この関東大震災は地震による直接の被害の他に、地震直後に発生した火災による被害が甚大であった。
しかし、忘れてはならないことに、被害に更に凄惨な相を与えたのが、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を投げている」などの流言飛語が飛び交い、その噂を真に受けた人びとが、刃物や竹槍などで行った朝鮮人(更には中国人)の無差別虐殺だった。
この本、『九月、東京の路上で─1923年関東大震災ジェノサイドの残響』は、丹念に史料を集め、広く、深く史料を読み込むことで関東大震災当時起きたジェノサイドを限りなくリアルに再現した良書だと思う。
この本は、惨劇を網羅的に記述し、解説するものではない。当時の具体的な事実を、記載し、どこでどの様な事件があったかを追っている。
しかし、大切な事はこの本は危機意識によって書かれているということだ。
関東大震災から90年経つ現在も、在特会などの民族差別主義者団体がヘイトスピーチを繰り返す事件が度々起き続けている。
この本のまえがきと最終章で、ヘイトスピーチや石原元東京都知事の「三国人発言」などの現在の状況に触れており、かつての出来事がまさに修辞学的な意味でなく、現実のものとして過去の出来事ではないことを指摘している。
私たちは関東大震災に伴うジェノサイドは、当時の社会状況に触発された、特殊な過去の出来事であると思いたがる。
だが、現在進行している出来事は、現在そのものが民族差別主義者たちが闊歩する状況にあり、一旦事あればかつての出来事が、即、繰り返されても何の不思議もない状況である事を示している。
過去は地繋がりで現在につながっている。
作者の危機意識はここにある。
「不逞朝鮮人 」の文字を彼らのプラカードに見つけたとき、私は1923年関東大震災時の朝鮮人虐殺を思い出してぞっとした。レイシストたちの「殺せ」という叫びは、90年前に東京の路上に響いていた「殺せ」という叫びと共鳴している─。
また、関東大震災におけるジェノサイドの場面では、警察などがむしろ積極的に朝鮮人に関する流言飛語を拡散させていたことを、この本は強調している。
権力の関わり方が、「流言飛語」にリアリティーを与えてしまうことを強調しているのもこの本の特色のひとつとしてあげられる 。
権威を持つ警察や新聞が、流言飛語に補償を与えていたのだ。
震災による混乱の最中、最初は飛び交う流言飛語に半信半疑だった者たちの中には、この事によって、流言飛語にリアリティーを感じ、信じ込んでしまった者も多かっただろう。
惨劇を再び繰り返してはならない。
その為には過去の歴史を、丹念に読み解き、その意味を身体に刻み込む作業が必要だろう。
その目的のためにこの本は、良質の入り口となっている。
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