20061207

全体的に意欲減退の日

やりたい事の非常に近い場所に、思わぬ真空地帯がある。そんな気がする。
やりたい事とやらねばならない事。そのように分けてもあまりピンと来ない。やはりやりたい事なのだが、ちょっとだけ今の自分とずれがある。そうなると全く手の付けようが無くなって、PCをつけている時間も少なくなってゆく。

やりたい事、読みたい本、会いたい人。その微妙な齟齬に、わたしのこころは粉々に崩れて行く。

アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』『黒い天使』(共に青土社,古賀弘人・訳1996,堤康徳・訳1998)を立て続けに読む。描写を頭の中に再現する事が非常に困難だ。絵画を、小説で表現しようとしたらこうなるかも知れない。

「天使とはやっかいな存在である」『黒い天使』
「すべての天使はおそろしい─…. Ein jeder Engel ist schrecklichi.」『ドゥイノ悲歌』(リルケ.手塚富雄・訳,アトリエHB)

アフォリズムとして書き出すことによって、そこに描かれている天使の像を明確に想像出来なければ理解出来ないことばたちは、それとは切り離され、読み手の天使像に導かれて異なった意味を持ち始める。

わたし達の描き出す天使の像は、どこでこう間違えたのか、天使ではなくクピドの像が殆どだろう。それのどこが厄介で、おそろしいと言うのか?

だが、それでもやはり天使はやっかいで、おそろしい。そうわたしは思う。

様々な局面で顔を出す「ぬくぬくとした日本の現実」。それは恵まれているのだろうか?またアフォリズム。

「安寧な状態は人を孤立させる」スーザン・ソンタグ『良心の領界』(木幡和枝・訳,NTT出版,2004)

ここでは、孤立と共に、自明性の崩壊が常に進行中なのだ。安易に「ぬくぬく」を「恵まれた状態」と表現する事は、状況の性質を余りに見詰めず、見誤った見解だ。だから

天使はやっかいで、おそろしい。

20060930

泡は全世界ではない

息をする為に、深い水底からあがいて水面を目指している。それがわたしがここでしている事の総て。

自分の生が無駄である事は、嫌という程自覚させられて来た。
つまりは無駄な人生をいかに有意義に過すか?それしかない訳だけれど、息苦しさの余り自分で自分の誇りを時折かなぐり捨てる。

少し前の、地中深く埋め込まれてしまった様な感覚からは抜け出す事が出来た。これは大きな前進だったと思っている。だが、当然の様に、抜け出した所は深い水底だった。

獲得した前進とは手足をばたつかせてあがく事が出来るという事。

時は急速に止まりつつあるが、この無駄な人生はそろそろ終わりの時を迎えるだろう。それをどの様に演出するか?それを考えなければならない時に、ようやくあがく事が出来る様になった。

時を動かす者の不在。その事実が重くのしかかる。その存在から自由になれている。そう思いなおすこともあるのだが、誇りの所在を見出せない。

科学は狭い。その事を感じる。それでよいのだとも思う。もはや「科学的」である事を理由に、ある言動を高く評価することは出来ない。
音楽や文学は広く、その事だけにすら、時に、感動を覚えてしまう程だ。だがわたしは何かを棄てられる程自由ではない。

ここでやろうとしている事は何?それを書き付ける事は無駄話だが、良い機会だ。その事を考えよう。


漱石は水面に辿り着く寸前に息絶えた。残念だが、偉大な事だと思う。
泡を、全世界だと、思わないようにしないとね。>じぶん

失敗か?

薬を飲んでは眠る。その非生産性に焦ったのかも知れない。
先月医者と相談してフルボキサミンを増量して貰う。
結果。
自分がサイコロになってしまったようだ。どの様な自分になるか予想できず、自分を見詰める自分がただ困っている。時折制御不能状態に陥る。

状態や症状に名前を付けても仕方あるまい。自分が壊れてゆく。或いは分裂してゆく。その自覚ははっきりとある。自分を破壊しようとしているのは自分だ。それを恐れ、破壊的になり、更にそれを恐れ暴走する。

秋晴れに誘われるようにして、朝、散歩に出る。 爽やかな冷気と陽射しを浴び、今日はこれで行けるのではないか?と感じたが、やはり瞬間、瞬間に冷静さを失った自分が居る。最悪に近いいちにちとなる。

焦らない
慌てない
諦めない

それを呪文のように繰り返す。最も恐れているものが何であるか、それはかなりはっきり見えている。7月の再来。それを恐れているのだが、それ程頻繁に現われるものでもあるまい。

2日ほど前、記憶に無い本が届く。受注確認メールは保存する事にしている。確かめて見ると本当に注文している。結果としては有益な本だった。だが、自分の行為の記憶が無い不安に襲われ、バランスを欠いた。
睡眠導入剤を飲んでも効かないので、仕事や読書をする。これも暴走なのだと気が付いているが止められない。

まだ、自分に期待しているな?

実はその必要は無い。ただ、自分をそのまま信じてやれば良い。7月。自分が信用できなくなった。
あーぁ。まだ自分を過信しているなー。やれやれ…。それで良かったのだが、自分に裏切られたように思った。自分に対する信用を、自分が失った。わたしは詩文への信用をなくした自分の見方を、他人にもして貰い、それでバランスを取ろうとしているのかも知れない。

自分が自分を信用しなければ良い。かかりつけの医者に電話し、薬を減らす計画を作って貰う。

PCのWebへの接続が変だ。1か月程前から気になり続け、何とかブロード・バンドとして機能するように悪戦苦闘していたが、やめた。これも電話して専門家に任せようと決めた。

かなり時間が掛かるようだが、その時間を折角インターネット・ゲートウェイ経由でしか接続できていない状態で確認できる事を確認してしまおうと思っている。

余 りにも、コンピュータ関係の知識に欠ける。と、めぼしを付けていた専門書を購入しようと出かけた本屋さんで、今までなら手にも取らなかっただろう本を購入 する。『今さら聞けない パソコン常識』。読んでみると、笑ってしまう程知らない事だらけだ。本当に自分に期待していたらしい。

わたしはどうあがいても、この世に何ひとつ残しては行けないようだ。それは残念な事。無駄な人生だったなー。心からそう思う。トホホホ…
しょぼくれながら、下り坂をゆっくりと降りて行こう。ま、生きていればなにかある。…かも知れない。

落葉しない枝を持つケヤキを少し見て廻る。数日前見たときより、紅葉は遥かに進んでいる。遠目で見ると夏のケヤキ。その様にしか見えない。けれど着実に変化している。

台風は自転車より遅い速度で太平洋を横断し、アリューシャンに消えた。その後を追いかけるように台風が、今度はサイクリング程度の朗らかさで、オホーツクからの寒気と太平洋高気圧をかき混ぜている。

今なら、いちにちに5~6冊は本を読む事が出来る。実際にそうしてしまったこともある。単なる暴挙だ。

全ての速度を落とす事。ゆっくり、もっとゆっくり…
昨日を許せるように、明日を愛せるように……