うかうかと生きているうちに前回の更新から2週間が過ぎてしまった。今回は何もしなかった訳ではなく、何やかやといろいろな事があったのだが…どうだろう?自分で何をしたかと問うと、心許なくなる。
13年目を迎える阪神・淡路大震災の日があり、今年も引き寄せられるように関連記事や、過去のデータをひっくり返して様々なことを考えてしまった。
阪神・淡路大震災辺りから、「忘れられない日」「忘れてはならない日」が多くなった。とは言え、防災や減災に奔走していると言う訳ではない。
専門家の皆様の姿勢に、どうしても納得がゆかないのだ。わたしもそうであったのかも知れないが、ただ単に災害を食い物にしている方々も、想像以上に多い。
この事に思い巡らすようになったのが、阪神・淡路大震災だったと、個人的には思っている。わたしの目にようやく被災者の姿が具体的に映り始めた。
それまでは災害と被災地はあっても、被災者の姿を見ようとしていなかったと感じる。例え、被災者の方々と対話する機会はあっても、被災者を知ることは少なかった。
今年は神戸新聞社が出しているCD-ROM、『“最初の一週間”<阪神・淡路大震災>』を購入し、17日からの1週間を追体験した。
神戸新聞社は社屋が震災によって倒潰し、最初の一週間、新聞を殆ど出す事が出来なかった。その為に神戸新聞社のサイトを探しても、震災直後の記事を探し出す事は出来ない。
この事情は他の地元報道機関も同様であり、謂わば「失われた一週間」だった。
このような追体験をしていた為、1月17日前後、わたしは13年前に遡って存在していたに等しい。自分の記憶の生々しさと、しばしば闘わなければならなかった。
その後、今度は全く個人的な事情でBlogどころではなくなっていた。
半年ほど前の健康診断で肺のX線写真に陰が映り、再検査が必要とされていた。一度再検査をしたのだが、「腫瘍が疑われる組織なし」の判定に浮かれてしまい、翌月予定されていた(らしい)追跡検査を受けないまま、放置していた。
病院から電話が掛かってきた。
半ば楽しみながらではあったが、不安がなかったと言ったら嘘になる。検査日が近付くにつれてそわそわし出し、あわよくば回避できないものかと画策したりもした。
病院の、あの「治療的雰囲気」のようなものが未だに不得意なのだ。圧倒され疲れ果てる。
それでも自分の身体の中味がわかるCTスキャン写真には大いに興味があり、出来れば譲って貰いたいくらいだった。その為には結構なお金が掛かる。我が家に無駄遣いする余裕は全くない。不承不承諦めざるを得なかった。
結果は前回から変化がなく、少なくとも悪性の腫瘍と疑われるものは無いと判断出来るそうだ。今回は浮かれる事無く、事後の注意事項もきちんと聞いた。念の為、7月にもう一度検査をするとの事。
面倒なので断ったのだが、聞き入れて貰えなかった。
X線写真に映った陰は、かつての病巣の跡らしい。
あの時、わたしは本当に癌だったのだなぁ…と夢のように思う。
何もしなくても、また、あれこれあってもわたしのBlogは途絶える。
ただ、わたしという人間のだらしなさに呆れるばかりだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿