20220328

進化生物学

恐ろしい程高い密度を保った本である。進化生物学に関する情報が、この一冊の本の中に凝集されている。

加えて、図表や参考、コラムが充実しており、それを読み解くだけでもかなりの集中力と根気を必要とした。


本来ならばこの本を教科書にして、1年くらい掛けて解説付きでじっくりと取り組むべきなのだろうが、図書館から借りた本には返却期限がある。泣く泣く急ぎ足でざっと通読した。

しかし、急ぎ足で読めたのは、前にスティーヴン・ジェイ・グールドの『進化理論の構造」を読破しておいた事が大いに助けとなった。進化論の概要が頭に入っていたので、ゲノミクスに関する記述も恐れずに読む事が出来たのだ。

進化論の歴史から、無機物から原子生命体が形成されるメカニズム、生命の誕生、真核生物の出現、多細胞化と有性生殖の獲得、生物の陸上進出、エボデボ(進化発生生物学)と言ったトピックスを著者は手際良くまとめ、丁寧に解説している。しかもその内容が新しい。どのトピックも現在の生命科学の最先端を紹介していると言って良い。

今迄、曖昧だった概念がこの本によって明確な輪郭を与えられた事例も多い。原始生命体の発生と粘土鉱物の関係も、具体的に開設されており、やっと納得出来る科学理論として、私の中に定着させる事が出来た。

個人的には、動物の陸上進出のきっかけとして、オウムガイによる捕食圧が関係しているという解説には大いに納得するところがあった。

今迄生物の陸上進出は、シアノバクテリアや藻類の働きによって大気中に酸素が増え、それが宇宙線によって分解・合成されてオゾン層が形成されることで陸上に到達する紫外線が激減し、陸上も生物の生存が可能になったとする解説ばかりで、なぜ陸上化しようとしたのかの解説には全く出会っていなかったのだ。

この本で一通り進化生物学をゲノミクスによって解明するとどの様なストーリーになるかを学んだ後、巻末で進化重要語集として進化年代表や基礎的な用語の解説が纏められているのも嬉しい配慮だ。曖昧な理解だった事がこれではっきりと再確認出来た。

残念なのは充実した参考文献が最後に紹介されているのだが、それがどれもNatureやScienceといった科学雑誌や原著論文で、それを手に入れる環境に私がいない事だった。それが出来ればこの本はもっと深く読み込む事が出来るだろう。

だが、この本によって進化生物学やゲノミクスに関しては、かなりアップデートすることが出来た。充実した読書体験が出来たと思う。特にエボデボの進展によってもたらされた最新の成果を知る事が出来た事がとても嬉しい。

20220316

聖母の美術全史

大きく出たなぁ!という感想がこの本を手にした最大の理由だ。何しろ「全史」だ。普通の厚さの2倍は優にあるとは言え新書だ。その新書1冊の題名に全史を謳う。その度胸の良さが気に入った。


だが読み始めて、知識量の多さに流石に舌を巻いた。更に、論ずるところの範囲も、西洋は勿論として、南米、アジア、日本と網羅されており、時代も古代から現代に至っている。伊達に全史と名打っている訳ではないなと納得した。

キリスト教の中で聖母マリアは特別な位置を占めている。神ではない。ただの人間だ。だがキリストを産んだ。その事によって、独自な聖性を帯びるようになった。キリスト教の布教に於いて、聖母マリアは更に特別な存在となった。世界各地には、それぞれ独自の女神信仰を持っていた。その女神信仰と聖母マリアが合体し、聖母マリアは各地で深い信仰を集める事になった。

聖母信仰は当初から像と共にあった。ヨーロッパでは5世紀に神の像を描いたイコンが現れているが、それより遥か以前に聖母像は現れていたらしい。それはローマ郊外にあるカタコンベに描かれていたものだ。聖母像がいつ成立したかは分かっていない。何しろキリストの弟子ルカが描いたという伝承を持つ聖母像も存在するのだ。

当初1日もあれば読破出来ると踏んでいたのだが、思いの外時間が掛かった。それは聖母像を描写するその筆致が詳細で、微に入り細に入り描かれる聖母像の形式を読み進めるのに手間が掛かったからだ。オディギトリア型とかエウレサ型とかブラケルニオティッサ型とか言われても、そう簡単に頭に入って来るものではない。なぜそう呼ばれるかの理由も、勿論説明されているのだが、その読解にもかなりの忍耐力が必要だった。

かと言って、この本は聖母像の聖性だけを描いている訳ではない。

反ユダヤ主義との絡みも一節を使って解説されている。中世にペストなどの災禍が起こるたびに、ユダヤ人は敵視され、井戸に毒を流したなどのデマが流れ、虐殺される事があった。「磔刑」や「嘆きの聖母」の主題も、しばしばその陰でキリストを処刑したユダヤ人への敵意を喚起するものとなった。その背景には、十字軍や戦争、ペストの流行や経済の衰退といった社会不安があった。ユダヤ人はキリスト教徒の敵とされ、こうした不安や不満の捌け口にされたのだ。

教会内の聖画や聖像は教義上では神を見る窓に過ぎないが、多くの信者にとっては、像自体に聖性が宿っており、生きている存在だった。その作者が問われることは少ない。奇跡を起こす聖母像の多くは、土に埋もれていた、樹木に隠れていた、海から引き揚げられたといった、その発見自体が奇跡として伝えられているものが多く、それが作者や制作時期よりも重要だった。

この辺りは例えば浅草観音が海から引き揚げられたと伝えられている事にも通じ、世の中の信仰とは、洋の東西を問わず似たところがあると感じさせられた。

日本にも教会があり、そこには聖母像が飾られている。そうした意味で、身近な存在と思えていた聖母像の歴史も、深く掘り下げてみると、意外な側面が多かったり、知らない事だらけだったりだという事をこの本を読む事で知らされた。

また、良い本に出会う事が出来た。

ただ載せられている図版がどれも白黒で小さく、図の判読に苦労させられたのは残念だった。出来れば新書ではなく、図もカラーで大きく載せられる大きな本だったらと思わざるを得なかった。

20220307

進化理論の構造

その本が私の部屋に来た時、それは登れそうにない山、渡れそうにない河のように厳然と聳えていた。そして読み始めてすぐ分かったのだが、その本はただ単に巨大なだけでなく、内容も難解と言って良く、展開されている議論の密度も途方もなく高かった。


著者スティーヴン・ジェイ・グールドは、この本を書くのに20年を要している。まさにライフワークと言って良い。そうした本が、それほど簡単にモノにできるとは思えないが、それにしても立ちはだかるハードルは、途方もなく高かった。

それでも何とか読む気になったのは、同時期に三中信宏さんがこの本をお読みになっており、twitterで次々と「自己加圧ナッジ」をあげ続け、それを更に自身のブログ「日録」で再録してくださった事が大きい。加えて氏の著書『読む・打つ・書く』、『読書とは何か』は、この『進化理論の構造』を読み進めるに当たって、貴重で有効な助言となった。特に目次を全体の中のどこを今読み進めているかの位置を確認するマップのように使うという示唆は、実に役に立った。

昨年12月25日にこの本を読み始めて、2ヶ月近くを費やしてしまった。実際に読み終えるまで、自分でも読み終える事が出来るとは実感出来なかった。実際、途中で何度も滑落しそうになったし、遭難も仕掛かったが、その度に『日録』と目次に戻っては自分のいる位置を確認出来た事が、この本を読むという登攀行為を成し遂げられた大きな要因と言って良い。三中信宏さんにはこの場を借りて、深くお礼を申し上げたい。お陰で『進化理論の構造』という大山脈の登攀に、何とか成功した。

その三中信宏さんも申しているように、この本は読者を選びまくっていると思う。進化論について深く学び、考え、悩んで来なかったら、そしてスティーヴン・ジェイ・グールドの本を何冊か読み続けて来なかったら、この本を読み続ける事すら不可能であったと思う。

とは言え、この本の概要をブログサイズで纏める事は、私の力量を遥かに超えた作業である。スティーヴン・ジェイ・グールド自身がこの本の冒頭で、要約を挿入しているが、それすらも47ページもあるのだ。

読み進めていて、重要と思われる箇所にノードとしてブックダーツを挟み込んでおいたが、それを要約し、纏めるだけでも、一冊の本になるだろう。

別の章でスティーヴン・ジェイ・グールドは書いている。

本書はダーウィニズムの前提を拡張し変更する試みであり、拡張された独特な進化理論を構築する試みである。新たな進化理論は、ダーウィニズムの伝統内とそのロジックの下に留まってはいるが、小進化の仕組みとその外挿方式がもつ説得力の埒外にある大進化の現象という広大な領域を説明可能なものとする。しかもそれは、そうした小進化の原理が原則として一般理論の完全な集成を必ずや構築するのだとしたら、偶発性による説明に割り当てられることになるはずのものなのだ。

この本の書名についても説明が必要だろう。本書では冒頭から、ミラノ大聖堂という建築物のメタファーが語られている。現在の大聖堂は、14世紀後半に建てられたゴシック様式の基盤に、後にバロック様式が加味され、さらに最後には、未完の建物の屋上に幾つものゴシック様式の尖塔がナポレオンの命令で建造された代物なのだ。

このアナロジーと本書の書名の関係についてもスティーヴン・ジェイ・グールドに語ってもらおう。

ダーウィン流のロジックの核心部分は、変更を受けないまま、進化理論全体の最重要項目であり続けている。しかし進化理論の構造自体は重要な変更を加えられており、拡張や追加や再定義を重ねることで別の新しいモノへと姿形を変えている(核心部分から太枝が四方八方に伸びている)。ようするに「進化理論の構造」は、たくさんの変更を抱えつつも論理的首尾一貫性を保ち続けている複合体であり、知的な作業として、永続的な探究と挑戦に値する対象なのである。

この本は、全体がダーウィンへの深いオマージュでもあると同時に、自然淘汰説と漸進説を根幹とするダーウィンの進化理論を拡張する試みということになる。リフォームの主眼は階層論の導入という構造的なものであり、階層ごとに異なる進化の仕組みを導入することで大進化を説明しようとする壮大な試みということになるだろうか。

本書を読み進める中で、私はダーウィンのロジックを数多く誤解していた事に気付かされた。その意味では私にとってこの本は進化論のよき解説書の役割も果たしてくれたと思っている。もう一度『種の起源』を初版と第6版で読み返さねばならないと感じている。