水俣病を知る以前の水俣の風土が描かれている。
石牟礼道子の自伝的小説と読んで間違いはなかろう。
春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。
この1行目から、作品のリアルさと深さに嵌まり込んでしまった。
描かれているのは、みっちんと呼ばれていた子どもの頃の石牟礼道子と、それを取り巻く大人達の生き方だ。
それは、知的でも近代的でもないが、周囲の自然に溶け込んだ、素朴な、それでいて力強い生き方を営んでいた事が、伸びのある、美しい文章で記されている。
子どもだった石牟礼道子は、不思議な力を持っていた様だ。他の誰にも心を開かない、精神を病んでしまった神経どん、おもかさまや、進出していた窒素肥料の「会社ゆき」を当てにして開かれた娼館の遊女たちも、みっちんには心を開き、交流を深めて行く。
それは椿の海と呼んでいた水俣の海も同様であり、潮の満ち引きや、巻き起こる漣を通して、そこで遊ぶみっちんに語り掛けて来る様だ。
貧しい漁村の風景。そう呼んでしまえばそこで終わってしまうのかも知れない。だが、そうした近代的経済の用語とは別の、自然と調和した豊かさが、そこにはあったのではなかろうか?
近代はその豊かさを根こそぎ破壊し、やがて水俣は水俣病の荒波に押し流されていった。
それは時代の必然だったのかも知れない。失われた豊かさを振り返るのは、感傷なのかも知れない。だがそれでもなお、近代が破壊し尽くしたものに、かけがえのない大切なものを感じることを、私は否定する事が出来ずにいる。
調和した豊な椿の海。それは石牟礼道子という貴重な語り部によって記されなければ、とうの昔に失われ去っていた光景なのかも知れない。
その意味で、この『椿の海の記』は、貴重な、そして奇跡的な記録文学であるように、私には思える。
読み終えた時、私は不思議なそして深い感銘に包まれた。