ほっとした。それが今回の正直な感想だ。
少し注文するのが遅れた。今日の午後、『海街diary』8巻「恋と巡礼」が届いていた。
ニーチェも中山元も高橋昌一郎も押しのけて読み始め、貪るように一気に読み切ってしまった。
7巻の終わりで、主人公たちの香田家に大きな転機が訪れる事は予想出来た。上手く行って欲しいという願いはあれど、どの様に展開されるのか分からない不安で、7巻を読み終わるや否や、この第8巻が待ち遠しくて仕方がなかった。最大の不安は、ありがちな、安易で杜撰な展開になってしまうのではないかと言う事だった。いくらでもあざといドラマにできる展開だったからだ。
さすがにそれはなかった。
それどころか、読み終わって、充実した読後感に浸り、物語の背後でバックグラウンドミュージックのように啼く蝉の声を感じ、本棚に並ぶ背表紙を眺めながら、第1巻からの展開を振り返っていた。
実際、この巻が最終回であっても構わないと思える程、いつもより内容の濃い巻だった。
今回は今迄どちらかと言うと地味な扱いで、物思いや屈託と無縁の存在だった三女千佳が、一躍主役に踊り出て来た感がある。彼女を、そして彼女に起きた事を軸として物語は展開する。
海街diaryの主人公たちは、互いに大切な家族、友人、恋人、知人を思いやり、相手の心に一歩も二歩も踏み込んで意見する。日常に波風を立てまいとするのも、そうした思いやりの一種なのだろうが、「事件」は波風を立てずに済む訳もなく、問題を抱えた当人も、問題から逃げる事なく向かい合い、解決してゆく。こうして「事件」は丸ごと家族の日常に引き戻され、日常の一部として、包含されてゆく。それが家族の強靱さであり、日常の分厚さなのだろう。
海街diaryの持つ鮮明なリアリティーは、そうした強靱さや分厚さを、見事に描き出し、それが私たちの人生と一致するものを持っているところから生まれて来るのだろう。
諭す側も決して説教臭くならないのは、それぞれが別の弱点を抱え、それ故に互いに支え合う関係にあるからだと思う。
強靱さや分厚さは、自然にそうなっているのではなく、また誰かひとりの手柄としてそうあるのでもない。ひとりひとりがさりげなく努力し、その努力によってひとりひとりが互いに支え合い、助け合う。そうした作業の積み重ねの上に成り立っているのだ。つくづくこの頃そう思う事が多い。
海街diaryの主人公たちもそれぞれが、新しい門出を迎えている。
それぞれの人生が鎌倉の四季の移ろいと共に変化して行き、これから先も様々なドラマを演じてくれるのだろう。
鎌倉という街は、有名所だが、私にとっても決して縁のない、単なる観光地としてあった訳ではない。深く、いろいろな個人的な思い出が染みついている。
作品の所々に現れてくる、詳細なスケッチは、どれも正確無比で、私の記憶が、逆にスケッチから呼び起こされる事すらある程だ。
その鎌倉という土地の自然や風物が、描かれる人間模様と相俟って、独得の風合いを醸し出している。
帯に書かれていて知った事だが、作者の吉田秋生さんは今年で画業40周年を迎えるのだという。なかなか出来ることではない。その区切りを、この海街diaryで迎えるという事が、なぜか運命的なものを感じるのは私だけなのだろうか?
家族のあり方を描いて来た吉田秋生さんの、集大成と言ってよい作品になって来ていると思う。
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