20220628

暑さに負けている

6月が終わろうとしている。史上最短の梅雨も明けた。

この間、スティーヴン・ジェイ・グールド『ニワトリの歯上・下』、ハンス・ペーター・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』、大串尚代『立ちどまらない少女たち─〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』、岸本良彦訳・注『ディオスコリデス薬物誌』を読破した。


その度にブログに纏めねばと思うのだが、思うに任せず、放置したまま次の本に手を出してしまっている。


ただひたすら暑いのだ。

読破する度に思うところはあるのだが、暑さに思考が溶かされ、文章として纏める事が出来ずにいる。


実を言うと本を読むのにもままならない状態だ。


図書館の返却期限が近いので、それが気になり、何とか本のページを捲る。


だが急転直下来てしまった鬱も重なり、捗らない。読破した本が何冊かあるので、それで満足しようと思うに至っている。

猛暑は後3ヶ月は続くと予想されている。鬱もその程度、或いはそれ以上続くだろう。それに加えて大渦巻きのように押し寄せる自己嫌悪と希死念慮に抗って、青息吐息で何とか日々を送っている。

それが今の所の私の限界だ。

20220606

掲示板夏の扉へ

もう閉じてから15年経つが、『夏の扉へ』は前身がある。掲示板だったのだ。

ふと思い付いてWayback Machineで過去の掲示板を呼び出してみた。幾つか見付かった。


結構心血を注いてこの掲示板を運営していた。

知り合いを中心にかなりの顧客を擁していた。

USGSの画像やひまわりの画像をダウンロードしては、文章を組み立ていた。例に挙げたものは掲示板を閉じる寸前のもので、もう発言者の多くが私自身になっているが、まだお客さんは来ていた。

背景やヘッダの写真などを見ると、自分でも良いセンスしていたなと感じる。

夏の扉へ2006

夏の扉へ2007

こうして見ていて驚くのは、使用した他サイトの画像が、かなりの頻度でまだ使えるということだ。これは意外だった。

今ではひまわりも8号になり、画像も滑らかなアニメーションとなったが、この様に単独で使うには不向きになってしまった。

多くの点で掲示板というWeb文化は前世紀の遺物だと、少し心にちくりと感じるものを含めて思う。まだ生き残りはあるが、殆どの掲示板サーヴィスは閉鎖してしまった。

Webの創世記から、様々なサーヴィスが生まれては消えて来た。私たちはその度に一喜一憂して、それでも時流に乗り遅れまいともがいてきた。

この掲示板『夏の扉へ』を閉じるのとほぼ同時に、ブログ『夏の扉へ』を始めた。思えば結構長続きしている。

今回掲示板『夏の扉へ』を振り返る事が出来て思うのは、あの頃の私は今より真摯だったと言う事だ。言い方を変えれば肩に力が入っていた。

この頃になってようやく、文章に凝る事なくブログを書く事が出来るようになった。これは良い事なのか悪い事なのかは分からない。だが、自然とそうなってしまったので、時流に逆らう事なく続けている。その結果はそのうちにわかるだろう。

これから先、どんなWebサーヴィスが現れ、私はどれに手を染めるのだろうか?