先月の半ば頃の事だった。
私はWebを始めた時、最初に検索した語を覚えている。
『アタオコロイノナ』
だ。
多分北杜夫最大のベストセラーであろう『どくとるマンボウ航海記』の冒頭にその名は出て来る。
マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは土人の言葉で「何だかへんてこりんなもの」というくらいの意味である。私の友人にはこのアタオコロイノナの息吹きのかかったにちがいない男がかなりいる。
中学生の頃、私は確信した。私も大人になったら、北杜夫の様に、知っていたからと言って何かの役に立つ訳ではない。けれど知っていると無闇矢鱈と愉しいそんな所謂雑学を沢山仕入れる事が出来るに違いない。
どの様な神さまなのであろうか?あれこれ想像した。しかし、高校生辺りでふと、これは「やられた」な?!と感じたのだ。
そもそもアタオコロイノナなどという名前自体が怪しい。これは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。
いや、北杜夫自身がそうしたファンレターを沢山貰っていた事は知っていた。
『どくとるマンボウ昆虫記』ではそうした手紙に反論してかなり詳しくアタオコロイノナについて記している。
少し長いがまた引用してみよう。
『どくとるマンボウ航海記』というあまりまっとうでない書物は、マダガスカル島の変ちくりんな神アタオコロイノナの話からはじまっている。人々はこの名前からして信用できぬものを感じた。現に「おそらく暗号と思い、逆さまからよんだりいろいろと文字を組み合わせてみたりしましたが意味がわかりません」という手紙を著者は受け取っている。
しかし、これはマダガスカル島南西部に残る正当な伝説である。
むかしむかし、途方もない昔、天にましますヌドリアナナハリ(神の意)は、息子のアタオコロイノナ(何だか変てこりんなものの意)を地上に遣わし、そこに生きるものを創造することが可能かどうかを調べさせることにした。父の命をうけたアタオコロイノナが地上に降りてくると、どこもかしこも息もつけぬほどの酷熱である。おそらく彼はまだ熔岩が支配していた地上の冷えきらぬ地球にやってきたものらしい。彼はおったまげ、地中にもぐったならいくらかの涼気が得られるものと、慌ててズブズブと地面の底へもぐってしまった。そして、そのまま二度と地上に現れずじまいであった。つまり完全に行方不明になってしまったので、ここのところがアタオコロイノナたる所以である。
さて、北杜夫を信用する気になっただろうか?
最初に『昆虫記』を読んだ時、私は北杜夫が余りにもアタオコロイノナを信じてもらえない事を地団駄踏んで悔しがりつつ、この部分を書いたのだと思った。
どこ迄も青臭いほどに純真な少年だったのだ。だが、しかし、まてよ…!?私は更に考えた。
どこ迄作家という人種に騙されたら私は悟るのだろうか?彼らは頭が良く、想像力抜群でしかも人が悪く、 何よりも嘘をつくのが商売なのだ。
かなりの時間を図書館で過ごし、何の成果も上げられない高校生活を過ごし、私は段々と確信していった。
アタオコロイノナは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。
しかし、ファンというものは仕方のない存在であって、それでも尚私は心のどこかでアタオコロイノナを信じていて、それについて何かを知る日が来るに違いないと思い続けてきた。
そして時代はWebというものを持つ。
始めたのはかなり遅かった。金がなくてなかなかコンピュータを買えなかったのだ。だが、だから始めた時にはかなりWebの環境が整っていた。
Webならば何か引っ掛かってくるに違いない。何しろ世の中は博識に満ちた方々がひしめいているのだ。誰かが調べ何かを突き止めているに違いない。
そう思って私は最初にWebで「アタオコロイノナ」を検索した。
何も引っ掛かって来なかった。
駄目か…。
かなり意気消沈した事を覚えている。
やはり騙されたのか…。
そのうちにWikipedia日本語版に「アタオコロイノナ」の項が立ち
「北杜夫の著作以外の登場が無いこと、多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられる。」
と、書かれるに至っていた。
私はアタオコロイノナについて検索する事を段々と止めていった。…かと言うとそうでは無く、それでも諦めきれずに数年に一遍は検索を繰り返していた。
先月、先述の友人とメールで北杜夫の話をした。
それが切っ掛けとなって、また久し振りに検索してみようと思い立った。けれど「アタオコロイノナ」で検索してもまたWikipediaの項を見るだけだよなぁ…とも思う。
で、何の気なしに適当にスペルを付けてみて「Ataokoloinona」で検索してみたのだ。初めての事では無かったのだが。
すると!何と日本語のサイトを含め、ずらっと検索結果が並ぶでは無いか!!
日本語の検索結果は何あろう、あのWikipediaであったが。
何回も見た結果と、少し違っているように見えたのでそれを開いて見た。
すると!「北杜夫の創作」という言葉が消えているではないか!
更に「研究の進展」という項が立ち
元東邦大学薬学部非常勤講師の長谷川亮一[2]は、Googleブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみたところ、北杜夫が『どくとるマンボウ昆虫記』で紹介したものとほぼ同じ内容の話を南西マダガスカルにつたわる神話として記載した英語の文献を見つけることができたため、アタオコロイノナの伝承は北杜夫の創作ではないだろうと結論付けている[3]。
とあるではないか!
私は小躍りした。同じことをした人がいるのだ。
早速そのBlogを読んでみた。
該当Blog
アタオコロイノナは北杜夫の創作ではない
このリンクを貼れば、実は本日の話題はすべて語った事になる。
2011年6月15日の日付のあるその記事には必要な事柄がすべて書かれている。
「様々な神話集・伝承集などに一切記述が無い」というのは間違い。これは、 Google ブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみれば、すぐにわかることである(→検索結果)。
ブック検索という手があったか!
該当BlogにはFelix Guirand (ed.), Richard Aldington & Delano Ames (transl.), New Larousse Encyclopedia of Mythology, London: Hamlyn Publishing, 1968, pp. 473-474が引用されている。
私もそのままコピペする
A legend of south-west Madagascar deals with the origins of death and rain among the Malagasy, and at the same time explains the appearance of mankind on earth.
‘Once upon a time Ndriananahary (God) sent down to earth his son Ataokoloinona (Water-a-Strange-Thing) to Look into everything and advise on the possibility of creating living beings. At his father's order Ataokoloinona left the sky, and came down to the globe of the world. But, they say, it was so insufferably hot on earth that Ataokoloinona could not live there, and plunged into the depths of the ground to find a little coolness. He never appeared again.
‘Ndriananahary waited a long time for his son to return. Extremely uneasy at not seeing him return at the time agreed, he sent servants to look for Ataokoloinona. They were men, who came down to earth, and each of them went a different way to try to find the missing person. But all their searching was fruitless.
‘Ndriananahary's servants were wretched, for the earth was almost uninhabitable, it was so dry and hot, so arid and bare, and for lack of rain not one plant could grow on this barren soil.
‘Seeing the uselessness of their efforts, men from time to time sent one of their number to inform Ndriananahary of the failure of their search, and to ask for fresh instructions.
‘Numbers of them were thus despatched to the Creator, but unluckily not one returned to earth. They are the Dead. To this day messengers are stiu sent to Heaven since Ataokoloinona has not yet been found, and no reply from Ndriananahary has yet reached the earth, where the first men settled down and have multiplied. They don't know what to do – should they go on looking? Should they give up? Alas, not one of the messengers has returned to give up information on this point. And yet we still keep sending them, and the unsuccessful search continues.
‘For this reason it is said that the dead never return to earth. To reward mankind for their persistence in looking for his son, Ndriananahary sent rain to cool the earth and to allow his servants to cultivate the plants they need for food.
‘Such is the origin of fruitful rain.’
[大略――南西マダガスカルにつたわる神話によれば、神ンドリアナナハリ(ヌドリアナナハリ)は、その息子アタオコロイノナを、地上に生命を生み出すことが可能かどうかを調べさるために、地上に使わした。ところが、そのころの地上はものすごく熱かったので、アタオコロイノナは地下にもぐりこんでしまい、そのまま姿を消してしまった。ンドリアナナハリは、息子が帰ってこないので、それを捜すために使用人を地上につかわせた。すなわち、これが人間の起源である。しかしアタオコロイノナがどうしても見つからないので、人間はンドリアナナハリに使者を寄こして新たなる指示をあおごうとした。これがすなわち「死」の起源である。しかし、ンドリアナナハリのもとに派遣した使者は誰一人として戻ってこなかった。そのため人間はいまだにアタオコロイノナを捜し続けている。また、雨は、ンドリアナナハリが、人間がアタオコロイノナを捜しやすくするよう、地上を冷やし、食べ物をもたらすために降らせているものである。]
何と!『どくとるマンボウ昆虫記』にあるのと殆ど同じでは無いか。
矢鱈と長いエントリになったのは私が興奮したからに他ならない。長い間検索し続けた!
遂にこの日がやってきたのだ。
これに興奮しないで何に喜ぶというのだろうか?
改めて北杜夫のどうでも良い事に関する、果てしない博識に驚嘆するばかりだ。