今迄の人生の中で金に縁があった例しがない。
学生時代は明確に私は住む部屋のあるホームレスだと実感していた。貧困はいつもすぐ脇にあった。けれど運が良いのだろうか、抜け出そうにも抜け出せないとされる貧困状態には辛うじて陥ることなく生きてきた。
けれどこのままでは近い将来確実に貧困に陥るだろう。全く人事ではなくこの本、湯浅誠の『貧困襲来』を手にした。
ゲラを読んだという方の「読み進めながら、驚き、悲しみ、怒り、憤り、恐怖を順番に感じました。」という言葉は実感だろう。だが、私はこの時期にこの本に巡り会えて、良かったと思っている。まだ間に合うという気持ちにさせてくれたからだ。なので感想の最後に僅かだが希望も感じたと付け加えたい。
本の中に繰り返し「溜め」という言葉が出て来る。当事者が浸かっている外からの衝撃を吸収する働きをしたり、エネルギー源として機能したりするものをそう呼んでいる。
貧困と単なる貧乏を区別するのはこの「溜め」のあるなしだという。私には何だかんだ言ってもこの「溜め」があったのだろう。
この本が書かれた2007年当時は、書かれ方で分かるように貧困は十分周知された事柄ではなかったようだ。だが現在TV等で貧困の文字を目にしない日は少ない。それだけ周知されてきたのでもあり、周知されざるを得ない程、貧困が広範になり、深刻化していると言う事でもあると思う。
貧困はまさに社会問題として存在感を増している。貧困には五重の排除が成されているとされている。
1.教育課程からの排除
2.企業福祉からの排除
3.家族福祉からの排除
4.公的福祉からの排除
5.自分自身からの排除
頷ける。
にも拘わらず未だに自己責任論は根強い。その論調に乗る形で、これからはどしどし公的福祉は切り捨てられてゆくのだろう。
だからまずこれをいかにして無化してゆくかが生き方の技法として必要になってくる。
それを含んでこの本の最後には10の提案が成されている。
1.自己責任論とオサラバする
2.自分を排除しない
3.疑ってみる
4.調べる、相談する
5.計算する
6.ぼやく
7.はじける
8.つながる、群れる
9.攻める
10.変える
これらが簡単に出来る人間ならば、そもそも貧困には陥っていないとも言える。だが、簡単でなくてもやってみる価値は十分にある。出来なかったら。次は出来るようにするだけだ。その時の為に「もやい」のホームページをリンクに加えた。
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