてあるページの扉はカラーで描かれているが、それも金泥と瑠璃色で描かれたスケッチに抑えられており、総天然色ではない。増して羽毛で飾られた鳥の絵は1枚もない。それでもこの本を読み進めている間に、何度もそれらのスケッチに見入ってしまったほど、美しいのだ。

もし、空を飛べるとしたら、どう生きるか?その答えは、鳥たちの嘴や足の形、翼の曲線に表れている。

飛ぶことは、鳥類のボディプランに厳しい制約を課している。羽ばたきの負荷に耐えうる堅牢な胴体。その可動性の小ささを補う長く柔軟な首。後肢のみで立つための姿勢。基本的なデザインは驚くほど一貫している。

しかし、その一方で、飛行能力によって驚くほど多様なライフスタイルへの可能性が開かれ、そして、それぞれの生態に応じた、1万種ものデザインが生まれた。

例えば森林での機動性を重視する者、長時間の飛翔やホバリングを得意とする者、暗視能力や聴力を磨いて夜間に行動する者など、鳥類は世界中のニッチに進出している。そして中には飛行能力を捨てた者もいる。

著者は 25年をかけて鳥の死骸を集め、骨格にし、ポーズを取らせてその機能美を見事に描き出した。

本書は、羽の下に隠された驚くべき進化の多様性を、拓跋したイラストと写実的な解説文で示している。

著者は最初の謝辞で、

この本の製作過程では、1羽の鳥も傷つけたり殺したりしていないことを述べておきたい。

と書いている。

著者がこの美しい本に対し、最も自慢したいのは、むしろそこにあるのではないかと感じさせられた。

20211025

生きるためのフェミニズム

実直な研究者なのだろう。その人柄が文章から溢れ出ている。

著者は言う。

私たちはみな、資本主義という恒常的な災害の被災者である。

資本主義は、単なる経済体制だけではなく、一つの災害なのだ。


副題にあるパンとバラは1912年ローレンスで行われた移民労働者による大規模ストライキ「パンとバラのストライキ」から採られている。なぜそのように呼ばれるようになったかについては諸説あるようだが、ストライキに参加していた女性が掲げていたプラカードのメッセージ「パンをよこせ、バラもよこせ!(We want bread and roses, too!)に由来すると言われる事が多い。パンは生きて行くために必要な「生活の糧」を指し、バラは「尊厳」を指している。言葉も通じない中、過酷な労働条件で働かされていた移民労働者にとっては、単に「食っていける」ことだけではなく、「尊厳」を損なわずに働き、生きることもまた、重要な要求だったのだ。

このストライキの模様は、常に労働者や移民の暮しに光を当てて作品作りをしてきた画家、Ralph Fasanellaによっても描かれている。


そこには、ストライカーたちを取り締まるために整列している警官や民兵が退屈な単色で描かれている。対照的に抗議のために広場に出てきた労働者は、今にも歌い、踊り出しそうなほど活き活きとカラフルに描かれており、様々な出自をもつ移民労働者たちの交差が美しく表現されている。

本書はIパンとバラのフェミニズム、II個人的なことは政治的なこと、IIIジェントリフィケーションと交差性の3部に大きく分けられており、それぞれが短い章立てで構成されているため、とても読み易い作りになっている。

どの文章も生きて行くために重要な概念が、幾つも言語化されており、読み応えがあるが、著者の本領が発揮されているのはII部とIII部だろう。そこからは、著者の息遣いが直接伝わってくるような迫力が感じられる。

I部ではCOVID-19のパンデミックに触れている。

著者はこのパンデミックを

この数十年の間、やはり世界中に蔓延してきたネオリベラリズムの滑稽さ・くだらなさ/欺瞞(ブルシット)であった。

と総括する。

パンデミックと見做される水準に到達するほどに感染が拡大し、多くの国が医療崩壊の危機を迎え、2021年6月末時点で400万人近くの死者を生んでしまったのもまた、ネオリベラルな資本主義がこの数十年の間に医療やケア、公衆衛生(コモンズ)の仕組みを破壊し、切り詰めて来たことの帰結である。私たちが実際に直面している「危機」はCOVID-19によるものというよりは、元来グローバル資本主義ないしネオリベラリズムという災厄によるものである。

紙が好きだ。それを束ねた本はもっと。

という筆者は、16歳になって一人暮らしを始めた横浜で、ニーチェと路上生活者とに出会う。それが著者の人生を決定付けた。

彼ら(路上生活者)には何もなかった、まともなシゴトもカネも安らげる家もあらゆるものを奪われて(あるいは、ときに自ら捨てて)路上を生きている。しかしそれは「失うものが何もない」という無産者固有の「強さ」を生み出してもいた。今思えば、私が路上に通い続けていたのは、そうした「強さ」に魅かれていたからだと思う。

しかし、大学院で「ホームレス調査」に参加し、ホームレスへの聞き取り/インタビューを通して彼らの生活実態や福祉制度との関わり等を明らかにしようとする。著者自身もいつくかの聞き取りを行なった。けれども、調査の報告書で筆者が執筆を担当したのはそこで聞き取った「ホームレス」の「声」の「分析」ではなく、地域に暮らす「市民」から行政に寄せられた「ホームレス」に関する「声」の分析だった。ある「市民」の「声」が、「ホームレス」は「市民」なのか?という問いに対する端的な答えを与えてくれていた。─「ホームレスのせいで市民は危険に晒されている」。この「声」から読み取れることは二つある。一つはホームレスは市民ではないということ。そしてもう一つは、ホームレスは単に市民でないばかりでなく、市民を「危険に晒す」ような敵対的な存在、すなわち「脅威」として認識されているということである。

筆者にとって、聞き取った「声」を基に論文を書くということの困難は、なによりもまず、筆者自身が路上に「通って」いただけで、そこに暮らしていた訳ではない、という事実に由来する。

筆者はそんな人間が路上で暮らす人たちに「ついて」書くこと等できるわけがないと述懐する。

研究者は、いかにももっともらしい「調査」を通して、ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである。そうして、「調査」を立ち上げカネ(研究費)をとり、それを自分たちの「業績」にしていくという行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで、あさましく感じられたという。

筆者にとって、彼らについて「書く」ということは、筆者と路上の友人との間に「書く」者と「書かれる」者との非対称性をはっきりと生じさせるだけでなく、彼らを物理的に「殴る」ことと同等の暴力であり、とても受け入れられなかった。

筆者はIII部でジェントリフィケーションに言及する。

ジェントリフィケーションとは1964年にイギリスの社会学者ルース・グラスが編み出した概念で、資本の「再開発」によって都市の貧困地域の地価が高騰し、その結果貧困層が都市を追われるという現象を指す。ジェントリフィケーションとは、決して階級的にニュートラルな再編過程ではない。それはむしろ、階級的対立を背景に労働者階級の文化・生活・地理を、ミドルクラスのそれに置き換えようとする暴力なのだ。

要するに「開発」とは、その始まりからあまりにも家父長的なのだ。

本書を読み終えて、私は筆者の誠実な言葉たちに対し、どう応えていったら良いのかが分からず、深い悩みに突入してしまった。今の私の生き方は、あまりに不誠実ではないのか?いや、不誠実そのものだろう。そこから抜け出すにはどうしたら良いのか?またはそこに開き直って居座り続けるのか?そのどちらも選び取れない自分の無力さに、しばらく打ち沈んでいた。

本書は筆者堅田香緒里の初めての単著だという。この本との出会いは強烈な印象を私に残して行った。この筆者にしばらく注目して、孤独な対話を続けたいと、今思っている。

20211018

妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ

縄文時代に遡って想いを馳せるまでもなく、歴史的に妊娠・出産は宗教や呪術と密接に結び付けられて来た。というよりむしろ両者は歴史的に不可分な関係にあったと言える。ただし両者の関係のありようは徐々に変化し、近代化と共に、妊娠・出産は宗教や呪術から独立してきたと筆者は言う。


伝統的共同体においてその結びつきは必ずしも肯定的な意味を持ったものではなく、現代の感覚からするとむしろ否定的な意味を付与されることが多かった。

社会学者の波平恵美子は寺社の儀礼から女性が排除される事例や、神聖な空間に女性が立ち入ることがタブーとされた事例に着目し、それは妊娠・出産や月経がケガレと看做されていた為だと論じている。

だが近代に入ると妊娠・出産する女性の身体性に対する見方に変化が現れるようになる。特に月経の社会的位置付けが大きく変容した。その理由として生理用品の変化が挙げられる。

看護学者である小野清美は月経をめぐって現れた変化として、明治期にゴム製の生理用品が登場、普及したことに着目して、月経が個人で処理できるようになった生活の変化について言及している。

こうして妊娠・出産する女性の身体は、伝統的共同体に管理されるものから、個人で決定、管理したり、病院のような専門機関に管理されるものへと、徐々に移行していった。

この変化は妊娠・出産する女性の身体性が宗教から分離し、独立する過程でもあったと言い換える事ができるだろう。

また、妊娠・出産を女性個人のものとした流れにおいて、フェミニズムの影響を見落とすことはできない。特に「産む、産まないは女が決める」というスローガンを掲げた運動は、そのひとつであると言えるだろう。日本でのピル解禁をめぐる論争や、中絶を含む妊娠・出産の選択をめぐる論争も、女性の妊娠・出産やその身体性に対して大きな影響を及ぼした。

特に1994年にカイロで開催された国際人口開発会議で「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」が採択されたことは大きな出来事であった。なぜならこの宣言は、生殖に関する女性の健康と権利を重視するもので、妊娠・出産は女性が決めるものだという主張が盛り込まれていたからである。

1970年代以後に日本社会に出現したスピリチュアリティは、個人主義を重視しながらも、新たな形で宗教や宗教的なものをめぐるある程度まとまった世界観を提示してきた。「スピリチュアル市場」は、そのスピリチュアリティが、消費化や情報化が進む中で「市場」として形成されたものを指す。

ただし、妊娠・出産は「スピリチュアル市場」のなかで初めて宗教的なものと親和性を持ったのではなく、伝統社会では密接に関係していた。それが近代化とともに分離することで、女性が個人的に決定したり管理したりするものへと変化していった。

この社会は、妊娠・出産を経て子どもを持つことに伴う負担を女性だけに課し、常に決断と絶え間のない努力を女性だけに要求してくる。さまざまな困難を経て子どもを産んだとしても、子どもが健やかに成長し、豊かな未来が開けるという確かな展望を持つことができるわけではない。

こうした社会に子どもを産み出すという決断が、困難であればこそ、妊娠・出産が素晴らしい体験であることを願う女性たちの思いに、一層切実なものがあることは想像に難くない。スピリチュアリティはそんな女性たちの、妊娠・出産に対して、特別な価値や意味を付与するものとして現出したのではないだろうか。妊娠・出産が科学を基盤とする医療の管理下で行われる現代でありながら、スピリチュアリティと結び付けられる事情がここにある。

筆者は妊娠・出産のスピリチュアリティに関わるコンテンツについて「子宮系」と「胎内記憶」そして「自然なお産」という三つのトピックに分けて分析している。

「子宮系」は大きく「努力型」と「開運型」に分けられるという。最も多いのは、「努力型」だが、その特徴として運動やマッサージを行ったり、食生活を変えるなどの努力によって子宮の状態を改善することで女性としての美しさや健康を獲得することの価値が強調されている。「開運型」は子宮のありようの重要性を強調しながらも、妊娠・出産を経て母親となることを理想として掲げていない。むしろ、子どもを産んだとしても、母親として生きることからの圧力から自身を解放することが重視されている。

「胎内記憶」とは、生まれる前から子どもが持つとされる記憶のことで、母親の胎内にいた頃だけでなく、子ども自身が「かみさま」と相談して母親を選んだ記憶や、神秘的な体験をした記憶を語り出すというものである。

「胎内記憶」は全く新しいコンテンツというわけではない。2000年代に入って「胎内記憶」が広がる以前から、胎教との関わりで「胎内記憶」は取り沙汰されてきた

胎教とはまだ子どもが母親の胎内にいるうちから働きかけて、その成長を促すという教育ないし養生法のことを指す。胎児のうちから教育的に働きかければ、胎児の知能を高め、倫理や道徳、人間性を育むのに有効だと考えられている。

さらに注目したいのは、「胎内記憶」を信ずる姿勢は、次に述べる「自然なお産」の重要性を強調する姿勢と結びついていることだ。

「自然なお産」を重視する言説は、産科医療の領域で既に1970年代から見られたことである。なぜなら「自然なお産」はニューエイジ運動・文化とフェミニズムとが交差した地点において盛んになったからである。

ニューエイジ運動・文化の領域からは、妊娠・出産への医療の介入に対する反発が生じて「自然なお産」が興隆するようになった。フェミニズムが関係しているのは「自然なお産」が男性中心の医療体制において妊娠・出産が組み立てられてきたことに対する異議申し立てでもあったことと関連している。それが日本の産科医療にも影響を及ぼすようになった。

単純に考えれば、妊娠・出産とスピリチュアリティの親和性が高くなるの連れて、世俗化を促すフェミニズムがそこから排除されるのは自明だと言えるかも知れない。しかし、なぜ、そしてどのようにフェミニズムとの距離化が促されて来たのかについては、一度立ち止まって精査しておく必要があるのではないだろうか?なぜならフェミニズムとスピリチュアリティは必ずしも相反する関係にあるわけではなく、実際欧米では両者が融合している場合もあるからである。

世界的にも、また日本においても、女性の身体についての権利を主張し、尊重する道を切り開いたのは間違いなくフェミニズムの功績である。にもかかわらず、日本社会では妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティからフェミニズムが切り捨てられたのはなぜだろうか?

また著者は「スピリチュアル市場」における妊娠・出産のコンテンツには、男性の存在感が希薄であると指摘する。そのことは家庭を維持していく上で重要なパートナーであるはずの男性に対する期待の薄さを示唆するものである。「家庭」が家父長制の復古ではなく、女性が〈母〉としての役割を全うするための枠組みとして示されているのはそのためである。男性は女性が〈母〉として生きる「家庭」を構築する上で役立つ限りで期待されるに過ぎない。

この事実は自らが蒔いた種によるものとは言え、やはり寂しいものを感じた。

20211016

「人権」がわからない政治家たち

至る所で意見の不一致を見た。世間の評判通り、右派の論客と見て間違いはないだろう。

だが、安倍主導の憲法改悪には、正面から反対の立場を取っている。右派からも弾劾される安倍及びその継承者とは、いかなる権力だったのか(であるのか)がよく分かる。


はじめににある通り、本書は体系立てて論考を重ねたものではなく、『日刊ゲンダイ』に自由に書いたコラムをまとめて加筆したものだ。その分、筆者の考えが前面に出ていると言えるだろう。

私の思いは、野党の支持者だけでなく、真の「保守」を自認する人にこそ問題に気づいてほしいということである。

とあるように、筆者と立場を同じくする保守派に宛てた本なのだろう。

筆者は自民党の改憲論を無知と矛盾の産物であるとし、基本的人権と国民主権を破壊する政治であると批判している。この批判には全面的に賛同する。

一部の自民党議員の中には、大日本帝国憲法を以て理想とする勢力があるが、自民党が掲げる「憲法改正案」などを読むと、その勢力の影響が隠し難く現れていると感じる。

筆者はまた、憲法は身近な存在であり、憲法問題はわれわれの日常生活のどこにでもあると論じる。例えば大相撲は女人禁制であるが、これは憲法14条で「すべての国民は法の下に平等で性別により社会的関係において差別されない」と規定している事から、憲法違反であり、無効な習慣であると主張する。

特に日本相撲協会が「公益財団法人」である点を重視し、相撲協会は国家権力機関に準ずる法的存在である。だから憲法の明文に違反する習慣律を保持して、女人禁制を保っていることはウヤムヤにして済まされる問題ではないとする。

ここ数年起きた、様々な事件に関して、筆者は憲法を軸に、持論を述べている。そして、現在の自民党政権は保守でもないと切って捨てる。

それに対し、野党勢力や国民はどうすればいいのか。それに対しても答えを準備している。それは共産党を含め、全野党が結束して政権交代を実現することであるというものだ。

この提言は今まさに実現しようとしているように思える。

更に筆者は憲法の「改悪」をさせないためにと名打って、主権者として知っておくべき19の憲法の基礎知識を開陳している。

右派としての立場は崩していないが、筆者は一昔前より、言っている事がかなりまともになってきたと感じる。それだけ現在の自民党政権が危険なものだという事を、それは物語っているのだろう。

20211013

環状島へようこそ

 トラウマのアナロジーである環状島モデルの発案者宮地尚子さんが7人の社会的発言者を相手に対話し、環状島モデルの深化を目指した意欲作。対話者は映画監督の坂上香さんを除き、ほぼ全員が臨床家となったのは、この目的から必然的な結果だったのだろう。

専門家同士の対話なので、話の内容はどうしても専門用語が飛び交う難しいものになった。特に略語で話されている時には、初出のページまでいちいち戻って何の略語だったかを確認せねばならず、かなり我慢が必要だった。

だが、それぞれの対話はかなり充実したものになっていると思う。


宮地尚子さんが提唱した環状島に、それぞれの専門と実践から肉付けを行い、モデルがどんどん育ってゆくのが手に取るように感じられた。

環状島は、大海原の中にある孤島である。島はドーナツ状の形をしていて真ん中に〈内海〉がある。〈内海〉の中心がトラウマを受けるきっかけとなる出来事の〈ゼロ地点〉である。〈内海〉から島に上がるところには〈波打ち際〉があり、水と陸との境界をなす。その先の〈内斜面〉を登ると〈尾根〉があり、〈尾根〉を超えると〈外斜面〉を下って〈外海〉へとひらけてゆく。被傷者は、〈ゼロ地点〉付近にいる時は、もっと悲惨な例があると考えてしまい、悲鳴すらあげられない。だが、〈ゼロ地点〉から少し遠ざかると次第に悲鳴をあげられるようになってゆく。そして〈外斜面〉に辿り着くと被傷者は支援者と出会う事も出来る様になり(支援者は〈内斜面〉には入る事が出来ない)、次第にトラウマから解放されてゆく。

環状島の環境は一定ではない。影響を与えるのは、トラウマ反応や症状としての〈重力〉、対人関係の混乱や葛藤としての〈風〉、トラウマに対する社会の無理解を示す〈水位〉の三つである。

それぞれの具体例を挙げているが、その中で編者が、支援・被支援は、しばしば支配・非支配の関係に近づいてしまい、強い〈風〉を巻き起こしやすい。としている箇所が印象的だった。

対話はどれも深く、実りの多いものになっているが、その中でも、境界性パーソナリティ障害(対話ではボーダーと略して語られている)をテーマとした林直樹さんとの対話。そして映画『プリズン・サークル』を観た事もあって、坂上香さんとの対話が興味深かった。

坂上香さんは、監獄をテーマとした映画を観たある女性に「なんかうちの子どもの学校を見てるみたいです」と言われた事が記憶に残っていると言う。聞くと最近「黙食」というのがあって、昼食の時に最初の5分だか10分は、みんなきちんと大人しくした状態で、黙って食べる。その後は喋ってもいいのだけれど、最後の数分はまた急がなければならない。一人でも姿勢が悪かったりする子がいる班は、いつまでも食べる事が出来なくて、時間がなくなっていくから、お代わりが出来ない。そうした例が広まっているようだ。他にも「無言清掃」というものもある。もっとひどくなると「無音清掃」となる。それに比べたら刑務所の方が緩いのかも知れない。と語っていた。

本の内容とは若干離れるが、読み終わって、私がこの手の心理学本に、少し距離を置いていた事に気付いてハッとした。昔はトラウマとなると完全に我が事として、もっとがむしゃらに、没入するようにして読んでいた。

それだけ、私自身の症状が恢復して来たのだろうか?とも感じる出来事だった。

20211009

条件なき平等

 読んでいる途中、そして読み終わってからも、何度か微妙な気分に陥った。

世界経済フォーラムが今年3月に発表したジェンダーギャップ指数では、日本は153カ国中121位だった。これは先進国の中で最低レベルにある。

翻って著者セナックのフランスは16位。

圧倒的な差がある。

だが、この本におけるセナックの意図は、フランスが平等の国であるというのは神話に過ぎないことを、共和国のスローガン「自由・平等・博愛」の再検討を軸に論証するところにある。


セナックの目指すところのものがあまりに高く、彼我の差に改めて愕然とさせられてしまうのだ。

本を開いて、冒頭のエピグラムから驚いてしまった。ヴォルテールと言えば、自由を信奉し『カンディード』などで奴隷制を告発した思想家だと思い込んでいたので、「こうした取引はわれわれの優位性を示している。主人に仕える者は、主人をもつために生まれついているのだ」と言った、あたかも奴隷制を容認し、黒人を差別するような文章を書いたとは、俄に信じられなかったからだ。またフランスの有名文化人らしいラファエル・エントヴェンとか、歌手のメネル・イブティセム、オレルサンなど、日本では余り知られていなかった名前が出てくるかと思えば、ジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ピエール・ブルデュー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルトなど現代の有名な思想家は勿論、『21世紀の資本』のトマ・ピケティまで引用されている。流行作家のミシェル・ウェルベックも登場する。ジョン・ロールズやナンシー・フレイザーなどフランス以外の欧米の学者の名前も並んでいる。

情報量が多過ぎて、浅学な私には消化し切れないのではないかと危惧した。

セナックはフラテルニテ(友愛)という言葉を問題にする。それはフラテルニテが含意しているのは「兄弟たち」の友愛であって、そこからは「兄弟ではない者たち」─女性だけでなく、女性・男性のどちらにも区別されない人たちや、白人ではない「人種化された人たち」─が排除されているからだ。

セナックは「社会的マイノリティ」に対する差別という観点から「人は潜在的に差別の原因となりうる複数のアイデンティティの交差点(インターセクション)に存在している」事、即ち性別、人種、そして社会階級といった社会関係に照らして、差別の基準がどのように関連し合っているかを考察している。

本書を読むとフランスもまだ、全然平等でない国のように思えてくる。何故か?それは平等に関するセナックの第二の問い「どんな平等か?」とも関わっている。

本書のタイトル『条件なき平等』が表しているのは、集団としての特異性の中に閉じ込められる事なく、集団としての特異性によって「補完的に」割り振られる事なく、そして社会に収益をもたらすという「条件なし」に一人ひとりが同類として平等であるという事だ。

「人間として、全ての人が同類となることこそは、一人ひとりの特異性を平等に開花させることができるための条件である」とセナックは結論している。

その為にはどうすればいいのだろうか?まずは「フランスは平等の国であるという神話」から解放されて、平等ではない現実に気付くことである。その上でセナックは具体的な方策として、アファーマティブアクションや非・混在を真の平等にたどり着くための「一時的な」手段として容認するという、本書の大胆かつ辛辣な論法からは意外なほど柔軟なスタンスをとっている。

条件つきの平等すら実現していない日本においては、セナックの考え方は先鋭的過ぎると感ずる読者もいるかも知れない。しかし、セナックが呼びかける挑戦、「人間の多様性が、疎外を招くような個別化へと変化することなく、女性も男性もすべての人がどの人も同類として認められ、同類として生きることを可能にするという挑戦」には同感できるだろう。本書はフランスでの議論なので「兄弟=白人男性」「兄弟ではない者たち=非・男性、人種化された人たち」が問題になっているが、この構図はフランスだけではなく日本にも当てはめて考えることができる。そこにどういった人たちが歴史的、社会的に当てはめられて来たのか、当てはめられようとしているか、私たちには考える義務があると強く感じる。

20211007

氏名の誕生

 ややこしい。

この本は、戦国時代から明治に至る氏名の歴史を丹念に辿ったものだ。


私たちは現在使っているような名前は、昔からの伝統だと思っている。だがそれは150年前、明治新政府によって創出されたものだという。歴史の教科書には大久保利通として知られる人物は大久保利通と出ている。だがこれは当時一般に用いられていた名前ではない。従三位守藤原朝臣利通大久保が正式名称だ。そう呼ばれていた。何故か?それが常識だったからとしか言いようがない。

だが事はそれほど単純ではない。例えば江戸時代、武家社会の常識と朝廷の常識には大きな隔たりがあった。朝廷の常識と武家の常識、そして一般の常識という多くの違いを持つ、いくつもの常識が並行して存在していたのだ。

江戸時代における一般的な「名前」の常識としては、それが社会的立場をも反映していた。つまり「官位」と呼ばれるものと密接不可分の関係にあった。

江戸時代には特殊な名前がある。播磨守、図書頭など正式な官名と分類された名前である。元々はこれらの官位は好き勝手に選べるものではなかったのだが、戦国時代、朝廷の権威が失墜すると共に、正式な官名を自ら選択して、それへの「改名」を申請し、将軍の許可の上で名乗った。その時どの様な名前を選ぶかは、何となく自分の立場に相応しい、そこそこの名前を「常識」で選んでいた様だ。

京都の朝廷社会には、正式な官名を一般の「名前」の用途に使用する者たちが、局地的に多く存在した。彼らは叙位任官して、正式な官名を世間一般で言う「名前」にしている。官名を「下の名前」として使用する事実、及びそれが社会的地位を示す指標として機能していた点は、武家や一般の常識とも共通する。

だが、朝廷で使用される正式な官名の種類は、武家官位とは比較にならないほど多種多様で、更にその「官名」は「転任」などと称して変更も頻繁に行われた。

この本の前半はこの様な江戸時代における名前の常識の解説に充てられている。だがこれは言わばプロローグに過ぎない。

世の中にはやたらと「正しさ」にこだわる人間が存在する。従来朝廷の許可の元名乗られていた名前が、今や殆ど勝手に名乗られている。その事に嘆息する知識人がやがて増えていった。「正名」論の影響を受けた尊皇論者は、名実不一致の現状を是正する事、すなわち「正名」の実現を目標に掲げる様になる。今は世の勢いから江戸幕府に禄を頂いているが、そもそも自分が従うのは朝廷の筈だと考える風潮が強くなってゆくのだ。この「正名」の希求こそが、明治初年における人名の混乱に大きく関係してゆく事になる。

七官制となった慶応4年閏4月21日以降、叙位された徴士はその位階を名前として用いた。すなわち「三岡八郎」は「三岡四位」へ、「中根雪江」は「中根五位」へ、「大隈八太郎」は「大隈五位」などと呼ばれる様になった。

ところが徴士は元来藩士である。その藩との関係から主君(諸侯)と同格の位階を帯びる事に抵抗があったのか、叙位を遠慮する者が続出した。そのため同職の徴士の中に、位階を拝受した優位者が「三岡四位」と名乗る一方、辞退した優位者が「後藤象二郎」など従来の一般通称を称し続け、両者が混在する状況が生じてしまった。これでは「名前」による地位の判別は出来ない。

正しい名前に拘った余り、事態を余計にややこしいものに変えてしまったのだ。

これに平民への苗字の強制が加わる。

苗字の公称は身分標識である。そんな常識が通用していた最中の明治3年9月19日、政府は突如「自今平民苗字被差許候事」という僅か11字の布告文を発した。

だが平民にとって苗字は、いちいち自分の名前にくっつけて名乗るものでも、毎度呼ぶものでもないのが常識だった。「苗字が名乗れなくて悲しい」とか「苗字を名乗れなくて不便だ」と言った意識は江戸時代の人間には皆無である。それが江戸時代の常識だったのだ。

だが僧侶にせよ平民にせよ、苗字が一族名であるか否かなんぞ、どうでもいいのである。「なんでもいいから」管理識別記号の「苗字」を「名」の上につけろ。それが政府の真意であった。

同月29日、政府は「取調に於て不都合」、つまり国民管理の上で不都合だと、苗字使用を強制する新たな布告を出すことを決した。「明治3年に苗字公称を自由化しているが、今後は必ず苗字を名乗れ。先祖代々の苗字が分からないなら、新たに決めて名乗れ」というのである。だが「なぜ苗字を名乗らないといけないのか」その理由を、政府は人々に何一つ説明しなかった。

本書の副題には「江戸時代の名前はなぜ消えたのか」とあるが、筆者はそれが「常識」だったから以外の何の説明もしていない。しかもその「常識」は、時に行き過ぎ、時に大混乱に陥り、時に無理矢理な押し付けといった、必ずしも合理的なものではなかったという事を、史料を示しつつ、丹念に解説している。

改めて伝統とは何かを考えてしまう本だった。

20211003

事実婚と夫婦別姓の社会学

夫婦が必ず同じ姓を名乗らなければならないと法律で規定しているのは、世界でも日本だけとなった。国連女性差別撤廃委員会は2003年、09年、16年の3度に渡って、日本政府に対して制度を是正するように勧告を行なって来たが、政府はこれに応じていない。

この法律が存在する為に、日本で夫婦が別姓を名乗る事を選択した場合、必然的に事実婚の形態を取らざるを得ないのが現状だ。

その為、事実婚と夫婦別姓は固くリンクされたものになっている。


本書は選択制夫婦別姓制実現への足掛かりとする為に書かれている。

事実婚という言葉が人口に膾炙するようになったのは1980年代後半になってからだ。だが事実婚という言葉はそれほど新しい言葉ではない。遅くとも明治期には、事実婚の問題が、政治の場で議論されている。

だが、この本で私は知ったが、当時の事実婚の議論は、保守派が事実婚を支持し、リベラル派がそれに反対するという、現在とは逆の構図になっていた。

明治期の民法編纂事業は明治23年(1890年)に一度結実する(いわゆる旧民法)。だが明治26(1893)年の第三次帝国議会において葬られる事になり、その内容を大きく変え、明治31(1898)年に完成をみる。旧民法は「旧慣の尊重」という立場を取っており、事実婚主義の特質を強く有した民法であった。それに対し、その後の明治31年に正式に制定された民法では、梅謙次郎のもとで厳格な法律婚主義が採用されることになった。

戦前日本で事実婚が多かったのは、法知識が十分に浸透していなかったこともあるが、家族制度に関連した規範や慣行により、正式な法律婚から締め出された女性が多く存在した事が主な要因である。

もう一つの理由は、「妾」が多かったことである。

この状態は戦後に至るまで続いた。

また、法律婚主義の定着を「民主化」の指標と捉える視座は1970年代までは強固に維持されていた。

事実婚の問題が改めて発見され、別の視点から語られるようになるのは、高度成長期が終わり、女性の就業率が上昇した1980年代頃からであった。

姓を変える事によって被る不利益が、女性にのみ課せられている現状への不満が噴出したのだ。

この本では、事実婚を選択した、或いは選択していた11組の夫婦に対して聞き取り調査を実行している。

その調査で印象的なのは、事実婚という言葉では一括りに出来ない、事実婚の多様性だ。実に様々な形態が存在している。

だが、彼らが結婚という形態に拘りを持っている事は驚かされた。

事実婚という言葉があるのでそれを使っているが、実は自らを語る言葉が存在しない。だが明らかに同棲や内縁という言葉では表されないと一様に語る。事実婚による実践を、法律婚と同等或いはそれ以上の家族生活として位置付けている。

この本によって提起されている問題は、深くそして広い。それは家族というものの多様化を視座に含めつつ、議論されてゆかねばならない問題だろう。

教えられる事の多い本だった。

20211001

オリンピックという名の虚構

総合的、包括的なオリンピック批判の論考である。

COVID-19蔓延の中強行された東京オリンピックは、オリンピックそのものが抱える様々な矛盾をかえって明らかにした。だが、本書に示されるような、その矛盾を体型的にまとめ上げた論考は、今迄見当たらなかったのではないだろうか?

本書は筆者ヘレン・ジェファーソン・レンスキーの20年に渡るオリンピック批判の到達点を示すものだ。

筆者はオリンピック批判の中心として、オリンピック産業という概念を据える。オリンピック産業は、スポーツ例外主義(スポーツは「特別なもの」であり、地域的、国家的、国際的な「政治」に汚染されるべきではないとする考え方)を取り込み、IOCが自称する「世界のスポーツの最高権威」という地位を築くことで、人体と心にダメージを与えるようなスポーツ実践を一世紀以上に渡って世界的に形作って来た。IOCと近代オリンピックは時代の産物であり、19世紀の植民地主義、人種差別主義そして性差別主義の起源は未だ消え去っていない。

スポーツはオリンピック産業の氷山の一角に過ぎない。表面を捲ると、その裏にはスポンサー、企業、メディアの権利保有者、開発業者、不動産所有者、ホテルやリゾートの所有者などがおり、全てオリンピックの開催によって経済的利益を得る態勢を整えている。

このようなオリンピック産業の概念は、従来巧妙に隠されてきたが、もはや誰の目にも明らかになり、この概念を疑う者はもはや存在しないと言って良い。


本書によると、フランスの貴族であるピエール・ド・クーベルタン男爵は、近代オリンピック創設の父とされており、非ヨーロッパ人を文明化し、植民地化する道具としてスポーツを取り込んだ事は明らかだ。オリンピックを復活させるという彼の計画は、近代ギリシアの文化を取り入れるという当時の流行にマッチし、1896年にアテネで最初のオリンピックがうまく実現できるようその舞台が整えられた。アフリカ人の参加について、クーベルタンは「スポーツはアフリカを征服する」と述べ、「スポーツの植民地化とスポーツによる植民地化」を宣言した。

1936年、アジア諸国からのアスリートがより多く参加するようになると、彼は次のように述べて熱狂した。

オリンピックのアジア到達は大きな勝利だと考えている。

オリンピズムに関して言えば、国際的な競争は必ず実りあるものになる。オリンピックを主催する名誉を得るのは世界の全ての国にとって好ましい事だ。

クーベルタンの狙いはIOCが世界のスポーツに対してその権力を維持する21世紀になっても実現され続けている。オリンピック憲章は、ガバナンスの基本的原則を次のように定めている。IOCメンバーは「各国におけるIOCとオリンピック・ムーブメントの利益を代表し、促進する…」。

筆者の分析・批判は多岐に渡るが、後半2つの章を費やして語られる、キャスター・セメンヤを始めとするDSD(性分化疾患)規定を巡る論考は圧巻だ。

より速く、より高く、より強く、というオリンピックモデルによって、性別・ジェンダー・セクシュアリティの問題は、二元論的思考が抜き難く定着してしまった。競技スポーツを完璧な男女のカテゴリーへ編成したことは、体形とスポーツパフォーマンスにジェンダーに関連した差異があることの視覚的で象徴的なエビデンスになっているのだが、それが単に社会の規範を反映するレベルを超えているのだ。

2009年以降、欧米白人の思い描く女らしい姿に沿わない女性の陸上選手がスポーツ運営組織によってスティグマを与えられ、貶められる出来事が続いた。

つまり筆者レンスキーは本書の分析を通して、オリンピックにおけるDSD規定の問題は、性差別的であると同時に人種差別的である事を明らかにしているのだ。

TOKYO2020は強行されてしまった。そして、オリンピック産業に群がる人々が権力を握っている限り、今後もオリンピックは開催され続けるだろう。

だが、明らかな事に、オリンピックはもはや、スポーツを通して行われる平和と夢の祭典では無くなってしまっている。

オリンピックは今、大きな曲がり角に差し掛かっている。