むなしさには取り憑かれ易い方だ。最近も自分がどうしても存在価値のない人間に思えて、そこから抜け出そうと足掻いて、無理をしては墓穴を掘るというような行為ばかりを繰り返していた。
そんな折、この本と出逢った。渡りに船とばかりに飛び付いた。
著者きたやまおさむさんは、以前フォーク・クルセーダースのメンバーとして活躍していた。ご存知の方も多いと思う。
現在は芸能活動からは足を洗い、精神科医として活動している。著書も多い。
ミュージシャンから医者への転身については、『コブのない駱駝』に詳しく書かれている。
本書の中できたやまおさむさんは、「むなしさ」という心理を、精神分析の文脈から分析し、それがどんな状態のものであり、どんな発生のメカニズムを持っているかを、丁寧に説明している。
その上で、「むなしさ」は、どんな人にも、必ずと言って良い程訪れる心理状態であり、避け得ないものであると結論している。
「むなしさ」が避けられないものであるとしたら、どうすれば良いのか?
「むなしさ」をじっくり噛み締めて、味わってしまえ。著者はそう述べている。
それがこの本の主旨だ。
そうすれば、「むなしさ」は、単なる苦しみから、何事か新しいものを産み出す、契機となるかも知れない。
この提案に、私は目から鱗が落ちる思いを感じた。
私はむなしさから逃げる事ばかりを考えていた。そこから姿勢を転じ、まずむなしさと積極的に向き合ってみる事から始めよう。そう思えて来たのだ。
この本の中で著者は、現代という時代が、「喪失」を喪失した時代だと指摘している。成程現代では、不足しているものは何もなく、欲しい物は何でも、Webを使うなどすればすぐに届けられる時代だ。だが、だからこそ、現代人が一旦「むなしさ」に取り憑かれると、深刻な状態に陥ってしまうのではないだろうか?むなしさを埋め合わせる為に、与えられる物は既に何もないのだから。
読み終えて、著者きたやまおさむさんが、何故この本を書く気になったのか?そこが気になった。今、何故「むなしさ」なのか?
私には、その答えが、本書の中に散りばめられているような気がするのだ。
この本は、かつての盟友加藤和彦に宛てて書かれた本なのではないか?
私の周りでも、何人もの友が自ら死を選んだ。私はその度に、やり切れない思いに沈んだ。同時に、いつも自死したのが何故彼であって、私ではないのか?そうした疑問の渦に巻き込まれた。
きたやまおさむさんにとっても、加藤和彦さんの自死は、やり切れない体験だっただろう。避けられないものだったか?そうした思いに、常に付き纏われただろう事は、想像に難くない。それは、ともすれば、自分をも巻き込む、大きな渦巻きだ。そこから抜け出すにはどうしたら良いか?
本書はそうした思いから書かれたように、私には思える。
「むなしさ」に付き纏われている、全ての人に、この本を勧めたい。