20131114

再び映画に嵌まる

再びと言っても一度目は途方も無い昔の話だ。

10代の終わりから東京に出た。
独り暮らしの自由さに歓喜していた。

池袋に住んだこともあって、受験勉強もせずに名画座に入り浸って映画三昧の日々を送ったことがあると言う話だ。

大学に入ってからはむしろ映画を観なくなった。

映画好きの人間のマニアックな口調に耐えきれなくなったのと、地質の勉強が面白くて他の分野への関心が薄らいだせいだ。

以来、私の中での映画の時代は終わったと思っていた。

時々観るもののそれ程夢中になることは無かった。
NHK・BSで古い映画が放映される。
それを録画するくらいが関の山だった。

けれどそこで『風と共に去りぬ』などを観ると、映画はさすがに凄いな…と思わされもしていた。

amazonなどでごくたまにDVDなどを購入していた。


ふと、最近のレンタルビデオ店がどうなっているのかと思った。
さすがにビデオを買うのがかなり負担になってきたからだ。

切っ掛けはtwitterでGlenn Gouldの話になり、音楽好きの方から『グレン・グールド─天才ピアニストの愛と孤独』という映画を薦められたからだ。

amazonで探してみるとかなりの値段がする事が分かった。

GEOに登録し、探してみるとあった。早速借りてみた。

良かった。

最初はグレン・グールドの恋愛に焦点を絞った内容なのだと思い込んでいた。だがそうでは無く、グレン・グールド本人が登場し、かなり貴重な映像と証言が込められた本格的なドキュメンタリーだった。

過去のメールを再確認してみると、 楽天でもDVDをレンタルしていることが分かった。

これも登録してみた。
こちらの方が送料は高いが1本の単価は安い。そして驚くほど値引きセールが多い。

借りると旧作が何本か無料で借りることが出来るクーポンが付いてくる。
吝嗇な私はそれを無駄にするのが惜しなった。

そこから怒濤の映画漬けが始まってしまったというのが真相だ。


知り合いに映画好きは沢山いる。
それに映画と言えば貴重な情報源として「うさこさんと映画」というBlogも以前から読んでいた。

そのBlogの最新記事は『ブラディ・サンデー』という映画についてのものだった。これも借りてみた。
確かに観るべき映画だ。

そのBlogで以前採り上げられていて、いつか観なければと感じた『アレクサンドリア』を次に借りた。

素晴らしい映画だった。


以来、一日に2本くらいのペースで映画を観ている。


昨日は『 アマデウス』を観た。以前から気になり続けていた映画だ。良かった。
モーツァルトを直接採り上げず、サリエリの目から見たモーツァルトにした視座が何と言っても成功の鍵だろう。
役者も皆達者で極めつけで面白かった。

しかし、映画という世界は何と言う完璧主義の世界なのだろう。

モーツァルトに関して余り知識が無くても十分に楽しめる映画だったが、知識があるともっと楽しめる映画になっている。

時代考証が極められている。

そして付けられている音楽が何と本格的である事か。


地質をやっていて、学問というものは娯楽が極まったものだと感じた。

しかし、「娯楽が極まったもの」は他にも沢山あるのだ。

音楽がそうであるし、本の世界も途方も無く深い。

そして映画。


こうした「娯楽が極まったもの」に触れる度に、私は世界の広さに打ちのめされる。


地球は小さな惑星だ。
だがその上で繰り広げられている人間の営みは、人の一生なんぞでは到底極められないほど広い。

20131107

音楽史たん

遂に朝6:00からの『古楽の楽しみ』を聴き始めてしまった。

Twitterを始めとして、SNSには、どこか上手くいっていないという感覚が付きまとっていた。

だが、余り気にしなくなった。
そもそもそれ程有益なことを沢山発信している方では無かった。人気が出る訳が無い。

フォローされることをそれ程気にしなくなったら、何となく物事が巧く行き始めたような気もし始めた。

いや、気のせいだけではあるまい。

twitterやFacebookがそれなりに面白く感じ始めたのだ。

そのうちのひとつに最近twitterでフォローした音楽史たんというアカウントがある。

古代から始めて音楽史をYoutubeで実際に音を聴きながら概観してくれる。

面白いのだ!

昨日の夜の段階で、ルネサンス後期・器楽のリュートでDowland(1563-1626)まで進んだ。

音楽の聴き方が丸っきり変わってしまった。

古楽を聴くようになったのは、このアカウントと一緒に音楽史を概観し始めてからだ。

だが、それ以上にクラシック全般、とりわけ現代音楽の聴き方が変わってしまった。

10月の下旬にはByrdの名前が出て来て軽く驚いた。

私の無知が驚かせたに過ぎないのだが。

彼、William Byrd(1543?-1623)の名前を知ったのはつい最近の事だ。YouTubeでGlenn Gouldの演奏を漁っていて、頻繁にこの人の名前が出て来たのだ。
Glenn Gouldは現代音楽も弾いているが、最も関心を寄せ、採り上げたのはBachだった。
けれど伝統芸能をやろうとしていたのでは無い。BachやByrd、Gibbonsなどの古い音楽を現代音楽として弾くことを試みた音楽家だったと私は理解している。

なのでByrdもどこか現代音楽の感覚で聴く姿勢が出来てしまっていた。
この姿勢があながち間違いでは無かったのだと気付かせてくれたのが音楽史たんの講義だった。

古代や中世の音楽の響きはまるで現代音楽だった。

中世のオルガヌムなどの中にはスティーブ・ライヒに影響を与えたり、20世紀にならないと復活しなかった書式で書かれているものもかなりあるのだ。



吉田秀和さんの本『名曲三〇〇選』の中の記述を実際の音で実感と共に振り返ることも出来るようになった。


現代音楽は古い音楽の基礎の上にしっかりと建っているのだ。

音楽史を辿ることは、そのまま音楽の多様性に気付くことでもある。


音楽史たんのtweetは初期のものがまとめられている。

音楽史たんまとめ①【古代】編

音楽史たんまとめ②【中世】編


twitterをやっていなくてもここで古代・中世の音楽を振り返ることが出来る。

まだまだ音楽史たんのtweetは続くのでtwitterをやっている方にはフォローする事をお奨めする。


実にスリリングなのだ!