髭が原語の題名になっている。なのでこの表紙のまま翻訳されるとは思っても見なかった。
ドイツ語版は読むのに3ヶ月くらい掛かった。かなり苦労した。その理由は、彼ヒトラーが使う古色蒼然としたドイツ語を始めとして、頻発する方言に手を焼いたのだ。
この表紙ならば翻訳されるまで待てば良かったと思う。
だが、やはりこれまた頻発する駄洒落が苦労して訳されているのを読んで共感の笑いを笑うことが出来た。苦労した甲斐はあったというものだ。
ドイツ語版の感想は1年以上前のエントリEr ist wieder daに書いてある。この文章を私は「慎重な訳が望まれる」と結んでいる。
軽快な、テンポの良い、リズム感に溢れた翻訳になっている。
ドイツ語で読んだ当時はかなり危険な本と感じた。愛されたヒトラーを描いているからだ。危うさはやはりある。だがこの軽快さならば許されるのではないかと感じた。
ドイツ語も実はこうした軽快なリズムなのかも知れない。時間が掛かったので重さを感じてしまったのだろうか。
或いは日本の状況が本気で危うくなってきているので、この本の危険性に麻痺してしまったのかも知れない。
冒頭に置かれた「本書について」という文章にはこう書かれている。
読者は同時にわずかな後ろ暗さを感じるはずだ。最初は彼を笑っていたはずなのに、ふと気が付けば、彼と一緒に笑っているからだ。ヒトラーとともに笑う─これは許される事なのか?いや、そんなことができるのか?どうか、自分でお読みになって試してほしい。この国は自由なのだ。今のところはまだ─。
作者ティムール・ヴェルメシュの意図はこれに尽きるだろう。
現代に復活したヒトラーは実に感じが良く、魅力的なのだ。そして交わされる会話の殆どが勘違いで成り立っていることにも現されるように、強運にも恵まれている。
彼は瞬く間に現代に順応し、成功してゆく。
そして最後に実に危険な台詞をスローガンとして吐くのだ。
「悪いことばかりじゃなかった」
ここに辿り着いて、私たちは私たちの笑いが凍り付くのを感じるだろう。
ハンナ・アーレントを読むために、そして読むうちに、ヒトラーと彼の行いに関する知識は自然に身に付いた。それがこの小説を読むとき実に役立った。
そしてかつてのヒトラーとその「一味」の所業を悪魔のようなナチスの所業として理解していては、決して正しい理解に辿り着かないことも学んだ。
『イェルサレムのアイヒマン』に示されたように、悪は陳腐で凡庸な形で立ち現れたのであり、この作品『帰ってきたヒトラー』が示すように、彼ヒトラーは魅力的で人に愛されうる質を(多分)持っていたのだ。
「訳者あとがき」でこの小説の原題Er ist wieder daが1966年にドイツで大流行した歌のタイトルからとられたものである事を知った。
これだ
翻訳された日本語版の本は1日で読めた。
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