20220316

聖母の美術全史

大きく出たなぁ!という感想がこの本を手にした最大の理由だ。何しろ「全史」だ。普通の厚さの2倍は優にあるとは言え新書だ。その新書1冊の題名に全史を謳う。その度胸の良さが気に入った。


だが読み始めて、知識量の多さに流石に舌を巻いた。更に、論ずるところの範囲も、西洋は勿論として、南米、アジア、日本と網羅されており、時代も古代から現代に至っている。伊達に全史と名打っている訳ではないなと納得した。

キリスト教の中で聖母マリアは特別な位置を占めている。神ではない。ただの人間だ。だがキリストを産んだ。その事によって、独自な聖性を帯びるようになった。キリスト教の布教に於いて、聖母マリアは更に特別な存在となった。世界各地には、それぞれ独自の女神信仰を持っていた。その女神信仰と聖母マリアが合体し、聖母マリアは各地で深い信仰を集める事になった。

聖母信仰は当初から像と共にあった。ヨーロッパでは5世紀に神の像を描いたイコンが現れているが、それより遥か以前に聖母像は現れていたらしい。それはローマ郊外にあるカタコンベに描かれていたものだ。聖母像がいつ成立したかは分かっていない。何しろキリストの弟子ルカが描いたという伝承を持つ聖母像も存在するのだ。

当初1日もあれば読破出来ると踏んでいたのだが、思いの外時間が掛かった。それは聖母像を描写するその筆致が詳細で、微に入り細に入り描かれる聖母像の形式を読み進めるのに手間が掛かったからだ。オディギトリア型とかエウレサ型とかブラケルニオティッサ型とか言われても、そう簡単に頭に入って来るものではない。なぜそう呼ばれるかの理由も、勿論説明されているのだが、その読解にもかなりの忍耐力が必要だった。

かと言って、この本は聖母像の聖性だけを描いている訳ではない。

反ユダヤ主義との絡みも一節を使って解説されている。中世にペストなどの災禍が起こるたびに、ユダヤ人は敵視され、井戸に毒を流したなどのデマが流れ、虐殺される事があった。「磔刑」や「嘆きの聖母」の主題も、しばしばその陰でキリストを処刑したユダヤ人への敵意を喚起するものとなった。その背景には、十字軍や戦争、ペストの流行や経済の衰退といった社会不安があった。ユダヤ人はキリスト教徒の敵とされ、こうした不安や不満の捌け口にされたのだ。

教会内の聖画や聖像は教義上では神を見る窓に過ぎないが、多くの信者にとっては、像自体に聖性が宿っており、生きている存在だった。その作者が問われることは少ない。奇跡を起こす聖母像の多くは、土に埋もれていた、樹木に隠れていた、海から引き揚げられたといった、その発見自体が奇跡として伝えられているものが多く、それが作者や制作時期よりも重要だった。

この辺りは例えば浅草観音が海から引き揚げられたと伝えられている事にも通じ、世の中の信仰とは、洋の東西を問わず似たところがあると感じさせられた。

日本にも教会があり、そこには聖母像が飾られている。そうした意味で、身近な存在と思えていた聖母像の歴史も、深く掘り下げてみると、意外な側面が多かったり、知らない事だらけだったりだという事をこの本を読む事で知らされた。

また、良い本に出会う事が出来た。

ただ載せられている図版がどれも白黒で小さく、図の判読に苦労させられたのは残念だった。出来れば新書ではなく、図もカラーで大きく載せられる大きな本だったらと思わざるを得なかった。

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