参った。
明日10日に、図書館に本を返しに行く。それまでにと思いつつ、三木卓の書いた北原白秋の伝記を読んでいたのだ。だが、それは今日9日の朝7時には読み終えてしまった。
突然空いた空白の時間に私は狼狽えた。本棚を眺め回す。その時このスウィフトの『奴婢訓』が目に留まった。薄い。これなら1日で読めそうだ。
そうなのだ。私はこの本を、内容ではなく、未読の薄い本であるという理由だけで選んだのだ。
読み始めてすぐ、この本は素直な気分で読むことが不可能な本である事が理解出来た。
素直な気持ちで書かれた本ではない。
表向きは使用人に対して贈る、人生訓の振りをしている。だがそこに展開されるのは、一筋縄では括れない、手の込んだ、容赦ない皮肉、逆説、諧謔の嵐だった。
スウィフトは、最初よくあるタイプの人生訓を説く本を書く心算だったらしい。
けれど書き始めてすぐ、捻りに捻った形の方が、本来の目的を達成出来ると思い付いた様だ。
これでもか!と言う勢いで、奉公人が主人に対して、いかに狡賢く立ち回れるか、どうすれば責任を免れる事が出来るかが、記されている。
私が主人ならば、この様な本を読む奉公人は御免被りたいところだ。
流石『ガリヴァ旅行記』の作者スウィフト。その面目躍如のとんでもない奇書だ。
だがどうだろう。自分が奉公人であるとしたら、この本に書かれている姿勢で、勤め上げた方が、主人という権力に対して、敢然と立ち向かい、自己を貫く事が出来るとも言えるのではないだろうか?
スウィフトの狙いも、あながちそこにあったのではないかとも、今では思ている。

