20230729

科学革命の構造

話題になっている本を、滅多にこのブログでは取り上げない。

その意味では、今回は例外になるだろう。

話題沸騰中のトマス・S・クーン『科学革命の構造』新版をようやく読み終えた。


まず驚いたのはその読み易さだ。


私は’76年に旧版を読んでいる。つまり47年振りの再読になった訳だ。



当時は、地質学でプレート・テクトニクスが完成されようとしていた。つまり私はクーンの言うパラダイムシフトとその終焉を身を以て体験しながら『科学革命の構造』を読んでいた事になる。


そうした「実例」に助けられながら、私は旧版『科学革命の構造』を何とか読み通した。だが、読解にかなり苦労しながらだった事を覚えている。


新版『科学革命の構造』には、そうした読解に苦しむ点が全くなかった。


旧版は中山茂さんの訳だったが、中山さんと言えばトマス・S・クーンの弟子であり、よもや訳に難点があろう筈がない。私はそう信じていた。


そのよもやが実はあったのだ。


新版『科学革命の構造』は、旧版にあった間違いが訂正されているだけではなく、全体的に訳が熟れており、読み易くなっている。


スラスラと読めるのだ。


だが、『科学革命の構造』が読み易くなっていたのは、訳が改良されている為だけではないだろう。


76年当時、私はパラダイムやアノマリーなどの用語を理解し、慣れるのにかなり苦労した記憶がある。


現在、そうした用語は、広く人口に膾炙し、日常会話でも使われる程になっている。


新版『科学革命の構造』が読み易かったのは、そうした時代によって議論が消化されて来たと言う歴史的側面も大きいと感じた。


だが、冒頭に掲げられ、新版の「売り」にもなっているイアン・ハッキングによる序説は話が別だ。


これには手を焼いた。


私は旧版とは言え、以前に『科学革命の構造』を一通り読んでいたので、話に着いて行く事が出来たが、『科学革命の構造』のエッセンスを凝縮し、煮詰めた様なこの序説を、新しい読者がいきなり読んで行くのは、無理がある。


イアン・ハッキングが述べている通り、この序説は、本文を読み終えてから読むのが筋というものだろう。


トマス・S・クーンが『科学革命の構造』を出版したのは’62年の事だった。それから61年の月日が流れた。


科学革命の研究も、飛躍的に発展し、それはもはやトマス・S・クーンの独壇場ではなくなっている。


だが、今回改めて新版『科学革命の構造』を読んでみて、パラダイムという言葉を産んだこの本が、まさに科学史に於けるパラダイムシフトだったと言う感慨が全身を包むのを感じた。


この本は長い時代の風雪に耐えて来た。だが、時代はまだこの本を必要としているのだろう。


確かに古典にはなっているが、この『科学革命の構造』が述べている内容には、まだ現代人が必要としている新鮮な刺激が含まれている。


世に、名著と呼ばれ得る書物は稀だが、この『科学革命の構造』は、まさに名著と呼ぶべき存在なのだと思う。


読み易くなったとは言え、私はこの本を読み終えるのに9日間を必要とした。


この本にはそれだけ価値のある、宝物の様な内容がある。

20230718

キーボードが効かなくなる

数日前から予兆はあった。

リターンキーを押しても改行されない。そんな出来事が稀にあったのだ。それでも、その時は、操作をやり直せば簡単に機能が復帰していた。なので、それ程不安に思わず、使い続けていた。

異変は昨日の朝から始まったと言って良い。リターンキーを何度押しても効かない。それどころか、英数・かなキーも効かなくなっていた。

Keyboardの掃除はあまりしない。なので、埃が溜まったのかと考えた。キーを取り外し、掃除機で掃除した。これで一件落着の筈だったのだが、現実はそう甘くなく、それ迄、何度かキーを押しているうちに機能していたリターンキーが全く無反応になり、矢印キーの上も効かなくなってしまった。

正直かなり焦った。これでは殆ど何も出来ない。

iMacを使う事を控え、iPhoneで出来る事をやっていた。

だが、それにも限界がある。

調べてみるとiMacのWireless Keyboardは13,000円程する。困った。今の私にはそれだけの金額を工面する余裕はない。

ダメ元で、使わなくなった機器を仕舞ってある棚を捜索した。もしかしたら以前のiMacに使っていたKeyboardが捨てられずに残されているかも知れない。

探してみると棚の奥の方に、それらしきものの縁が見える。

上に乗っていた物を取り出し、それを引き出してみた。

やった!

なんと言う幸運か。古いKeyboardは捨てられずに取ってあった。

棚から取り出した物を型付け、古いKeyboardを接続してみた。

使える!

USBポートを一つ占有する事になるが、古い有線Keyboardは無傷のまま存在していた。


写真上が今迄使っていた新しいWireless Keyboard。下がこれから使う事になる古いKeyboardだ。

使ってみると、古いKeyboardは、全てのキーが使える事が分かった。

危機は脱した!

新しいKeyboardになってから、もう10年近く経つ。すっかりそれに慣れてしまって、ブラインドタッチなど、古いKeyboardには、まだ若干不慣れな所がある。

リターンキーの位置など、Keyboardの縁を基準に、探っていたらしい事も分かってきた。

古いKeyboardにはテンキーも付いていて、新しいKeyboardにした時、かなり不便な思いもしたのだが、今ではもうすっかりテンキー無しに慣れてしまい、滅多な事がなければテンキーは使わない様になっていた。

だがかな入力をしている最中に数字を入力する場合など、テンキーを必要とする場面はいくらでもある。

これも要は慣れだろう。ブラインドタッチを含め、古いKeyboardに慣れるのも、そう長くは掛かるまい。

だが、iMac本体より先にKeyboardに逝かれてしまうとは、夢にも思わなかった。今はただ、古い物を捨てない自分の貧乏性に感謝するばかりだ。

20230701

ハンナ・アーレント、三つの逃亡

ハンナ・アーレントの伝記をアメコミで読める稀有な本。

内容はほぼ事実に則している。だが、著者の想像力が欲するのか、所々にフィクションが混じる。例えばアインシュタインやビリー・ワイルダーとの対話や、アーレントとブリュッヒャーがニューヨークへむかう船上でマルク・シャガールと遭遇する場面などがあるが、そうした史実はない。その意味では、本書は史実を基にした著者ケン・クリムスティーンの純然たるコミックとして読まれるべきものなのだろう。


また本書には、細かい字で各時代の哲学者、文化人、社会状況などが描写されている。これはハンナ・アーレントが生きた時代を知る上で、恰好の仕掛けと言えるだろう。

ハンナ・アーレントの人生が、ドラマチックであった事はよく知られている。本書はその波乱に満ちた人生を、「逃亡」をキーワードに整理し、分かり易く描き出している。彼女はその人生を、まさに綱渡りの様に渡り歩いたのだ。

第一の逃亡がベルリンからパリへの逃亡(亡命)。第二の逃亡がパリからニューヨークへの逃亡(亡命)であることは、本書にも明示されているが、第三の逃亡が何を指しているのかは、本書の中でははっきりとは明示されていない。だが、おそらくそれは「ハイデガーとの決別」および「哲学との決別」を指しているのではないかと解釈した。

だが、彼女は死の直前まで『精神の生活』という大著を、タイプライターに差し込んだままにしてあった。そのハンナ・アーレントが哲学と決別したとは、私にはどうしても納得出来ない描写だった。

本書は、ハンナ・アーレントという人物を知る、入門書としても読めるが、彼女を詳しく知る者にとっては、それ故に気付く事が出来る、「隠された仕掛け」に満ちている。ある程度ハンナ・アーレントの著作や伝記を読み込んでから、本書を読むという読み方にも、十分耐えられるコミックになっていると思う。

本書の中でハンナ・アーレントは常に、緑色の服を着て登場する。その為に、部分的にしか描写されていなくても、読者にはそれがアーレントであると、簡単に認識出来るのだが、この緑色は何を象徴しているのだろうか?

私にはそれが『過去と未来の間』の表紙を意識したものに思えるのだが、まだ理解が浅いだろうか。