20080627

蝉の声を聞く

風に乗って遠くから、蝉らしい鳴き声が聞こえて来た。
かなり遠い所から聞こえる。車の騒音に掻き乱されて最初は蝉の声である事も定かではなかった。ベランダに出て暫く耳を傾け、確かめる。種類迄は分からないが、蝉である事は確かな事と思えた。本当に蝉だったとしたら今年始めての蝉の声だ。ハルゼミだろうか?

いくら何でも蝉にはまだ早いのではないか?と最初は思ったが、もう7月も目前なのだ。

11時23.6℃だった気温は12時に25.8℃に急上昇。やはり今日(27日)はかなり暑くなるか?と覚悟を決めた途端、気温は下がり始め、夜は20℃以下になる。気温が下がり始めると同時に蝉の声も聞こえなくなった。明日も28℃まで気温が上がると言う。今日のように予報が外れるのを期待するだけだが、確かに目立った雲もなく、どうも外れてはくれそうにない。その晴れ間も前線の縁に発生する、細い帯状の高気圧帯のもので、束の間。その西には雨雲の固まりが迫って来ている。束の間の晴れ間に何故これ程の気温の上昇が可能なのだろうか?…とやけになっている。

この季節、前線がどのように動くかで天候は全く異なったものになってしまう。だが、低気圧に伴う雨雲は広い範囲に分布しており、夜からの雨は、これまた避けようがなさそうに見える。せいぜい明日は午前中、また蝉の声が聞こえる事を期待して暑さに備えよう。外気温が28℃と言う事は、室内の気温は恐らく30℃以上になるだろうけれど…。

夏になると、ここから更に10℃も気温が高くなる。暑さに弱い。それに加えて冷房病。外は工事。どの様にしてこの夏を乗り切るか?冬からその事ばかりを考えている。

近くの本屋から、『クラシックジャーナル』が入荷したと言う報せが届く。…どうしよう?暑い最中に自転車で取りに行くのはキツいな…。行くのは良いのだ。帰りのだらだらした坂道を登るのが、今の精神状態では耐えられそうにない。暑さが去ってから、大急ぎで取りに行こうか?…それにしてもひ弱なわたくしです。

夕刻、またベランダに出てみる。かなり分厚い雲が空を覆っている。北の山々からは今日も滝のように低い雲が尾根を越えている。

盆地に差し掛かると、その雲はきれいさっぱり消えてしまう。
盆地部と山間部とでは、天候は全く違うのだろう。このところ北側の山々から尾根を越える雲が途絶えた事がない。
恐らく飯綱高原はまた深い霧の中なのだろう。

20080626

巣立ちの日々?

昨日(25日)は朝から強い日光が射していたが、25℃程度と気温がさほど上がらず、午後からは強い北風が吹き始めた。暑いのか涼しいのか良く分からない中途半端な日だった。

ふと気が付くと、ツバメが5、6羽、群れをなして強い風の中を戯れるように滑空していた。

この飛び方は子ツバメ独特の戯れ方だ。生きる為に必要な事を全くしていない。
午前中の風が弱かったときに巣立ちが行われたのかも知れない。一昨日は親が単独で啼いていた。巣立ちが昨日だった事は、ほぼ確かな事だろう。
巣立ちの日なら、親ツバメは結構律儀に子ツバメを見守っている。

昨年はバランスの取れない子ツバメが電線に留まる練習をする姿を見た。必要以上に力んだ足で前や後にバランスを崩しながら、必死に電線にしがみついていた。あのような状態では昨日午後の強風の中で電線に留まるのは無理だ。或いは巣のある木立の中で巣立ちが行われたのだろうか?戯れていた子ツバメたちは、群れを成すように電線に留まり、その姿もなかなか堂に入っていた。

今日は朝から雨の予報。いつ雨が降り出してもおかしくない、分厚い雲の下、他の巣の子ツバメと思われる群れが戯れていた。

興味深い事に、巣によって少しずつ啼き方が異なる。例のやかましいツバメも子孫を残したらしく、4時頃、全ての子ツバメが「やかましく」啼いていた。何故か少しだけ嬉しく思えた。やかましいけど…

この付近、ツバメの啼き声は一体どうなってゆくのだろう?

一滴も雨が降らない。

20080624

辞書引き麻薬

挫折寸前だった。

語学の事だ。先週は暑さにやられ殆ど予習をせずに放送を見る。火を見るより明らかな大敗北。総じて6月は敗北の月だったような気がする。内容は気に入っていたのだが…。

大体内容が難しくなって来たと言うのに勉強時間が減ってしまっては理解度が低くなって当然の事だ。当然の事なのでその事は理解しているのだが、それでも尚わたしは勉強しようとしなかった。ダメなわたくしです。

フランス語の、ドラマ仕立てのスキットは終わってしまった。これで学習が半分終わってしまうのかと思うとぞっとする。

まあまあだったドイツ語も急速にペースダウン。半分を目前にして、ここ迄か…。真剣にそう思った。

ま、悪あがきと考えて…と、フランス語の予習を始めたのだが、一旦始めるとなかなか止められなくなる。辞書を引くと言う行為にはどこか麻薬じみた依存性が潜んでいるに違いない。

またまた梅雨の中休みか?と思うような清々しい天気。だが、北側の低い山々には朝から尾根を越える雲が休みなく流れ込んで来ていた。
歯医者の帰り、かなり長い時間、その流れを見ていた。あの山々の向こう側、飯綱高原は深い霧に閉ざされているのだろうか?或いは雨か?

東側の山々には夏を思わせる雄大積雲が連なっていた。

北と東とで全く違う季節を見ているような気がした。

家に帰り着いてからも風に当たりながら空と山々を見ていた。かなり北風が強い。

清々しさと湿り気と、北風と強い日光と、それらが微妙なバランスを保ちながら今日という日を作り上げていた。

それらを見ているうちに、このところ取り付かれていた閉塞感から抜け出す事に、いつの間にか、成功していた。

20080618

物見遊山が足りない

昨日はいろいろと反省させられた。以前程ではないと思うのだが、わたしのBlogを読んでいて楽しくない。これはかなり重大な欠陥だ。人は、楽しくない物を何で好き好んで読もうとするだろう。

物見遊山が足りな過ぎる。

かと言ってすぐにどこかへ出掛ける時間も先立つ物も、これまた足りないのだ。

仕方がないので朝、散髪に出掛ける。
鏡を見るとどうにもしまらない顔をしている。やはり社会との接点を増やさないとあかんなぁ…と、これまた反省させられた。

とりあえず、鬱陶しい髪型では無くなった。何よりも頭が軽い。帰って来て、昨日より涼しいのではないか?と感じ、天気サイトを見る。29.5℃。…むしろ暑いではないか!

恐るべし、髪の毛の保温効果。…湿度が低いせいかも知れないが。

14時。気温は遂に30℃を記録した。

20080617

焦り

朝、菅平と横手山に傘雲が掛かっていた。やはり天候は下り坂に入るのかも知れない。

意欲が湧かない事が焦りにつながっているようだ。

机横の本棚からカレル・チャペックを片付け、ゲーテの『イタリア紀行』(岩波版)とラブレーの『ガルガンチュア』『パンタグリエル』を持ってくる。

…これは、焦っているな。と気付き、再び片付ける。

会話ではなく、文学をやりたい。その気持ちは強い。
だが、フランス語もドイツ語も、聞き取れず、言い表す事も出来ていない。
最初は目指すところの指標のつもりで持ってきたのだが、これは以前、『若きパルク』や『ハーフィズ詩集』を購入した時と全く同じ事を繰り返している事に気が付いたのだ。

現在わたしの能力ではフランス語会話とドイツ語会話のテレビ放送の予習・復習、そして少しずつ読んでいる『Werther』だけで手一杯なのだ。そのような状態が4ヶ月ほど続いている。

わたしが天才ならばテレビのフランス語・ドイツ語会話など余裕でこなし、『Werther』も既に読み終わっているだろう。だが、わたしはもっと安心した方が良い。天才ではなかったようだ。現在やっている事だけでも殆ど自分の限界を超えつつある。

わたしの足は一歩ずつしか先に進まない。

かつて、子供だった高校生の頃は思い上がっていた。理科系か文科系かを選択するとき、文科系の勉強ならば自分ひとりでもやってゆけると考えたのだから。

この歳になってフランス文学の奥深さを思うと、目が眩むような遠い道のりを感じる。あの意味の豊かさをどの様に学んでいったら良いのかも良く分からない。ドイツ文学然り。最近も繰り返し読んで来たゲーテの本の有名なシーンで出て来る作家の名前によって示されている作品を教わったばかりだ。そのような事は同時代人か、ゲーテ研究者でなければ知る事は出来ないものと勝手に決めつけていた。今思うと、調べようと思えば何とか辿り着けたかも知れない。調べる術を知らなかったのだ。この情報化の時代に…

だが、理科系を選択した事は幸運だったと思っている。
高校の頃は、文学ばかりに熱中していた。あのまま文学部に進んだらわたしの世界はさぞや主観的なものになっただろう。

理科を学ぶ事で、客観的な観察眼と、論理的な思考を学ぶ事が出来た。

とは言え、そのまま学者にならずに良かったとも思っているのだ。

地質学のそうそうたるメンバーが集まる掲示板を読むとその思いが強くなる。
あれはあれで良い。そうも思っているのだが、現在の科学を専攻して、バランスの取れた世界観を獲得する事は、ゲーテの時代と比べてはるかに至難の技となっている。彼ら学者の世界は極めて狭い。世界を狭くしても尚、学問の行く手は遠い。勿論例外的な人物は結構居るのだが…

ふと思う。現在の学者たちが営んでいる事の殆どはある情報を別の形の情報に翻訳する事と、溢れかえる情報を整理する事なのではないかと。

このような事を思いながら、わたしは理科系でも文科系でもない、どっち付かずのろくでもない人生を終えるのだろうが、わたしはそれでも良いと思っている。

古いタイプなのだろうか?『若きウェルテルの悩み』と『イタリア紀行』には深い思い入れがある。かなり自分の人生と重ね合わせて読んでいると言って良い。
ゲーテとわたしの違いは、脱走の期間の長さに如実に表されてはいるが…

ゲーテはきちんと短期間で脱走を終え、「帰って」来ている。わたしは遂に帰ることが出来なかったような気がするのだ。

「行きっ放し」のファンタジーが何と多い事か。それは科学にも言える事だ。

科学であれ、ファンタジーであれ、その成果は公共性の場に戻る事なしに十分な責任を果たす事は出来はしない。

ところで公共性とは、どのようにして獲得されたものなのだろうか。または歴史の中で何かが変質して来たものなのだろうか?

神話になぞらえて言えば、イピゲーニエ以来連綿と続けられて来た復讐劇が、オレステスで途絶えたのは何故なのだろうか?恐らく、オレステスは公共性の名の下に生きながらえる事が出来た。わたしにはその様に思えて仕方がない。

会話のレッスンに飽きると、途端にわたしはそのような事を考え始める。

語学のテキストの内容は、わたしの現実とは殆ど関わりがなく、機械的に予習をしていると、思考はどんどんそこから逃げようとする。
けれど、日本語とは明らかに異なる言い回しや慣用句に出会う事は多い。
その中に、わたしたちとは異なる思考形態を見いだす事は容易い事だ。

語学を学ぶ事の魅力のひとつは、日本語の思考形態とは異なる、別の思考形態に出会い、それを理解してゆく悦楽なのかも知れないと、最近になって思うようになった。
多分その理解を欠いたところで、公共性という概念のひとつも充分に理解する事は出来ないのではないだろうか?

神話は復讐劇に満ちている。
肉親を殺された者は復讐して良いし、復讐すべきである。そうした法に則って、社会が動いていた時代が確かにあったのだろう。

現在、復讐の連鎖を如何に断ち切るかという視点から、様々な議論が行われている。
だが、それとは異なる思考形態が明らかにあったのだ。

そして、世界の異なる地域では、異なる歴史の産物として、公共性という概念が支配的になった。

異なる思考形態には異なる歴史がある。恐らくそれは言語の中に刻み込まれていると、わたしには思える。

それを読み取りたい。
…やはり文学志向が強いのだろうか?言語を単なるコミュニケーションツールとしてだけ扱う気にはどうしてもならない。

具体的なレッスンに戻ろう。

20080615

不調

空振りは続くものなのだろうか?

東北地方で大きな地震があった。長野も揺れたらしい。わたしはそれを知らない。

土曜日の朝はフランス語の再放送がある。予習なのか復習なのか、とりあえず準備をして立ち向かったのだが、好調に思えたフランス語もかなり穴がある。そのことだけは良く分かった。

この頃ひどく意欲が減退している。生活の習慣を是正する事、それに挑んだのだが精神状態は不安定になった。是正すべき事は是正した方が良いので、続けてみるつもりだが、あまりの意識の混迷に呆れ果て、少しペースを落とす事にした。いきなりではなく、少しずつ変えてゆく方向に転換してみた。だが、一度落ちた精神状態はなかなか元に戻らない。

語学の勉強の中で「付いてゆけない」状態に陥る事はむしろ当たり前と言って良い。これで良いのだ!と開き直ってみるが、以前程楽しくはない。

自転車で坂を登っているような感覚で勉強して、放送に出来るだけ集中するとそれだけで限界を感じてしまう。本当の限界はもっと先にあるのだろうけれど…。

だが、高揚した気分は、これまたなかなか収まりが付かない。本来は朝飲むものではないだろうとは思うのだが、休みたい一心で睡眠導入剤に手を出した。これが失敗の元…。

ようやく眠りを捕まえた頃、女房殿が声を掛けて下さった。「地震があったらしい。相当大きかったようだ」。あれもしなければ、これもしなければと夢の中で足掻くように思いながら、結局ジタバタするだけで立ち上がれず、何も出来ずに終わる。

わたしにとって、これはかなりダメージが大きい出来事なのだ。

いつもならば急いで地震の情報を掻き集めている。

全く出来ないまま、一日が終わった。

地震は「岩手・宮城内陸地震」と命名され、幾つもの被害を出した。亡くなった方もいらっしゃる。その方々のご冥福を祈らずに居れない。

その後、ある程度情報を集める事が出来、地震のイメージも出来てきた。だが、それを何かにまとめて発信する気力がどうしても出てこない。

その精神を掻き乱す出来事は多い。
意欲が減退していると言う事は、感情を抑える意欲も減退すると言う事であり、時折、自分でも抑え切れない感情に心が支配されてしまう。

あまりジタバタしても精神状態は、そう簡単に上がっては来ないだろう。むしろ逆効果の連続となる可能性のほうが高い。
仕方がない。

今は身体から力を抜いて、淡々と日々の勤めをこなしてゆくしかないだろう。

今日(15日)は天気も良く、紫外線たっぷりの日光が一日中降り注いだ。その割には気温は低く少し助かった。

深夜になって散歩する。少しは頭が冷えただろうか?だが、これでは散歩と言うより、他の方の言い回しの真似なのだが、殆ど徘徊だなぁ。

しかし、妙な天候が続く…

20080613

週間天気予報

最近、週間天気予報が当たったのを見た事がない。
今週は木曜日が一日中雨で、その後梅雨前線が急速に南下し、梅雨の中休みに入ると言う話だった。だが、芒種以来、長野市内では雨を見た事がない。

すっきりと晴れる事はなかったが、雨でもない。そうした中途半端な形で天候が推移した。

その間も、何度か雨の予報は出されていたのだが、軒並み外れた。この時期の天気予報は難しい。前線が少し北に上がったか南に下がったかでがらりと天候が変わる。

難しいにしても前日には何とか正確な予報が出されていたのだ。今迄は…。今日(13日)に関しては全くの外れ、それも直前に出された予報すらも完全に空振りした。

確かに、わたしは午前6時、某サイトの天気予報を確かめた。梅雨明けのような天気で、気温は29℃に達すると書かれていた。そして、確かに、夜、星空は久し振りに美しく、朝の日差しは眩しいものだったのだ。

しかし、10時頃まで上昇し続けた気温はそこから横ばい状態。恐れていた暑さに悩まされなかった事は幸運だが、ここまで外れると大きく空振りしたような感覚に陥り、むしろ疲れる。

一日中降り注ぐはずだった日光は雲に隠れ、いつの間にか通り雨すら予想されている。

歯医者に行った。
診療時間は非常に短かったのだが、帰りには雨粒が落ちてきていた。洗濯物がベランダに出してあるのが気に掛かり、殆ど小走りで帰る。
洗濯物を取り込むと雨は上がった。

まさしく通り雨。直前の予報だけあって、これだけは見事に当たった。

20080605

芒種

梅雨に入ってから芒種、と言うのも変な話だ。

宣言が出された途端、からっと晴れ渡る。そうしたパターンではない梅雨入りというのも最近では珍しいのではないだろうか?

今日(5日)は予報通り夕刻に雨が降る。

降る雨を見ながら、木曜日恒例となって来ている語学懺悔に身を沈める。

今回はドイツ語がダメだった。それなりに予習していたのだが、やはり数字や時計が絡んでくると苦手意識が露骨に表に出てくる。要するに放送はそういった内容だったのだ。言い方は大体分かった。が、数詞を素早く言えない、また、聞き取る事が出来ない。数詞に意識が取られると、他の内容が聞き取れない。

聞き取れなかった内容をメモして、調べているうちに朝になってしまった。勿論調べきれるものではなく、結局今日一日は辞書との格闘となってしまった。
そして、にもかかわらず覚えては、勿論、いないのだ。

極めて低レベルの話として、フランス語はそれなりに理解できたのではないだろうか?

夜になり、いきなり寝室が暗くなったような気がした。今日はダイニングルームと寝室の間の襖を開け放して仕事をしていた。こちらの方が解放感があって過ごし易いのだが、ここに来て初めての事だ。今迄は何と無く集中力が薄れるような気がして、出来る限り空間を狭くして仕事をしていた。やってみると、それ程集中力に影響する訳ではない事が分かった。

結構快適だ。

その環境にも慣れた頃、ふっと寝室が暗くなったような気がしたのだ。

部屋の蛍光灯と枕元のスタンドをチェックしてみる。不備なし。他に灯りは無い。

暫くして気が付いた。駐車場の灯りが点いたのだ。ダイニングの外がそれに照らされ、相対的に寝室が暗くなったように見えた。

フランス語が好調だったように思えたのも、ドイツ語の余りの不調に因るものかも知れない。
芒種。わたしに畑は無いが、何の種も蒔かれていない。

山の緑が次第に黒々としてきた。夏山の風情だ。

20080602

入梅

近いと言っていたらもう梅雨に入った。

雑節では入梅は立春から135日目、大体6月11日頃の事とされており、そこから30日間が梅雨となっているのだが、最近では気象庁が宣言して決定する事になっている。いつからそうなったのか?調べれば分かるかも知れないのだが調べていない。あまりその気になれないからだ。

とにかく本日(2日)近畿から関東甲信に梅雨入り宣言が厳かに宣言された。わたしとしては、ははーっ!と平べったくなってお受けするしかない。

だたお受けするだけと言うのもつまらないので今日のうちに通院する事にした。今日の夜から明日の昼にかけて、雨が予想されている。自転車で通院するとしたら今日のうちに済ませておいた方が気が楽になれそうだ。

ただ、人間と言うものは大体同じような事を考えるだろうから、混雑するかな?その心配はあった。若干調子が悪かったので不安になり、一瞬迷う。

ならば読みでのある本を持ってゆけば良い。

だがこのところ読んでいる本は『Die Leiden des jungen Werther』だ。ちょっと気が引ける。まさか待合室で辞書を引く訳にも行くまい。

漱石にしようと思い付いた。

『三四郎』『それから』『門』の三部作などを手に本を選んでいたのだが、どれも精神科に持ってゆくべき本であるとは思えない。第一これを手に取る事自体、わたしは見栄を張っている。
ふと昨年購入した岩波の全集で『猫』を読んでいない事に気が付いた。旧仮名遣いで読んだらどのように感じるのだろう?そう思っただけでも心がそわそわして来た。

病院に辿り着いてみるとやはり混んでいた。暫くは坐る場所もなかった程だ。辞書を持ってこなかったのは正解だ。
おもむろに懐から(だったら格好良かったのだが)ではなく鞄から『猫』を取り出し読み始める。想像していた以上に面白い。

そもそも最近『猫』を読んだのは何年前の事だろう。途中迄を含めても、もう10年以上は経っている筈だ。

没頭して読んでいたら大学生くらいの年頃の女性に席を勧められた。ありがたい出来事である。
…であるのだが隣に坐る事になったその女性からは強烈と言っていい程の香水の匂いが漂って来る。こちらは下手をすると自転車に乗って来て汗臭くなっているかも知れない。香水の強烈さにも辟易したが、この匂いとわたしの汗臭さが混じったら一体どんな香りとなって辺りに漂うのか?そちらの方が気になって仕方がなかった。漱石ならばどのように表現した事だろう。

その女性はお決まりの如く携帯を手にもって猛烈な勢いで文字盤を押している。実に素早い。感心してしまった。

人間の慣れと言うものは、それでも、恐ろしいものがあり、暫く経つとそれらも気にならなくなって『猫』に没頭してしまった。それ程迄に旧仮名遣いの『猫』は面白かった。

漱石が鬱屈を晴らす為に書いたと言う事をどこかで読んだ事がある。しかし、それだけではあるまい。かなり落語の要素が感じられる。旧仮名遣いで読むと、漱石が江戸の人だったと言う事が伝わって来る。

わたしの義兄は古くからの東京人で、薩長の話になると嫌がる。

団塊の方々の薩長好きにも呆れた所があるが、彼の薩長への偏見も大したものがある。最近流行の『篤姫』も断固として見ようとしない。きっと漱石もそうしたに違いない。
尤も、漱石がTVを見たかどうか?怪しいものだ。

結局2時間程も待たされたのだろうか?

携帯と香水の女性に感心していたり(ところがどのような顔をしていたのか全く覚えていないのだ)『猫』に没頭したり、漱石だったらどうするかを考えているうちに、その2時間はあっという間に去り、全く待ったと言う気がしなかった。

頭の中ではどういう訳かモーツァルトが鳴っていた。

名前を呼ばれた事にも暫く気が付かず、慌てて診察室へ
しまった!最近の調子の悪さをどのように説明するかを考えていない…
診察室に入ると医師が顔を見て仰った。

「今日は随分と調子が良さそうですね」

荒れているなぁ…

Blogを読み返し、思わず削除をしたくなった。とりあえず6月。ここからまた「再建」を始める事にして残す事にした。

荒れている。

内容も荒れているが、日本語が荒れ放題だ。
考えてみると最近推敲と言うものをあまりせず、下書きをしてそれをそのままUpする様な事を繰り返して来た。文章が荒れるもの当たり前と言うものだ。荒れた文章で愚痴に近い事を書き綴って、…それが何になると言うのか?第一、自分で読んでいて恥ずかしいものを他の人が楽しんで読む可能性はない。

にもかかわらず、書きなぐりたくなるような事を溜め込んでいるのも精神衛生上あまり芳しいものではあるまい。どうする?何十年振りかで個人的な日記を書き始めようか?

梅雨が近い。

普通の人ですら鬱陶しくなる季節。
語学の勉強とヨーガで何とかここ迄鬱状態に陥らずにやって来れた(と、本人は信じている)。この調子だけは崩したくない。語学の勉強はふた月しか経っていないが、見方を変えれば1/3を消化した事になる。やや緊張感が薄れて来ているが、ここで鬱状態に陥ってしまっては何もかも「終わり」になってしまうだろう。

鬱陶しい梅雨の後には夏と言う難敵が控えている。この一年間を何とか乗り切る為には何が必要なのだろう?

よく言われる言葉だが、初心に返るべき時なのだと思う。

強いか弱いかはあまり大した問題ではないが、強ければ、少なくとも弱いより面白い。強い心でこの面白くもない世の中を少しでも面白く生きたいものだ。

最近遅く啼き始める様になっていた鳥が、今日は定刻に啼き始めている。見習おう。