キノコと題されているが、椎茸も松茸も出て来ない。出てくるのは地下生菌であり、変形菌であり、冬虫夏草。それとそれらの宿主たちだ。
著者は生物学者だ。私たち地質学者は自分を地質屋と称する。同じ様に生物学者は自分を生き物屋と称している。その生き物屋の中でも、この本で紹介されているのは極めてマイナーな存在だ。それぞれ地下生菌屋、変形菌屋、冬虫夏草屋と自分を呼んでいるらしい。
著者は冬虫夏草屋のひとりだ。
著者は子供の頃、海岸で貝殻を拾っていて、生物の世界にのめり込んで行ったと言う。この辺り、非常に親近感を覚えてしまった。そうなのだ、研究者になるような人間は、人生の矢鱈と早い時期に、ちょっとしたきっかけから自分の進路を決めてしまう。
だが、著者は貝殻に興味を抱いても、一目散にそれに向かって突き進んだ訳ではない。小学生高学年頃からは虫に嵌り、一時植物にも熱中し、…と生き物好きは一貫していたものの、どんな生き物を対象とするかと言う点に関しては横道にそれてばかりだったと言う。
著者は対象とする生き物を見つける目を持つ事を「眼鏡をかける」と表現する。
生き物屋の「症状」からわかるように、人はそれぞれ、見ている世界が違っている。つまり普段は見えていない、気がついていない別世界が、本当は目の前に存在していたりする。そんな別世界に気づくには「眼鏡」を掛ける必要がある。
地質学をやってきて、矢鱈と山には入ったが、私は地下生菌も変形菌も冬虫夏草も見つけた事はない。だが同じ山に入りながら、著者らはかなりの頻度でそれらを見出す。余程度の合った「眼鏡」をかけているのだろう。その眼鏡をかけることで、彼らは私たちに見えない世界を見ているのだ。
冬虫夏草眼鏡に加えて、地下生菌眼鏡をかけるようになった著者が、ずっとかけることを憧れていたのが変形菌眼鏡だという。
変形菌と言えば明治から昭和初期にかけて活躍した南方熊楠が、生涯追いかけていた生き物として知られている。
著者が変形菌に惹かれたのは増井真那の『世界は変形菌でいっぱいだ』という本を読んだのがきっかけだったらしい。この増井真那さんは5歳の時テレビで変形菌を見て取り憑かれ、たちまち変形菌屋の集まりである日本変形菌研究会にも入会、そして16歳で本を出版するという輝かしい(?)キャリアの持ち主だ。その彼には世界は変形菌でいっぱいに見えるらしい。これぞ変形菌眼鏡の効果の極地だろう。著者は変形菌好きは皆、子実体に魅力を感じるものと思い込んでいた。ところが真那さんは変形菌の変形体を飼育する事に情熱を注いでいる。そうした興味の持ち方を見ているうちに、著者は変形菌を一面的にしか見ていなかったことに気付かされたと言う。
さて、虫と言うものは結構偏食だ。モンシロチョウの幼虫はキャベツを食べてもミカンには見向きもしない。アゲハの幼虫はミカンの葉をせっせと食べてもキャベツには見向きもしない。セミは幼虫も成虫も樹液を飲んでいるばかり。それも栄養の少ない道管液しか飲まない。アブラムシやカメムシも種類によって決まった植物の汁を吸って暮らすものが多い。
こうした特定の栄養源のみに頼っている場合、栄養に偏りが生じる事は容易に理解できる。
植物の新芽にはアブラムシがよく群がっている。アブラムシが餌としているのは、植物の師管液だ。師管液には植物が光合成で作り出した糖分は豊富に含まれているけれど、タンパク質を作るためのアミノ酸は不足している。アブラムシは体内にブフネラと呼ばれるバクテリアを矯正させていて、この共生バクテリアが不足し勝ちな栄養を補う形になっている。
驚くのはセミに見付かった共生菌の遺伝子を系統解析したところ、冬虫夏草の仲間だということが分かった事だ。それも遺伝子が近縁のもの同士を並べて行くと、セミの体内で見付かった共生菌と冬虫夏草が入れ子状態になるという結果となった。つまり、セミ体内で見付かった共生菌は、どうやら元々はセミの幼虫に取り憑いて殺し、子実体を伸ばしていた冬虫夏草だったらしい。セミの体内には寄生者が変身した共生者が棲みついているいる。セミはそのおかげで道管液だけを吸って暮らし、街中でも多数発生が見られるほど繁栄しているのだ。
本書を読んで、今まで知らなかった地下生菌、変形菌、冬虫夏草には矢鱈と詳しくなった。同時に生物の体内にはバクテリアや菌類が多数棲みついている事も知った。
これから夏を迎え、煩いほどセミの声がする事だろう。だが、その声も昨年までとは全く別なものに聞こえてくるだろう。そうなのだ、そのセミの声は多数の生き物の合唱なのだ。