LGBTという言葉が頻繁に使われるようになって、それ程歳月は経っていないだろう。最近はだんだん増えて、LGBTQ+と表記されるようになった。
差別はないがいいに決まっている。だが、正直言って、このLGBTQ+の問題は、頭を悩まされて来た。特にTつまりトランスジェンダーに関しては、なかなか態度を決めかねていた。
心が女だと言えば、ペニスがあっても女風呂に入れるのか?そう言った瑣末な問題に囚われていたのだ。
それだけに、この本ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題─議論は正義のために』の存在を知るや否や、私は迷う事なく図書館にリクエストした。この程手元に届き、今日3月21日にようやく読了する事が出来た。
期待を裏切らないだけではない。期待を遥かに超えた、良い本であった。
著者ショーン・フェイもトランスの人らしい。それだけに、トランスジェンダー問題に真正面から挑み、体系的・網羅的に論考を繰り広げている。その姿勢だけでも、好感が持てた。どの箇所を取っても、全く逃げている所がないのだ。
読み始めてしばらくして、健常主義(ableism)という言葉が目に止まった。「非障碍者優先主義」「健常者優先主義」「能力主義」とも訳されているようだ。
即ちIdeas for Good jpによると
エイブリズム(Ableism)とは、能力のある人が優れているという考えに基づいた、障害者に対する差別と社会的偏見を意味する。辞書には「障害(=他の人がすることが難しくなるような病気、怪我、状態)を持っていることを理由に不当な扱いを受けること(出典元:Cambridge Dictionary)」と記載されている。日本語では「非障害者優先主義」「健常者優先主義」、「能力主義」とも訳される。
エイブリズムの根底には、障害者は「治す」必要があるという前提があり、障害によって人を定義する考え方がある。エイブリズムは、人種差別や性差別と同様に、ある集団全体を「劣ったもの」として分類し、障害を持つ人々に対するステレオタイプや誤解、一般化などを含む。
これだ!と思った。私がありのままに生きようとする時、必ずと言って良いほど立ち現れ、劣等者の烙印を押して立ちはだかる敵。それが健常主義だ。この本のお蔭で、私は敵の名前をようやく知る事が出来たのだ。
私はトランスの人たちと同じ敵を有する、言わば仲間なのだと、その時理解出来た。
それからは、この本に対する親近感も増し、理解度も格段の差を持って、深く読み込む事が可能になった。
トランスの人たちを、自分の身近な存在として意識したのは、初めての事だった。
この本はトランスジェンダーの問題を、様々な局面から見つめ直している。
どんな存在なのか?どんな境遇に落とし込められているのか?どんな問題を抱えているのか?
それらが明らかになる度に、私の中からトランスの人たちに対する偏見が消えて行くのが分かった。それはトランスにまつわる(悪い意味での)神話が崩壊して行く過程だった。
巻末に、清水晶子さんの解説と訳者高井ゆと里さんの解題が付されている。これが実に有益だった。本書はイギリスのトランスジェンダーについて書かれている。だが、それはイギリス独自の問題だけを扱っているという意味ではなく、まさに日本のトランスジェンダー問題についても有効な論考である。その事が丁寧に説明されている。
この本が日本語によって丁寧に翻訳され、出版された事は、日本の読者にとって、実に幸運な事である。
そして忘れてはならない事は、この本はトランスの人たちだけに留まらず、トランス以外の人々に対して、届けられようとしている本であるという事だ。
この本は次のように始まる。
トランスジェンダーが解放されれば、私たちの社会全ての人の生がより良いものになるだろう。私は「解放」という言葉を使うが、それは「トランスの権利」や「トランスの平等」といった慎ましやかな目標では十分でないと考えているからである。
トランスの人たちと共に手を取り合い、共に闘ってゆく事は、トランス以外の人たちの解放に、必ず繋がって行く事だろう。