20210521

Takeda Lullaby

 Spotifyで出逢った。YouTubeで探したらそのものズバリがあった。

言わずと知れた名曲『竹田の子守唄』。グレイストン・アイブズの編曲。歌っているのはザ・キングズ・シンガーズだ。一度聴いただけで、その編曲の素晴らしさに虜になった。


だがこの唄が海外の歌い手によって、しかも日本語で歌われていることに驚きを覚えた。

森達也の『放送禁止歌』(2003)によると、この曲は複数の被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「子守子唄」であり、子どもを寝かしつけるのではなく、部落出身で子守として奉公に出され、学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われているという。

元々は1964年12月東京芸術座が公演した労演主催の舞台作品である住井すゑ原作の『橋のない川』で尾上和彦が音楽を手掛けることになり、主題に即した曲を使おうとしたが、尾上は部落問題を肌で感じる事が出来なかったため、実感を得るために別の仕事で訪れた事のある被差別部落のひとつである京都伏見区竹田地方の当地の合唱団「はだしの子」メンバーの一人の母親から、「カラッと明るく」唄って教えてもらった民謡を、編曲して使ったものだ。

それが合唱団のレパートリーになったことで、当時のフォークソングの歌い手たちにも広まった。その一人が後の赤い鳥の後藤悦治郎であった。

当初は赤い鳥も唄の由来や意味をしっかり理解しておらず、その場所も大分県竹田市のことだと思っていた。

1971年4月から後藤と橋本は唄の発祥を探し始めた。歌詞に雪があるため大分県ではなく、「よう泣く」の「よう」は関西方言ではないかと考えた。

探し続けて2ヶ月が経った時、ある女性から歌詞の「在所」は京都では被差別部落を指すと教えられ、橋本は「大きな楔を打ち込まれたように言動が止まった」と感じた。

だが、この由来に動揺した放送局は慌てて自主規制を掛けた。それ以降、この唄は放送禁止歌として聴く機会が減少したという。

ザ・キングズ・シンガーズが唄っている曲は、このように複雑な由来と数奇な運命を辿った唄なのだ。それと知って唄っているのだろうか?

森達也『放送禁止歌』にはこの唄の元唄の歌詞が紹介されている。


元唄

この子よう泣く 守りをばいじる

守りも1日 痩せるやら

どしたいこりゃ きこえたか


ねんねしてくれ 背中の上で

守りも楽なし 子も楽な

どしたいこりゃ きこえたか


ねんねしてくれ おやすみなされ

親の御飯が すむまでは

どしたいこりゃ きこえたか


泣いてくれよな 背中の上で

守りがどんなと 思われる

どしたいこりゃ きこえたか


この子よう泣く 守りしょというたか

泣かぬ子でさえ 守りやいやや

どしたいこりゃ きこえたか


寺の坊さん 相性が悪い

守り子いなして 門しめる

どしたいこりゃ きこえたか


守りが憎いとて 破れ傘きせて

かわいがる子に 雨やかかる

どしたいこりゃ きこえたか


来いよ来いよと こま物売りに

来たら見もする 買いもする

どしたいこりゃ きこえたか


久世の大根めし 吉祥の菜めし

またも竹田の もんば飯

どしたいこりゃ きこえたか


足が冷たい 足袋買うておくれ

お父さん病気で 寝てござる

どしたいこりゃ きこえたか


盆が来たかて 正月が来たて

難儀な親もちゃ うれしない

どしたいこりゃ きこえたか


見ても見飽きぬ お月とお日と

立てた鏡と わが親と

どしたいこりゃ きこえたか


早もいにたい あの在所こえて

向こうに見えるは 親のうち

どしたいこりゃ きこえたか

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