何よりもまず、スティーヴン・ジェイ・グールド『進化理論の構造』を読み進めなければならない。これが今の所の至上命題だ。だが、現実にはこれに様々な邪魔が入る。
まず邪魔で仕方なかったのはSNSだ。特にFacebookとInstagramがいちいち邪魔をして来た。Facebookで同一の友人が100人もいたら即フォローでしょう。そんな投稿が目に入った。そういうものなのかと倣ってみる事にした。意外にも、これが矢鱈と多い。次から次へと友人申請を出さねば追いつかなくなった。あっと言う間にFacebookの友人が4.618人に膨らんだ。上限の5,000人に届こうとしている。これはやってられない。と慌てて友人申請を止めた。そうこうしている間にInstagramの投稿が溜まる。これも律儀に見に行く。これをやっていると、時間はズタズタに寸断され、まとまった読書の時間が取れなくなる。
自分で始めた事とは言え、SNSは時間泥棒だとつくづく実感した。
メールが届く。市立長野図書館からだ。予約の準備が出来たと言う。見てみると養老孟司『ヒトの壁』だ。困ったな…。ひとり呟いた。
養老さんからは学生時代、解剖学を教えて貰った事がある。まだ知る人ぞ知る存在で、それ程売れてなかった頃だ。考え方や目の付け所に切れ味があり、没頭した。『形を読む』は地質の地層を読む作業に通じるところが多く、何度も読み返した。
講座が終わり、養老さんと接する機会は激減した。だが、私は一方的に養老さんの本を読み続けていた。
そのうちに『バカの壁』が出た。途端に超売れっ子になった。養老さんの実力からすれば、売れても不思議ではない。だが、こんなものがなぜ売れるんだ(東大出版会代表時代の養老さん自身の言葉)と呟いた。それ以前の本に比べたら、書いてある内容が薄く、毒にも薬にもならない。だが、売れると言うことは恐ろしい事で、養老さんの著作は、以後『バカの壁』の路線で行く事になった。昔からのファンならば、誰でも思うのだろうが、残念で仕方がない。
どうしよう。少し迷った。一度は諦めて、予約を保留にもした。だが図書館のHPを見てみるとその後の予約が36人もいる。今を逃したら今度いつ読めるか分からない。それにもしかしたら以前の鋭さが戻っている可能性もある。予約保留を解除し、借りて読む事にした。この辺りが図書館で本を読む事の泣き所だ。
先程読み終えた。以前の養老孟司には戻っていなかった。それどころか、書く事に対する切羽詰まった思いとか、緊張感が全く欠けている。どうしたのだろうか?その想いはあとがきを読んで解消された。
普段なら、言いたいことがたまって、それを吐き出すように本にするのだが、今回は珍しく日常生活と同時進行みたいな内容になった。たまったものがないから、そうなったのである。
なるほどそういう事か。妙に納得した。
COVID-19騒ぎで殆ど蟄居している養老さんに、編集者が書かせたのだろう。
文体はいつも通りだ。これは安心材料。だが、書かれている内容がいつも通りなのは残念な所だ、いつも同じ様な事を言っていると言う事だからだ。だが、だから売れている。そうした面も否定できない。
養老さんは良かったと総括しているようだが、大学を辞めた事は吉か凶か?養老さんの文章はいつもその時代に帰る。インプットの場が大学だったのだろう。それを辞めて、インプットの場がなくなった。そう思える。
今回はそれにCOVID-19に関する雑感が加わっている。それと愛猫まるの死。新たなインプットがそれだけだったのかも知れない。
だが、相変わらず良く本をお読みになっていらっしゃる。引用されている本について調べていたら、時間が食った。私は80歳になった時、これ程本を読んでいるだろうか?甚だしく心許ない。
この本に2日もかける必要があったのかどうか?そして、このように感想を纏める必要があったのかどうか?それは判じものである。
急いで『進化理論の構造』に戻らなければならない。明らかなのはその事と解剖学者養老孟司はもういないという事だけだ。
私の中で養老孟司は過去の人だ。
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