それ以降の事柄に関しては、まだ記憶に新しい。その為沖縄の現代史をこの本と記憶、ファイルしてある史料などから辛うじて切れ目なしに概観することが出来た。
幸運なことだったと思う。これ以上遅く、この本と出会っていたら「すき間」を埋めるのにかなり苦労したかも知れない。
前半を読んでいて、何とも苦しい気分に襲われた。私たちは沖縄に対して、何というひどい仕打ちをして来たのだろうか。そして、しているのだろうか。
1609年の薩摩藩の侵攻とその後の「琉球処分」も沖縄人の独立性を徹底的に破壊したが、何と言っても第2次世界大戦時の皇民化政策、そして沖縄戦の「最も血みどろの」戦争。それも沖縄人を守るのではなく、本土への侵攻を少しでも遅らせる為だけに、沖縄の人口の1/3を犠牲にした戦争は、文字通り沖縄を「捨て石」とするものだった。
戦後もひどかった。
本土にとっての「主権回復」の日1952年4月28日は、沖縄では日本から切り離され、合衆国の占領下に捨て置かれた「屈辱の日」として深く心に刻まれた。
それ以降、合衆国の戦争に、日常的に巻き込まれ続けている。
この本はそれらの歴史を丹念に追っている。
しかしこの本の中核はその歴史の記述にあるのではないという。
沖縄の歴史の主役は、それを記述する者ではなく、歴史を動かす人びとであるとしている。
第9章ではその中から
与那嶺路代
安次嶺雪音
宮城康博
知念ウシ
金城実
吉田健正
大田昌秀
浦島悦子
の8名を代表させ、声と主張を載せている。
この8人の声と主張はこの本の中核を成すものである。
という。
この章の前段として、それ迄の章の記述があるという構成なのだ。
私たちにとって、沖縄と向き合うという事は、どういった心構えを必要とするのだろうか?
無関心である事が、最も罪深いだろう。
賛成反対を別にして、私たちは現実として日米安全保障条約を受け容れている。
しかし、それに伴う基地の殆どは(全部ではない。これも大切な認識だ)沖縄に押し付けている。
その基地との軋轢は、沖縄の日常を破壊している。
無関心である事はその犠牲の上にどっかりと坐り込むような行為だ。
余りにひどい。
繰り返しになるが、私たちは沖縄に対して、余りにひどい仕打ちをして来たし、し続けている。そのことを思う度に心は萎える。
だがこれで打ちひしがれている事は、沖縄の人びとの不屈の戦いを踏みにじる行為だ。
「敵」は余りにも強大で無慈悲だ。だが、大切な事は決して諦めないことだろう。
もし、自分に誇りがあるのなら、誇りを持ちたいのであるのなら、一刻も早く立ち上がった方が良い。
この本はその為の、重要な展望を私たちに与えてくれるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿