大晦日も正月も、加えて2日も仕事だった。こうした経験は初めての事。しかも店が早く閉まる為、不断より早く出なければならなかった。
ならば正月という気がしなかったかというとそうでは無い。
むしろ今迄正月に休んでいた頃より遙かに年を改めるという実感が今年は伴っていた。
今迄は、正月は単なる休みの日であって、不断と違う特別な日という実感が全くなかった。
そうした人生を今迄生きてきた。
そしてそれで良しと、達観を気取る気分も確かに私の中にあった。
売らんかなの商業主義的な「特売日としての行事」に刃向かう自分が好きでもあった。
今年も仕事をしている時は、今まで以上に普通の日として正月を味わうのだろう、と思っていた。
しかし、仕事を終え、家に辿り着いて、紅白でも見ようかとTVを点けた辺りから、心の底に不断とは違う静けさが流れていることに気付いた。
それは子どもの頃の、どこか華やいだ新年を迎える気持とは全く別の、それとは対局に位置する、新しさを迎える為の心の真っ直ぐな姿勢だとすぐ分かった。
この心の動きは、生まれて初めての体験だった。
新年がやってくるのを楽しみに身構えているのだ。この私が!
やがて午前0:00はやってきた。
心の中で小さくカウントダウンをしていた。
思うに、今迄の私は社会との接点を殆ど失った状態で生きてきた。
それを取り戻したのが今年だったのではないだろうか?
避けに避けて来た商業施設で働き始めた。
仕事は丁寧さより早さが求められる、最も苦手とする環境である。
叱られてばかりいる。
しかしそれはもしかしたら関係という他者とのあり方の一様態なのではないだろうか?
正月は商業施設もそれを利用するが、何はともあれそれ以前に社会的な約束事の事だ。
私の中にそうした社会との接点が出来てきたので、ようやく正月を正月として実感する事ができてきたのではないだろうか?
だが、定番と言われる正月のTVを見る訳でもない。増して年末年始に行われる、これまた定番の行事を行う訳でもない。特別な事は何一つしていない。
けれど確実に2017年という年の始まりは私の心の中に、大きな区切りを刻みつけていった。
新しい生活の中で新しい年は始まった。
何をしているのかというと、CDやFM放送ばかり聴いている。
今はプーランクを聴いている。
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