話題になっている本を、滅多にこのブログでは取り上げない。
その意味では、今回は例外になるだろう。
話題沸騰中のトマス・S・クーン『科学革命の構造』新版をようやく読み終えた。
まず驚いたのはその読み易さだ。
私は’76年に旧版を読んでいる。つまり47年振りの再読になった訳だ。
当時は、地質学でプレート・テクトニクスが完成されようとしていた。つまり私はクーンの言うパラダイムシフトとその終焉を身を以て体験しながら『科学革命の構造』を読んでいた事になる。
そうした「実例」に助けられながら、私は旧版『科学革命の構造』を何とか読み通した。だが、読解にかなり苦労しながらだった事を覚えている。
新版『科学革命の構造』には、そうした読解に苦しむ点が全くなかった。
旧版は中山茂さんの訳だったが、中山さんと言えばトマス・S・クーンの弟子であり、よもや訳に難点があろう筈がない。私はそう信じていた。
そのよもやが実はあったのだ。
新版『科学革命の構造』は、旧版にあった間違いが訂正されているだけではなく、全体的に訳が熟れており、読み易くなっている。
スラスラと読めるのだ。
だが、『科学革命の構造』が読み易くなっていたのは、訳が改良されている為だけではないだろう。
76年当時、私はパラダイムやアノマリーなどの用語を理解し、慣れるのにかなり苦労した記憶がある。
現在、そうした用語は、広く人口に膾炙し、日常会話でも使われる程になっている。
新版『科学革命の構造』が読み易かったのは、そうした時代によって議論が消化されて来たと言う歴史的側面も大きいと感じた。
だが、冒頭に掲げられ、新版の「売り」にもなっているイアン・ハッキングによる序説は話が別だ。
これには手を焼いた。
私は旧版とは言え、以前に『科学革命の構造』を一通り読んでいたので、話に着いて行く事が出来たが、『科学革命の構造』のエッセンスを凝縮し、煮詰めた様なこの序説を、新しい読者がいきなり読んで行くのは、無理がある。
イアン・ハッキングが述べている通り、この序説は、本文を読み終えてから読むのが筋というものだろう。
トマス・S・クーンが『科学革命の構造』を出版したのは’62年の事だった。それから61年の月日が流れた。
科学革命の研究も、飛躍的に発展し、それはもはやトマス・S・クーンの独壇場ではなくなっている。
だが、今回改めて新版『科学革命の構造』を読んでみて、パラダイムという言葉を産んだこの本が、まさに科学史に於けるパラダイムシフトだったと言う感慨が全身を包むのを感じた。
この本は長い時代の風雪に耐えて来た。だが、時代はまだこの本を必要としているのだろう。
確かに古典にはなっているが、この『科学革命の構造』が述べている内容には、まだ現代人が必要としている新鮮な刺激が含まれている。
世に、名著と呼ばれ得る書物は稀だが、この『科学革命の構造』は、まさに名著と呼ぶべき存在なのだと思う。
読み易くなったとは言え、私はこの本を読み終えるのに9日間を必要とした。
この本にはそれだけ価値のある、宝物の様な内容がある。