最近思うように歩けない事にぶつくさ言っているばかりだったので、リハビリを兼ねて9月14日、志賀高原の高天ヶ原まで行って来た。と言うと格好良いのだが、女房殿に連れて行かれたと言った方が正しい。どこかに行くにしても車ばかりで、周りの景色を見る事がなかなか出来ないので、バス〜電車で山に行きたかったらしい。それもひとりではなく。
どうでも良いが、高価い!高価過ぎるぞ!長野電鉄!!。
わたしの方は1km歩くのも精一杯の状態なので、登山は諦めてもらい、ロープウェイ〜リフトと乗り換えて頂上迄運んでくれると言う何とも、情けないと言うのか、ずぼらと言うのか、恐らく結構歩けた20代の頃だったら頭から軽蔑していたであろうコースを選んでくれた。
だが、山は山。乗り換えのときなど、どうしても坂道を歩かなければならない。しかも、観光開発が進んでしまっている所は歩く通路がきちんと舗装してあったり、板が敷き詰められていたり、つまり足にかなりの負担をかける構造になっている。
最大の故障箇所の右股関節をかばって歩く為、とりわけ下り坂では腰や膝に負担がかかる。
体重を大幅に落とさなければ…と痛切に感じた。
だが、行って良かった。
空の色、風の香り、そして何より周りの風景が全く日常と異なる。
信濃に戻って来たとは言え、大通りの脇に住まいを選んでしまった為、県外の人が抱くであろう信濃のイメージ、「自然豊かで、爽やかな…」とはかけ離れた生活をしている。
先日、井の頭公園に行った時は普段より多くの昆虫や植物に囲まれかなりショックだった。
高天ヶ原には、囲まれていたい環境があった。と、思い切って言ってしまおう。
実は頂上に着く迄なかなか感性が動き出さず、山や植物を見ても無感動だったのだが、植物園にある花々に10頭程のクジャクチョウが乱舞する姿を見て、心が動き始めた。
あれだけの頭数のクジャクチョウを一度に見たのは初めてだ。
あまり動けないわたしをチョウの園に置いて、女房殿はあちらこちらに歩き回っていた。本当は思う存分に歩きたいのだろう。いつか、一緒にその願いを叶えさせてやりたいものだ。それはわたしの為でもある。
わたしも少しは歩いたのだが、どう考えても合計で3kmくらいなもの。情けないが、それでも股関節に痛みが宿ってしまった。
痛むのは若い頃と同じなのだが、要するに、気力が衰えて来ているのだろう。真剣にリハビリをしようと言う気になった。これでは人生がつまらな過ぎる。
どの位、山頂に居たのだろう?最終のゴンドラリフトに間に合うようにと、急ぎ目に引き上げることにした。
リフトの中では激痛が走る。歩いた後、バランスを取る為に微妙な動きが必要な環境に身を置くとどうしてもこうなる。
ロープウェイの中では椅子席を譲られたが、動いているロープウェイの中では歩く事もままならない。終点に着いた時、丁寧にお礼を言ったが、ちょっと失礼な事になってしまった。
ホテルで温泉に浸かって行く事にした。
800円。と言われ、ふたり分だと思って1000円札を出したら、ひとり800円だと言う。当然大浴場を使えるもの…と思いきや、反対方向の浴場への行き方を案内された。
それが粗末なものだった事も呆れ返ったが、湯の熱さにも驚いた。これでは足湯しか出来ない。と足だけを湯に入れていると、見る間に真っ赤になった。
誰も入っていない事を良しとして、水をじゃあじゃあ入れる。ようやく一角が身を沈めることが出来そうな温度になったので、少し浸かったが、果たして何分だったのだろう?恐ろしく高価い温泉だった。
湯の質は良い。
帰りの電車の中から中秋の名月が見えた。
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