久し振りに「読まねばならなかった」本を読み終えた実感がある。
既に読んだ方も多いだろう。話題の本だ。
極めてアカデミックな本である。それはこの本では、魅力のひとつになっても、決して欠点にはなっていないとわたしは思う。何故ならば、そこにはフクシマに対して、熟考する時間があったという幸運を示す事になるからだ。
開沼 博『フクシマ』論─原子力ムラはなぜ生まれたのか
この本の殆どは、3.11以前に書かれている。大学院の修論として提出されたものだと言う。それが3.11を体験した後も色褪せずに読むに耐えうる論文になっている事には驚かされる。
恐らく書かれていた頃は「福島」以外の何物でもなかっただろう。
だが、福島は3.11の震災を体験し、それに伴う原発事故を経てフクシマとなった。
カタカナ書きにする事に異論がある事は知っている。しかし、核惨事と言っても構わないような大事故の現場として世界に知れ渡った事実は歴史上から消す事は無理だろう。
3.11を経て、福島はフクシマになった。
フクシマは何故それ程危険な存在であった(と、今になって多くの人がそれに気付いた)原発を抱えながら生きてきたのだろうか?
それに対するイメージは、それぞれの人がそれぞれの体験に基づいてそれぞれに持っている事だろう。
だが、それは正当なものなのだろうか?
逆に正当な見方があるとしたら、それはいかなるものなのだろうか?
その設問に対して、この本は緻密な議論を積み重ねている。
フクシマは紆余曲折を辿りながら「原子力ムラ」となった。
では、何故そうなったのか?
開沼博はそこに「自動的かつ自発的な服従」があったとしている。
たぶんそうだろう。
原発は過疎のムラに無理矢理押しつけられたのではない。原発を受け容れたムラは、戦後の日本が大戦の「敗北を抱きしめ」た(ジョン・ダワー)のと同じように、自らも欲求して「原発を抱きしめ」たのだ。
ならば今回の原発事故を含め、フクシマが被った出来事は致し方のない事だったのだろうか?
そうではあるまい。
「自動的かつ自発的な服従」に至ったその歴史的経緯はどの様なものだったのか。そこにはどの様な力学が存在していたのか。それらを見逃していては、わたしたちはいつまで経ってもフクシマに辿り着けないだろう。
それは、過去の原発事故を容易く忘却してきたように、今回の破局的な原発事故にも辿り着く事なく忘却してゆくことに繋がるだろう。
「原子力ムラの住人やそれを取り巻くもの(=内部)とそれを観察するもの(=外部)の間に埋めがたい溝がある」
緻密な議論や、フィールドワーク、そして視座の模索は、その溝を越える為に必須の作業だったと言う事が理解出来る。
わたしはこの本を読んで、フクシマに「見たいものだけを見る」態度から自らを開放する事が出来た。感謝したい。
無論筆者自身が自覚しているように、この本にはフクシマを通して、それ以外の原子力ムラを論考出来るような抽象化には至っていない。
また、3.11をとおして多くの人が自覚したような問題から、どの様に飛翔したら良いのか?その方向は?などを示唆するには至っていない。
しかし、その不備を補って、この本が提出している議論と視座には、明確に意義があると感じる。
この本が主に扱っているのは、地方にあって原発を「抱擁」した(している)ような原子力ムラだ。
だが同時にそれと共鳴し、 (飯田哲也が言うような)中央にあって特に原子力業界の関係者の間で、閉鎖的かつ硬直的な原子力政策・行政を揶揄する言葉として使われる〈原子力ムラ〉についても言及している。
興味深いのは、〈原子力ムラ〉の中に反対運動をも含んでいる事だ。
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