12月に入って始めた事がもうひとつある。
半端な形で挫折するのが恥ずかしく言い出せなかった。
早く言い出せば良かったと、今では思っている。そうすれば、もっと早く止められたかも知れない。
煙草を止めた。
今迄も何度か試み、全て失敗して来た。
今回は思い余って、幾つもの禁煙サイトを覗き歩き、読み比べてみた。
どうやら今迄の「意志の力」に頼る力ずくの禁煙は失敗の確率が高いやり方だったらしい。
煙草を吸うのは何故か?
それを冷静に考えてみれば、答えはひとつしかない。離脱症状を緩和したいからだ。
つまり煙草を吸いたいという気持ちは、煙草だけが作り出し、煙草だけが持続させている幻想に近い虚構。と言うより幻想そのものの気持ちだ。
煙草はストレスの解消になどならない。煙草がストレスを作り出しているのだ。
意志の力や精神力で煙草を止めようとする事は、常に煙草を吸いたいという自分に向かい合っていなければならず、ともすると煙草への渇望感を心に刷り込む作業以外の何者でもないものになりかねない。
無論、そのやり方で禁煙した人も多いだろう。だが、それは意志の力があったからこそ禁煙出来たと言うより、意志の力でやったにもかかわらず禁煙出来たと表現した方が良いやり方だと思う。
何故、煙草を吸う必要があるのか?
そんな必要は、言わなくても分かる通り、実はない。
この先一生涯煙草を吸わない事で、わたしが失うものは何一つない。
書いてみると、余りに当たり前過ぎてがっかりする。そんな当たり前の事にようやく気が付いたのだ。
もう、煙草に束縛されたくない。わたしは自由になりたい。自由になろうとする事が楽しくない筈はない。
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