無意味なことをして来たのかも知れない。
しかし、私はそう思ってはいない。
日本最古の映画館と言われる長野相生座・ロキシーのプレミアム会員になっている。
会員券の更新があった。
どうせ行くのなら1本くらい映画を観てきたい。
で、選んだのがジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『さらば、愛の言葉よ』だった。
ゴダールが3Dに挑戦した映画だと言うことだけは知っていた。だが、さすがに日本最古の映画館では2Dでしか上映していなかった。
この映画を2Dで観ることは殆ど意味がない。帰ってきて様々なサイトで評論を読むと軒並みそう書いてある。
つまりゴダール監督がこの映画で何をやりたかったかと言うと3Dの常識を覆すことだという辺りで見解はまとまっていたのだ。
異議は別にない。
娯楽の最終兵器のように扱われている3D映画を解体したい。そうした意気込みは2Dで観ても十分に伝わってきた。
恐ろしく引用が多用されている。
台詞だけでもフローベールの『感情教育』に始まり、ドストエフスキー、レヴィナス、サルトル、ボルヘス、リルケに、ジャック・デリダ。ハワード・ホークスに、フリッツ・ラング等々。それに加えて音楽もスラブ行進曲やベートーヴェンの第7などが繰り返し立ち現れては途切れる。
それに加えて斬新な映像がこれまた立ち現れては途切れる。
つまりこの映画は全体がコラージュなのだ。
そして3Dに加えて多重露出の映像も入る。
映画は2部構成になっており、それぞれよく似た容姿の女と男が出会い、すれ違い、ぶつかり合う。
よく似た二組の男女のよく似た物語。
つまりそこに主題があるように、私には思えた。
3Dが殆ど同じ画面の視差差を利用して画面を立体的に見せるのと同じように、この映画では殆ど同じ男女(そして犬)の物語の僅かなずれを見せる事によって、物語そのものを「立体的に」構成しようとしているのではないだろうか?
それは3Dを解体することによって得られる豪華な遊びだ。
その意味でこの映画を3Dで観ることが出来なかったのはくれぐれも残念だった。監督の施した遊びが殆ど味わえなかったからだ。
だが、2Dだったから気付けた主題だったようにも思えるのだ。
原題は"ADIEU AU LANGAGE"
直訳すると『さらば、言葉』という事になるのだろうか?
それにしてはコラージュされている言葉は豊潤だった。それを追っていると何も理解出来ずに映画を見終えてしまうことになりかねないのだが。
83歳になるジャン=リュック・ゴダール監督の若々しい意欲作だと思う。この映画を残して下さった事に最大級の賛辞を送りたい。
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