ヴィーガンと言って多くが誤解するのは、只単に健康のために肉を摂らない人というイメージだ。勿論そこから入っても構わないが、正確にはそうではない。ヴィーガンは全ての動物の搾取に反対し、動物の権利を守るという自覚の元に、全ての動物食を拒否すると共に、衣の面では皮、羽毛、羊毛など、動物起源の素材を拒否し、科学の名で行われる動物実験にも反対するという総合的な生き方を指すのだ。
一見禁欲的な生き方の様に思えるかも知れないが、理解を深めるとそうではない事が分かってくる。
禁欲ではなく、解放なのだ。
人間は、ペットなど、一部の動物を愛玩すると同時に、牛、豚、羊、などの肉を平気で食する。だが、その肉を作る畜産業で、どの様な事が行われているのか、意外と知らない。それらは巧妙に隠蔽されている。例えば私が使っているATOKでは、屠殺という語は登録し無い限り表示されない。
ポール・マッカートニーは言う。
もし屠殺場がガラス張りだったら、誰も肉を食べないだろう。
事実を直視し、現実を学べば学ぶ程、私たちが動物に対して、とてつもなく残酷な仕打ちをしている、またはそれに加担していることを知る事が出来る。それは既に紹介した映画"Earthlings"や、ゲイリー・ヨーロフスキーのスピーチを視聴するだけでも知る事が出来る。
ヴィーガニズムを理解するまで、私はヴィーガンの方々が、何故、屠殺場や酪農家の残忍な場面を敢えて見せつけるのかを、充分には理解していなかった。だが今は分かる。レイチェル・カーソンも言っている。
犠牲者が人間であれ動物であれ、残忍さを残忍と認める勇気を私たちが持たないかぎり、世界が見違えるように良くなることは望むべくもない。
要は単純な事なのだ。現実を直視し、思いやりのある世界を目指す。それだけの事だ。
この本がユニークなのは動物を虐待する種差別が、実は人種差別、性差別、階級差別、障碍者差別、植民地主義、異性愛中心主義と絡み合って存在しているとしている所だろう。
そうなのだろうと思う。もし、これらの差別に反対するならば、同時に肉を食べ続けるという事は大きな矛盾を抱える事になる。
誰も認知的不協和を抱えながら生きるのは、心地よい事ではない。一刻も早く、そこから解放された方が、生き辛さが格段に減るだろう。
私がこの本から学び、真似したのは、家族への説得の方法だった。懇切丁寧に説明されている。
この本の訳者、井上太一氏は脱搾取と書いてビーガニズム、脱搾取派と書いてビーガンとルビを振っている。この工夫には諸手を挙げて賛成したい。