衆院選が右派の圧勝で終わった。流石にめげた。
だが、なぜそのような社会現象が起きたのか、そのところが全くわからなかった。
それ以前から図書館で、佐原徹哉の『極右インターナショナリズムの時代ー世界右傾化の正体』を借りていた。
ここに、知りたいことのヒントが書かれているかも知れない。そう感じた。
実は衆院選の前に一度読破している。だがその時は、書かれている事の細部に拘ってしまい、肝心の右傾化の正体がなんであるのかは、読み落としてしまっていた。
再読の必然性を感じた。
今回は前回の轍を踏まぬよう、大局観を見失わないように気を付けながら読んだ。
筆者は東欧史の専門家らしい。日本については分からないと、冒頭で述べている。余り期待し過ぎないほうが良いだろうと、心して読んだ。
だが、この時代、なぜ「右傾化」が世界的に進行しているのかという問題意識を持って書かれた本を、私は他に知らない。何かヒントはある筈だ。
ムスリム移民と西欧の衝突などが表立って書かれている。だが、ここに拘ると大局を見失うだろう。そもそもそのムスリム移民は、なぜ目立ち始めたのか?
そこに力点を置いて読んでみると、朧げながら、右傾化という亡霊の正体が見えそうな気がした。
国民国家の屋台骨が軋みを生じ始めているのだ。
なぜか?
その背景の一つとして、新自由主義が挙げられていた。これは単なる経済用語の範疇を超えて、世界の政治形態、文化、生活をも大きく変えようとしている。
移民はなぜ増えているのか、が少し見えそうな気がした。
新自由主義が国境のピントをぼやけたものに変えてしまい、それについてゆけない者達を、異郷に追いやっているのではないか?
日本でも、移民の問題は、選挙で多く語られた問題のひとつだった。移民を受け入れる側も、新自由主義についてゆけなくて、流れ込む異民族を、異物のようにしか感じられずにいるのだ。その「実感」に、右派は付け込み、勢力を伸ばす。その構図は、今回の衆院選でも、頻繁に見られた遣り口だったのではないか?
ならば自ら率先して、新自由主義者として生きる姿勢が望まれているのか?
そうとも言えないと、私は感じる。
新自由主義の波に乗り、そこで成功を収めている人たちを見ると、どれもどこか歪んでいて、とてもじゃないが、好きになれそうにない人たちばかりだ。
新自由主義を超えて、それに替わりうる、政治・経済形体の模索が、今、最も必要とされている事なのではないか。
その事だけが、やけにはっきりと見えて来た。
一度目の読書では見落としていた記述もクローズ・アップされて見えて来た。
極右とリベラルの連合体は、移民排斥と労働者の権利の削減で利害を同じくし、それはグローバル資本主義の利害と一致している。グローバル化新自由主義規範の内在化によって、世界全体で階層分化が進んでいるため、経済が成長すれば誰もが豊かになれるというのは幻想に過ぎなくなり、人権と民主主義が経済発展の前提だとする中間層と富裕層を結びつけてきたリベラリズムの理念も説得力を失ったが、それに代わって、自由と権利を特定の集団だけに限定し、それ以外を切り捨てる極右の思想の方が、システムの存続に好都合なイデオロギーになったのだ。それが右傾化の正体である。
欧米では、リベラルが極右に擦り寄る現象が進んでいると言う。日本でも、代表選を終えたばかりの中道改革連合が、憲法9条の改正もあり得ると発言している。私はそこに相似形を見る。
世の中の右傾化を、ただ単に訳の分からないもの、不気味なものとして見ている限り、私たちの生活はどんどん破壊されてゆくだろう。
それに代わりうる未来像の模索もまた、すでに始まっている様に、そこはかとなく見えて来ているのが、この本を2回読破した私には、せめてもの希望だ。


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