必読の書と言えるだろう。
言わずと知れたジョン・ダワーの第二次世界大戦後の日本を描いた歴史書である。以前この本は持っていたのだが、引っ越しに伴い売却してしまって、今回改めて図書館で借り、紐解いてみた。増補版とあるが、文章に取り立てて変更はなく、画像類の差し替えがある程度のものらしい。
読んでみて強く感じたのは、私と言う人間が、まごう事ない戦後の子だという事実だ。思想・信条、そしてちょっとした趣味・嗜好に至る迄、戦後という文脈の下に照らし出して読み解かねば、十分な解釈は不可能だという事を思い知った。
私は時の政府が「もはや戦後ではない」と宣言した、丁度その年に生まれている。その様に宣言しなければならない程、日本はまだ戦後の真っ只中に居たという事なのだろう。それもその筈だ。その年は敗戦からまだ10年と経っていない。
従って、ジョン・ダワーのこの著作を、まさに私の事が書かれているという思いで、丹念にページを繰った。
よく調べられ、そして丁寧に練り込まれたジョン・ダワーの文章は、戦後の日米関係を中心に展開される。そして、添えられた画像もまた、戦後の日米関係を如実に照らし出す。
例えば有名な裕仁とマッカーサーが並んだ写真は、それが誰が勝者かを、端的に表す写真としてだけでなく、マッカーサーが裕仁と伴にある事を意味するものだと解釈される。
事実、マッカーサーが天皇を生かしたまま政治的に利用する方針を立てたのは、終戦後ごく早い時期だったらしい。
この方針によって日本は、戦争の最高責任者に責任を取らせないという、摩訶不思議なやり方で、戦後が始まったのだが、その影響は今も確実に響いている。
日本は第二次世界大戦後、アメリカに占領され、敗戦国として歩み始めた訳だが、それ故に、極めて幸福な占領時代を経験したと言って良いだろう。そしてその政策の下に幸福な民主主義社会の到来を夢見たのだ。
だが戦後世界は束の間の協力関係をすぐ終え、資本主義vs共産主義の対立関係が支配する情勢へと変化する。占領されていた日本は、その影響を少しは受けたが、直接巻き込まれる事なく、アメリカとの蜜月時代を過ごした。
まさに敗北を抱きしめて戦後をやり過ごしたのだ。
その中で幾つかの革命を抱きしめようとした者もあった。それは戦後の「上からの革命」の文脈の延長上に当然のように夢見られたものだったが、それを許すほど世界情勢は単純ではなかった。
現にその世界情勢に巻き込まれる形で、隣国ではいまだに南北に分断された形でしか、存在できていない。
現在世界情勢はまた、きな臭さを帯始め、その中で日本は敗戦を経験せずに凋落を迎えている。そうした時期に、この本を読めたのは幸福な出会いだった。
現在に至る迄というスパンで、時代を戦後という文脈の下に読み直す事が出来たからだ。確かな事は、戦後はいまだに続いていると言う事だ。