富士山測候所の40冊以上の『カンテラ日誌』を、東京管区気象台が廃棄していたのだ。
富士山測候所 日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊(毎日新聞)
日誌の存在は、中島博さんが子ども向けに書かれた本『カンテラ日記』や、志崎大策さんの『富士山測候所物語』で知っていた。
それだけに、日誌が持つ貴重な価値も、十分に認識していた。
このニュースを教えてくれたguriko_さんはtwitterに
こういうニュースがすごく怖い。文化に対する鈍感さ。資料に対する鈍感さ。これってやばいと思う
とコメントしている。
同感だ。
日誌には、富士山頂に地震計が設置される以前の、有感地震の記録もあった。それらも永久に失われたのだ。
日誌の廃棄という愚行の背景には、気象庁が持つ、計測機器以外の記録(データ)に対する、病的とも言える軽視の姿勢があるように思えてならない。
世界的に見ても、貴重な資料だった。
それを単なるゴミとしか見ることが出来ない東京管区気象台の職員の想像力。と言うよりその欠如には、もはや呆れることしか出来ない。
職員は全く録っておこうという気さえなかったのだろう。どこかの博物館なり、国会図書館なりに依頼するとか、保管先を確保しようと思えば、いくらでも道はあった筈なのに。
それにしても処分の方法が異常だ。溶解とある。ただ単にゴミとして出した訳ではないらしい。まるでこの資料がこの世にあってはならないとでも言う様な、猟奇的な執念すら感じる。通常の方法なのだろうか?
いずれにせよ、すべてはもう手遅れなのだ。
もう誰も『カンテラ日誌』を読むことは出来ない。
0 件のコメント:
コメントを投稿