今年、1月16日に母が死んだ。98歳だった。大往生であろう。
それに伴い、使用していた電話などを解約した。作業は女房殿がてきぱきと行ってくれたが、私だったらあれ程効率的に行動出来たかどうか分からない。
使用していた電話は、私が小学1年の時に時の電電公社と契約して、導入したものだ。
与えられた電話番号は、4や9が並んだとても縁起が良いとは言い難い番号だった。就寝前、家族全員でどうしたものかと話し合った事を、昨日の事の様に覚えている。
3歳年上の姉が、気の利いた語呂合わせを考え出した。私は途端にその電話番号がとても気に入ってしまった。私の気分屋は、幼少の頃からの傾向らしい。
以来丁度60年に渡って、その電話番号を使い続けて来た。それ故に、名伏し難い思い入れがある。
高校を卒業する時、私は故郷を完全に捨てる覚悟で家を出た。もう2度と帰る事はない場所。それが故郷だった。
その時から15年に渡って、私は本当に家族と連絡を断ち、下宿生活を続けた。それでも正月になると、年に1回だけ両親の家に電話を掛けた。そう、件のその番号の電話だ。
それ故に、その電話番号は、いつでも、どこに行っても忘れる事のない、特別な番号になった。
何かと言うと、その電話番号を使用した。もう、住んでいる場所が異なるのだから良いだろうと。
18年前、今の女房殿と一緒に暮らす決断をして、私は故郷に帰って来た。青春の誓いはあっさりと破られた。母とは同居せず、独立した住まいを構えた。
帰って来てむしろ、私は母と連絡を取らなくなった。近くに住んでいるのだから良いだろうと思ったからだ。
「特別な」電話番号も、暫くは使わず仕舞いだった。
けれど、解約するとなると話は別だ。その電話番号に関わる、あらゆる思い出がどっと私を押し倒して行った。
女房殿はあっさりと電話を解約した。
何はともあれ60年は長い。その間、常に共にあった、件の電話番号が、遂にこの世から消え去るのだ。
女房殿が外出した隙に、私はそっとその電話番号に電話してみた。勿論誰も出ない。留守番電話機能は使ってないらしく、通信音はいつ迄も鳴り続けていた。多分これが、その電話番号に電話した、最後の電話になるだろう。そう思うと、意味もないのにその電話を、なかなか切れなくなってしまった。
通信音はいつ迄も鳴り続けていた。いつ迄も、いつ迄も。