20170330

『道徳の系譜学』

ようやく読み切った。

『ツァラトゥストラ』を読み終わった時から、この本は、いつか読まねばと思い続けてきた。どの解説書を読んでも、必ず読むように奨めてくる本だったからだ。

実は『善悪の彼岸』と共に、この本はかなり昔、購入したものだった。ずっと積ん読状態だったが、『ツァラトゥストラ』を読破した事を切っ掛けに、ニーチェに浸り切り、満を侍して手に取った。

ニーチェ著・中山元訳『道徳の系譜学』を取り敢えず、読み切った。

この本は、『ツァラトゥストラ』が売れなかった事から書かれた『善悪の彼岸』が、ニーチェが思ったようには受け容れられず、その事から、ニーチェが自分の思想を解説する必要性に迫られて、書かれたもののようだ。

得意のアフォリズムは封印され、ニーチェには珍しく、論文形式で書かれている。

それ故、恐れをなして逃げ続けていたのだが、読んでみると、むしろアフォリズム集より分かり易く、面白く読めた。ニーチェの論考はそれ自体が恐ろしくダイナミックなものであり、思考の安住をどこにも許さないものだった。

構成は


第1論文:「善と悪」と「良いと悪い」
第2論文:「罪」「疚しい良心」およびこれに関連したその他の問題
第3論文:禁欲の理想の意味するもの

と、なっている。
このうち第2論文は2度読んだが、他は1度しか読んでいない。

いくら分かり易かったとは言え、それは他の文章に比べての話であり、何と言っても天下のニーチェ。一度や二度読んだところで、読みこなせる訳がない。

何とか要約をまとめてみるつもりだが、当然それは分かったつもりの範囲内のことであり、読解の行き届かなかった所、誤読は当たり前のように存在する。その事は何度言っても言い足りないくらいに厳重に言っておきたい。


この本の目的は、善悪の判断が生まれてきた理由や善悪の判断そのものの価値を明らかにするために、道徳の意味を時代を遡って仮説的に(=系譜学的に)考察することにある。

ここで大切なのは、ニーチェは実証的に史実に基づいて道徳の起源を示そうとしているのではなく、あくまでもひとつの仮説を置こうとしているに過ぎないと言う事だ。何らかの起源を想定すること自体がニーチェの思想の基本姿勢に反する事だ。「ニーチェの主張する事実は、歴史上存在したことがない」と反論する事は、ニーチェの議論に正面から応える事にはならない。

第1論文から。

ニーチェの道徳論の重心は、ひとつには私たちが何が道徳的であるかをしばしばルサンチマン(怨恨)によって規定してしまうという点に置かれている。

ありがちなことだ。

そして冷水を浴びせかけられたような気分になる。

ルサンチマンが根本にあると言う事は、私たちの道徳が、実は全くの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェは「良い」という判断の起こりは「良い人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べ、自分の行為を「良い」と評価したことにあると言う。つまり「良い」の判断は自己肯定の表現から現れたのだと言うのだ。

「良い」の語源は、どの言語に於いても、身分的な意味での「貴族」や「高貴」が基本にあり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「良い」が発展してきた。と言う。

それと並行してもうひとつの発展があった。野暮とか低級といった概念が「悪い」schlechtの意味を持つようになってしまった。始めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味を持つ)を指していたに過ぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと変化させていった。

身分的な意味でしか使われていなかった「良い」と「悪い」が次第にその意味を変化させる際には「僧侶階級」が大きな役割を担った。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級に過ぎなかった。しかし次第に精神的な意味でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活である事を前提としている。

僧侶階級は敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らはこれを現実の行為によってではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼んだ。

一切の貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対し奴隷道徳は否定から生まれる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンは否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

かつての「良い」は自然な自己肯定の表現だった。しかし、ルサンチマンは「良い」のが悪く、「悪い」のが良いのだと言うように、価値基準をいつの間にか逆転させ、反動的に「善人」とイメージを思い描くようになる。

次に第2論文。

「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるに至るという。
「主権者的な個体」とは自分の意志を持ち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないような個人の事を指している。

「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志を持つ人間のことだ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大切な事は、彼は約束出来る人間であると言う事だ。彼は責任についての強い自覚を持ち、自分がしっかりと約束を守る事が出来る能力があることを知っている。こうした能力を所謂「良心」と呼ぶのだ。

一方約束する能力に由来するのではなく、後ろめたさや「罪悪感」「負い目」に支えられている良心もある。これがニーチェの言う「疚しい良心」だ。

この「疚しい良心」は「申し訳なさの良心」と言い換えるとより分かり易いと思う。
「お金持ちで申し訳ない」「五体満足で申し訳ない」…等々。

負い目Schuldの概念は、負債Schuldenに由来して生まれてきた。

その一方で、刑罰から報復が生まれてきた。

刑罰は負い目を呼び起こすものと見做されて来たが、実際にはむしろそれを発達させないように抑制もして来た。

刑罰の効果は次の所にある。つまり刑罰は自己批判をさせ、改善させる効果を持つ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで人を飼い馴らさせる。

第3論文。

ここでニーチェは禁欲的な理想が生まれてきた背景について論じている。

これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲的な理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でさえもあったと言う。

ここでニーチェは「禁欲的司牧者」がルサンチマンの方向を転換し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

ルサンチマンに侵されている人は「私が苦しいのは誰かのせいに違いない」と考える。ここで彼らを従える「禁欲的司牧者」は次のように告げる。

「その通りだ、それは誰かのせいに違いない。しかし、その誰かとは、まさしく君たち自身なのだ。苦しいのは君たち自身のせいなのだ!」

ルサンチマンはその方向を転換したのだ。

こうして彼は、罪悪感に支えられた疚しい良心を抱くようになる。

学問はどうなのだろうか?

学問は司牧者に敵対し、彼らの「間違った」信念を次々と破壊してきたではないか?

しかしニーチェの批判は学問そのものにも向かう。

彼らはまだまだ自由な精神とは言いがたい。というのは彼らはまだ真理というものを信じているからである

では、なぜ人びとは禁欲的な理想を受け容れ、禁欲的司牧者に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

それは、これまで唯一禁欲的な理想のみが人間に生の意味を与える事が出来たからだ。

彼が禁欲的な理想を抱くようになった理由。それは人間が本質的に生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けている事、これこそが問題なのだ。

禁欲的な理想は人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲する事が出来るようになったのだ。

そして禁欲的な理想は人間に一つの意味を提供したのである!これが人間の生のこれまでの唯一の意味だった。まるで意味がないことと比較すると、どんな意味でもあるだけまだましだったのだ。禁欲的な理想はどの点からみても、かつて存在したうちでもっとも優れた「何もないよりはましな代用品」だったのである。苦悩はここにおいて解釈されたのであり、これによって巨大な空隙が埋められたようにみえた。あらゆる自滅的なニヒリズムへの扉が閉ざされた。

しかし禁欲的な理想は、人間に苦悩の意味を与えるのと同時に、新たな苦悩ももたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、微に対する恐怖─そうしたものすべてが禁欲的な理想によって生み出されたのだ。

そしてわたしが[この論文の]最初に述べたことを、最後にもう一度繰り返すとすれば、人間は何も意欲しないよりは、むしろ虚無を意欲する事を望むものである…。

20170327

就労一周年

昨日26日で、イオンBIG、マックスバリュ長野三輪店で働き始めてから丁度1年となった。

もう少し、特別な感慨が押し寄せてくると思っていたのだが、そうでも無く、かなり淡々と仕事をこなし、一周年を過ごした。

これがマルクスが賞賛し、猿と人間を分ける重要な要素と考えた労働というものなのだろうか?そのような事を考えながら、過ごした1年だった。

1日の仕事を何とかやり過ごし、日々を淡々と重ねていっただけの1年だったとも言える。

今日の仕事は充実していた。と胸を張ることが出来る日は、未だ来ていない。どこかしらやり残し感を覚えながら、1日を終わらせる事の繰り返しになってしまった。

しかし、首にもならず何とか1年をやり過ごす事は出来た。

それは、直接自信には繋がらないが、それでももっと自己評価を高くしても良い根拠にはなると思う。

いやいややり続ける事が出来ない。
仕事をしたくないと自覚すると、本当にしなくなってしまう。そうした自分の性格は、自分が一番良く知っている。

だから、何とか仕事に面白味を見出そうと、努力もして来た。その結果として、今自分がやっている仕事は、それ程無意味なものではないという自覚は生まれている。

しかし、やはり面白味がないのだ。

放っておけば、自分の部屋すら掃除しない私が、掃除の仕事をしている。確かに不向きなのだと感じる。だが、私に与えられているのは、この仕事しかないのだ。

この1年。多くの人が辞めていった。その後を追いたい気持を持った自分がいる。だが、この仕事に就く前に、どれ程多くの仕事で不採用になって来たことか。

それを考えるとおいそれとは辞められない事も自覚出来る。

この歳になると、もはや仕事を選んではいられないのが現実なのだ。

今日も仕事だ。頑張って出掛けよう。何とか今日一日をやり過ごすのだ。こうやって、これからも一日一日を過ごしてゆくのだろう。


一周年の実感が今ひとつ湧かないのは、今年の寒さも影響していると思う。
昨年の今頃はもう少し「春」だったように記憶しているのだ。

今年は、寒い。

20170325

『未来を花束にして』

ようやく地元の映画館松竹相生座が上映を始めてくれた。
映画『未来を花束にして』を観た。

ここ長野市では今日から上映が始まったばかりだが、全国的にはもうかなり観た人も多いだろう。かなりのネタばれを含んだ書き方をする。

六文錢さんが書かれた優れた評論があるので、まだ観ていない方はここからそちらへ移り、映画をご覧になってからこの文章の続きをお読み下さると幸いです。


舞台は1912年のイギリス・ロンドン。たかだか100年前のことなのだ。
当時、民主主義の先進国イギリスでさえも女性には選挙権も親権も与えられていなかった。7歳から洗濯工場で働く一児の母モード・ワッツは同僚の夫サニー・ワッツと3人で暮らしていた。

ある日モードは怪我をした友人バイオレットの代わりとして、公聴会で意見を述べる。この頃の彼女はまだ、選挙権についてどう思うかと問われても、持っていないので意見はないと答えていた。だが、この陳述を切っ掛けとして「(選挙権があれば)別の生き方があるのではないか」と思うようになり、次第にWSPU(女性社会政治同盟)の運動に深入りしてゆく。

このWSPUがとる戦術は、過激派もびっくりの過激なもの。街頭のガラスを割る暴動めいた行動は当たり前で、ポストに爆弾を投げ入れて通信網などインフラを破壊する、大臣の別荘は爆破すると非合法活動のオンパレードなのだ。

だが、これまでの長い間、女性たちの声は見向きもされず、男性中心の世の中で無視され続けてきたのだ。彼女らは自分たちの主張に耳を傾けてもらうためだけに、過激な行動に訴えるようになったのであり、理は彼女らにあるように思う。だからこそ平凡な母親だったモードにも、WSPUの言葉は説得力を持ったのだろう。

しかし夫のサニーはこれを良く思わず、モードがデモを起こしたことで逮捕勾留されたことを切っ掛けにモードを家から追い出し、愛する息子との接見も禁止してしまう。

失意のモード。しかしWSPUのリーダー、パンクハーストの演説は彼女に勇気を与え、モードは刑務所で拷問に近い扱いを受けながらも、自分の意志を貫くために、活動を続ける。

そんなモードに最大の不幸が訪れる。
モードの行動を白眼視する世間の目と育児に疲れ果てた夫のサニーが、最愛のひとり息子ジョージをモードの許可なしで、養子に出してしまったのだ。

大臣の別荘の爆破も、新聞はベタ記事扱いで殆ど無視。彼女らの活動は注目もされず、WSPUの活動も行き詰まり感を覚えていた。

そこで最終手段として、イギリス国王が訪問するダービー会場に忍び込み、テレビに向かって全世界に女性参政権を訴える作戦を計画する。

WSPUの仲間エイミーとダービー会場を訪れたモードだったが、しかしなかなか警戒は厚く、国王に近付くことも出来ない。業を煮やしたエイミーは競走馬が駆け回るレースの最中に自ら突っ込んで、自分たちの主張を訴えようとする。しかしエイミーは無残にも馬に跳ねられ命を落としてしまう。

モードたちはエイミーの葬儀を執り行う。これには注目が集まり、数千人が訪れた。

ここで映像は、モノクロの当時のフィルムにチェンジする。今迄語られてきた事は絵空事ではなかったのだ。実際の葬儀のフィルムであり、映画が実話を元にしたものである事が明らかにされる。

女性選挙権はまさに命がけの闘いの果てに勝ち取られたものだったのだ。

彼女らの願いが叶いイギリスで女性選挙権(30歳以上を対象としたものだったが)が得られるのは1928年のことだった。

エンドロールには世界各国で女性の選挙権が与えられた年が列挙されていた。それを見て、その歴史が意外に浅いものである事に驚いた人も私だけではあるまい。


学生の頃、私は理科系だったが、ある時社会の諸制度がどの様な議論や歴史を経て、現在あるような形に至ったのか調べようとした事があった。
その時感じたのは、日本の諸制度はその殆どが戦後、進駐軍の指導の下に与えられたものであるということへの言いようのない空しさだった。

日本の諸制度は議論も闘いも経ていない。

これはある意味で救いようのない弱点だと思う。大切な諸制度を大切に出来ていない原因のひとつは確かにそこに求められるのだろう。

だが、全ての国々でイギリスの女性たちが蒙ったような犠牲は必要なのだろうか?

イギリスの女性たちは闘い、勝ち取った。それはとても価値のある事。私たちは先鞭を付けた彼女らの闘いに思いを馳せ、その闘いを我が事のように大切に扱わなければならないのではないだろうか?この運動で逮捕勾留された女性の数は千人を超えるという。

その「事実」を知る上で、とても良く出来た映画だと思う。

『未来を花束にして』。原題は"Suffragette"。女性参政権論者(Suffragist)の中でも過激な活動家を示す言葉だ。あまりにも落差の激しい邦題に異論がある。だが、目を瞑ろう。

20170316

『これがニーチェだ』

またしても理解しないうちに、書評を書き始めている。

ニーチェと言えばフーコーやドゥルーズに影響を与えた現代思想最大の震源地である。そのように言われる場合が多い。しかしこの本ではそうした価値をニーチェに与えていない。

ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない。

という立場で書かれた、個性的な、そして徹頭徹尾哲学的なニーチェ像だ。極端なことを言えばこの本で開陳されているのは、永井均という人が行った、ニーチェの勝手読みだ。だが、深く読み込まれたそれは、ニーチェを読解する上で、とても魅力的で説得力のある解説になっている。

ニーチェを理解するために第1から第3迄の3つの「空間」という比喩を導入している。

すべての対立はある空間の内部でのみ意味を持つ。しかし、空間どうしもまた─複数の空間を位置づけるより大きな空間の内部で─対立する。

この比喩の背景には筆者の、哲学は主張ではないという問題意識がある。哲学は問いであり、問いの空間の設定であり、その空間をめぐる探求であると言う。

筆者がこの本で行っているのは、ニーチェがキリスト教の僧侶や道徳に対して行ったのと同じ作業をニーチェに対して行うということなのだろうと思う。
ニーチェ的観点からのニーチェ批判である。

つまりニーチェの問いへの深い共感から永井均のニーチェを語っているのだ。その手さばきはニーチェのそれのように鋭く、容赦がない。

批判はニーチェへの信奉者にも向かう。ニーチェを必要とする人は、強さに焦がれる弱者だと断罪する。

しかしその批判はあくまでもニーチェへの共感から行われるものであり、同時に讃歌でもあるのだろう。
ニーチェの偉大さを証明するために、ニーチェ批判を行っているように、私には思える。

20170315

『善悪の彼岸』

未だに『ツァラトゥストラ』の余震が続いている。

丘沢訳『ツァラトゥストラ』で、『100分de名著:ツァラトゥストラ』で、ニーチェの『道徳の系譜学』を読むよう導かれる。だが、『道徳の系譜学』の巻頭には「最近刊行された『善悪の彼岸』を補足し、説明するための書物として」とあり、中山元訳『道徳の系譜学』の腰巻きには「本書は『善悪の彼岸』の結論を引き継ぎながら、キリスト教的道徳観と価値観の伝統を鋭い刃で腑分けしたものであり、新しい道徳と新しい価値の可能性を探るものとして、いまも大きな刺激を与え続けている。」とある。『善悪の彼岸』を読まざるを得ないではないか。

取り敢えず読破した。比較的長めのアフォリズムが集められている。その集められ方、配列の仕方には、どこかきちんとした体系がある事が感じられる。

だが分かったのか?と問われれば、甚だ心許ない。分かったとは即答しかねる。

『ツァラトゥストラ』に負けず劣らず理解しにくい本だった。中山元が言うようにある断章と別の断章は、いわばニーチェの思考の峰々なのだ。読者は、ニーチェの思考の糸をたどるためには、ニーチェが語ろうとして語らなかったことまでも、読み込んでみる必要があるのだろう。

峰と峰の間には谷がある。
ニーチェの谷はどこ迄も深く切り込まれている。

そこをこそ読み込みたいと願ったのだが、こちらの頼りない思考力がニーチェの思考について行けず、謎は謎のまま残った。

沢を一本踏破したと言ったところか?詰めることは出来たが、ニーチェというマップは未だに描かれる事を拒絶している。

ニーチェがなのか19世紀という時代がなのか、分からないが、強さを強さとして全面的に肯定出来る感性が、色濃く打ち出されていることを感じた。

ニーチェはまず、何よりも自らが強者である事を求めたのだろう。

そして魂の貴族趣味。

貴族道徳こそが本来の道徳であるにもかかわらず、奴隷道徳が現代で通用していることへの不満。
その原因としてルサンチマンを観ている。

思い切り乱暴に要約すればそう言うことになるのではないだろうか?


さて、次は何を読むか?だ。

このまま予定通りニーチェ著・中山元訳『道徳の系譜学』を読むか?それとも、ニーチェの考えが分からないまま読むのをここで一旦止め、ニーチェの解説書を読むか?(永井均『これがニーチェだ』と竹田青嗣『ニーチェ入門』を用意した)或いは思い切り路線を変更し、ラカンの解説書に走るか?迷っている。

20170308

『ニーチェ─ツァラトゥストラの謎』

まだ『ツァラトゥストラ』の周辺でうろうろしている。

今度は村井則夫『ニーチェ─ツァラトゥストラの謎』を読んだ。
この本を読み始めた理由は、甚だ不純な動機によるものだった。ニーチェの『ツァラトゥストラ』があまりよく分からなかったので、この本を読んで、それを要約して自分の感想としてブログに載せようと考えていたのだ。

高を括っていた。どうせ新書だから、それ程深い内容ではないだろうと考えたのだ。

甘かった。

この本は質量共に、新書のレベルを遙かに凌駕するものだった。

哲学書としての『ツァラトゥストラ』の解説をすると言うよりは、それ以前の神話的小説として読み解こうとしているように思える。

知識量の多さにまず驚かされた。

『ツァラトゥストラ』を読み解く上で、古代ギリシアの古典から、現代思想までが総動員される。
遠近法主義の解説では光学が語られる。奇妙な登場人物をアルチンボルトの肖像画で例える。ヒュー・ケストナーの『ストイックなコメディアン』を引用して『ユリシーズ』と比較してみせる。など、実に多芸なのだ。

奇書として『ツァラトゥストラ』を位置付け、その源流を古代ギリシアの風刺小説のジャンルであるメニッペアに求めるあたりは、まさに目から鱗が落ちた。

そうなのだ。ニーチェはまず有能な文献学者であったのだ。

この本は第1部として「ニーチェのスタイル」が語られ、『ツァラトゥストラ』読解のための道具立てが行われ、第2部「『ツァラトゥストラはこう語った』を読む」で、具体的な読解が試みられる構成になっている。

そのために時に過剰とも思われるような深読みが開陳されるが、大いに説得力を持つ仕掛けとなっている。

途中、ありがちな誤読の例が具体的に示されるが、まさにそのように私は読んでいた。思わず顔を赤くした。

『ツァラトゥストラはこう語った』という著作は、およそ出来合いの思想の解説や伝達を目指すものではなく、むしろ読者に対して幾重もの謎を仕掛け、読者がそこで躓き、思いあぐね、手探りで出口を探すような体験を求めている。

まえがきに示されたこの問題意識が、この本を貫く基本思想なのだろう。そして明らかに題名はここから採られている。

2種類の翻訳で読んだにせよ、私は未だ1回しか『ツァラトゥストラ』を読破していない。今度はこの本を地図として、再び挑戦してみようという気にさせられた。初読とは全く違った『ツァラトゥストラ』が立ち現れるに違いない。

この本の参考文献でも、『100分de名著:ツァラトゥストラ』でも、岩波文庫版の氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう語った』を勧めていた。今度はそれを読んでみるつもりだ。

実に刺激的な解説書だ。