Facebookで知った映画『家路』を観た。
願望だろう。
福島に帰り、そこで生きて行くという決意をする。それは現実には果たし得ない願望なのだろう。
だが、その願望は単純に語られたのではなく逃れ得ない現実が前提とされている。
そこにこの映画の深みはあるのだろう。
兄総一の罪を被り、もう二度と戻らない決心をして出た故郷に20年振りに次郎は帰ってきた。そこから物語は始まる。
その故郷は原発事故により居住禁止地域になっており誰もいない。
そこに中学の時の同級生北村が現れ、ふたりは建物だけが残り無人と化した思い出の地を巡る。
そこで次郎は明かす。
誰もいなくなったから、帰ってきた。
腹違いの兄という家族のなかで複雑な少年時代を過ごした彼にとって、故郷は生き易い地ではなかった。
それ故立ち入り禁止という現実なしでは、彼の帰郷はありえなかったことなのだ。
私もかつて、二度と戻らない決意をして故郷を離れ、現実に25年間戻らず、その後に帰郷した。なので主人公次郎の気持ちは良く理解出来ると思っている。
やがて彼の帰郷は兄総一の知るところとなり、次郎は母登美子と再会する。そこでふたりは、何事もなかったように稲の話を交わす。
次郎が母登美子を引き取り、居住禁止地域にある家で暮らし始め、登場人物はそれぞれの家路を辿り始め、家族は再生への道を歩み始めるのだが、この設定は余りにもファンタジックだ。
咎めに来た警官も温情をかけて何も言わず去る。
ありえない。
恐らくこの映画は福島の被災者に寄り添うことを第一目的に作られた映画なのだろう。
ファンタジーはファンタジックに描いて欲しかったが、ファンタジーを愉しむ余裕も必要なのかな?と少し感じた。
確実に福島を描いた映画ではある。
登美子を演じた田中裕子の演技が光る。
0 件のコメント:
コメントを投稿