その本が私の部屋に来た時、それは登れそうにない山、渡れそうにない河のように厳然と聳えていた。そして読み始めてすぐ分かったのだが、その本はただ単に巨大なだけでなく、内容も難解と言って良く、展開されている議論の密度も途方もなく高かった。
著者スティーヴン・ジェイ・グールドは、この本を書くのに20年を要している。まさにライフワークと言って良い。そうした本が、それほど簡単にモノにできるとは思えないが、それにしても立ちはだかるハードルは、途方もなく高かった。
それでも何とか読む気になったのは、同時期に三中信宏さんがこの本をお読みになっており、twitterで次々と「自己加圧ナッジ」をあげ続け、それを更に自身のブログ「日録」で再録してくださった事が大きい。加えて氏の著書『読む・打つ・書く』、『読書とは何か』は、この『進化理論の構造』を読み進めるに当たって、貴重で有効な助言となった。特に目次を全体の中のどこを今読み進めているかの位置を確認するマップのように使うという示唆は、実に役に立った。
昨年12月25日にこの本を読み始めて、2ヶ月近くを費やしてしまった。実際に読み終えるまで、自分でも読み終える事が出来るとは実感出来なかった。実際、途中で何度も滑落しそうになったし、遭難も仕掛かったが、その度に『日録』と目次に戻っては自分のいる位置を確認出来た事が、この本を読むという登攀行為を成し遂げられた大きな要因と言って良い。三中信宏さんにはこの場を借りて、深くお礼を申し上げたい。お陰で『進化理論の構造』という大山脈の登攀に、何とか成功した。
その三中信宏さんも申しているように、この本は読者を選びまくっていると思う。進化論について深く学び、考え、悩んで来なかったら、そしてスティーヴン・ジェイ・グールドの本を何冊か読み続けて来なかったら、この本を読み続ける事すら不可能であったと思う。
とは言え、この本の概要をブログサイズで纏める事は、私の力量を遥かに超えた作業である。スティーヴン・ジェイ・グールド自身がこの本の冒頭で、要約を挿入しているが、それすらも47ページもあるのだ。
読み進めていて、重要と思われる箇所にノードとしてブックダーツを挟み込んでおいたが、それを要約し、纏めるだけでも、一冊の本になるだろう。
別の章でスティーヴン・ジェイ・グールドは書いている。
本書はダーウィニズムの前提を拡張し変更する試みであり、拡張された独特な進化理論を構築する試みである。新たな進化理論は、ダーウィニズムの伝統内とそのロジックの下に留まってはいるが、小進化の仕組みとその外挿方式がもつ説得力の埒外にある大進化の現象という広大な領域を説明可能なものとする。しかもそれは、そうした小進化の原理が原則として一般理論の完全な集成を必ずや構築するのだとしたら、偶発性による説明に割り当てられることになるはずのものなのだ。
この本の書名についても説明が必要だろう。本書では冒頭から、ミラノ大聖堂という建築物のメタファーが語られている。現在の大聖堂は、14世紀後半に建てられたゴシック様式の基盤に、後にバロック様式が加味され、さらに最後には、未完の建物の屋上に幾つものゴシック様式の尖塔がナポレオンの命令で建造された代物なのだ。
このアナロジーと本書の書名の関係についてもスティーヴン・ジェイ・グールドに語ってもらおう。
ダーウィン流のロジックの核心部分は、変更を受けないまま、進化理論全体の最重要項目であり続けている。しかし進化理論の構造自体は重要な変更を加えられており、拡張や追加や再定義を重ねることで別の新しいモノへと姿形を変えている(核心部分から太枝が四方八方に伸びている)。ようするに「進化理論の構造」は、たくさんの変更を抱えつつも論理的首尾一貫性を保ち続けている複合体であり、知的な作業として、永続的な探究と挑戦に値する対象なのである。
この本は、全体がダーウィンへの深いオマージュでもあると同時に、自然淘汰説と漸進説を根幹とするダーウィンの進化理論を拡張する試みということになる。リフォームの主眼は階層論の導入という構造的なものであり、階層ごとに異なる進化の仕組みを導入することで大進化を説明しようとする壮大な試みということになるだろうか。
本書を読み進める中で、私はダーウィンのロジックを数多く誤解していた事に気付かされた。その意味では私にとってこの本は進化論のよき解説書の役割も果たしてくれたと思っている。もう一度『種の起源』を初版と第6版で読み返さねばならないと感じている。
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