20180822

暑の戻り

ついこの間、たかだか5日前に23.8℃の最高の気温を記録していた。その日は北海道大雪山系の黒岳で初雪が降った。翌朝の4:08には13.4℃の最低気温を記録した。

このまま秋になってしまうのではないかとすら思えた。少なくとも暑さのピークは過ぎ去ったと確信してもいたのだ。

天気予報は颱風がふたつ、連続して近付いてきていることを伝えていた。少し暑くなるかな?と思った。

けれどここ迄とは夢にも思わなかった。

昨日室温が33.9℃迄上昇した。やけに蒸すな…と感じたのだ。そう思うのも無理はなく、14:28に37.7℃の最高気温を記録していた。今季最高気温だった。

全国でも8位タイの記録だった。

なまじ涼しい期間を過ごしていたことも拙かった。身体は心地よい気温にはすぐ順応する。暑さのカウンターパンチをもろに喰らい、自分が熱中症ぎりぎりの体調である事を自覚した。

寒の戻りという言葉なら知っている。けれど今経験しているこの高温は何と表現したら良いのだろうか?暑の戻り。そう表現するしか無いではないか。


そして今日、ついに2日連続で今季最高気温を更新した。15:30に38.5℃を記録。

1994年の8月16日に38.7℃という記録がある。これが観測史上最高の値になっている。それにあと0.2℃に迫る気温だったのだ。

窓際はベランダからの輻射熱で近寄りがたく、部屋を吹き抜ける風も熱風だった。

遂に我慢の限界を超え、エアコンのスイッチに手が伸びた。

長野と言えば、日本でも指折りの避暑地のイメージがあるのではないだろうか?
しかし、長野の現実はこうなのだ。
盆地特有の大きな寒暖差。それが夏にはもろに高温となって襲いかかる。

むしろ沖縄の方が海洋性の気候で寒暖差が少なく、最高気温も33℃程度で過ごし易い。

こうなったら厳しい現実をありのままに受け容れ、長野から沖縄へ避暑に行く事も考えた方が良い。


しかし、夕方になるとさすがに気温は下がり、窓からも涼しい風が入る。これが長野の良いところだ。

夜も30℃を超えるようなことは、まずない。

20180815

カンテラ日誌を廃棄!

知った瞬間、カッとなった。次にどうしようもない無力感に襲われた。

富士山測候所の40冊以上の『カンテラ日誌』を、東京管区気象台が廃棄していたのだ。

富士山測候所 日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊(毎日新聞)

日誌の存在は、中島博さんが子ども向けに書かれた本『カンテラ日記』や、志崎大策さんの『富士山測候所物語』で知っていた。

それだけに、日誌が持つ貴重な価値も、十分に認識していた。

このニュースを教えてくれたguriko_さんはtwitterに

こういうニュースがすごく怖い。文化に対する鈍感さ。資料に対する鈍感さ。これってやばいと思う

とコメントしている。

同感だ。

日誌には、富士山頂に地震計が設置される以前の、有感地震の記録もあった。それらも永久に失われたのだ。

日誌の廃棄という愚行の背景には、気象庁が持つ、計測機器以外の記録(データ)に対する、病的とも言える軽視の姿勢があるように思えてならない。

世界的に見ても、貴重な資料だった。
それを単なるゴミとしか見ることが出来ない東京管区気象台の職員の想像力。と言うよりその欠如には、もはや呆れることしか出来ない。

職員は全く録っておこうという気さえなかったのだろう。どこかの博物館なり、国会図書館なりに依頼するとか、保管先を確保しようと思えば、いくらでも道はあった筈なのに。

それにしても処分の方法が異常だ。溶解とある。ただ単にゴミとして出した訳ではないらしい。まるでこの資料がこの世にあってはならないとでも言う様な、猟奇的な執念すら感じる。通常の方法なのだろうか?

いずれにせよ、すべてはもう手遅れなのだ。
もう誰も『カンテラ日誌』を読むことは出来ない。

20180805

りりっ。コオロギが啼いた

最初空耳かと思った。

注意しているとやはりまた啼いた。りりっ。

ひと啼き。ふた啼き。確かに啼いている。

部屋の前には、大きな叢がある。
そこで啼いているのだろう。

2年前の今日の日付の日記には、赤とんぼを見た事が書かれていた。
そうした時期なのだ。

長野市は今日、37℃を超えた。今季の最高気温を更新した。明日もまだ暑いらしい。

だが季節がひとつ、確実に進んだのだ。

再起動

6月1日以来、まるまる2ヶ月以上、手付かずで過ごしてしまった。さすがにこれではいけない!と思っている。そろそろこのブログも再起動しなければ。

この2ヶ月の間で、特筆すべきだったのは、昨年の8月30日以来、丹念に読み続けてきた、ハンナ・アーレント『全体主義の起原』を6月17日に、ようやく読了した事が挙げられる。

読み始めてから、読み終える迄9ヶ月掛かった。

最初は通常運転で読もうと思っていたのだが、書かれていることが余りに思い切った事なので、注釈に挙げられている文献にも、出来る限り目を通し、論拠を確かめながら読んだ。その結果、途方もない時間を費やして、読む結果になった。

この様な読み方をしたのは、大学時代地質学の論文を読んだ時以来の事だ。

ハンナ・アーレントの主張には、きちんとした論拠がある事を、確認出来た。

ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』は、私の中で、一際輝く特別な本になったと断言出来る。

しかし、困ったことが起きた。
丁寧に読んだのは良かったと思えるのだが、その結果、本の内容が細部まで、記憶に留まり、迂闊に感想を書くことが出来なくなってしまったのだ。

読了して以来、何度か試みたのだが、その度に私は、いちいち一冊の本を執筆するような姿勢になってしまい、挫折を繰り返した。

かと言って、無駄に読了した訳でもなかったと思う。
他の本を読む時、『全体主義の起原』は、まるで海図のような働きを果たし、本の読解の助けになってくれた。

特に山崎雅弘『[増補]戦前回帰「大日本病」の再発』
早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア─戦時下自画自賛の系譜』
早川タダノリ編著『まぼろしの「日本的家族」』などを読んでいる時は、常に頭の中でハンナ・アーレントの『全体主義の起原』を参照する癖が付いて、内容を深く読み込む事が出来たと思っている。

これらの本に共通するのは、日本が現在、少しずつ全体主義へと向かっているのではないかという問題意識であり、それだけに、これらの本は『全体主義の起原』を、現代日本に置き換えて受容してゆく助けにもなったと思える。

しかし『全体主義の起原』は、1回や2回読んで、済ますことが出来るような本ではないという認識も、私の中にできあがっている。

近い将来、また読み直さねばならないだろう。感想を書くのは、それからだ。

記録に残すことはなかったが、この2ヶ月の間は、貴重な読書体験や、映画体験を積み重ねていたと言える。

充実していたのだ。