大きな出来事があった。その影響でただですら進まない読書がまるまる2週間空白となった。本を読み、音楽を聴くそんな日常が戻った後も、中断していた『進化理論の構造』に戻れるのか、かなり気を揉んだ。だが熱中して読んでいた本は、記憶にも深く刻み込まれていたようで、何とか中断していた箇所からの読書を続ける事が出来た。
そして先日1月29日、ようやくスティーヴン・ジェイ・グールド『進化理論の構造I』を読み切る事が出来た。
双極性障碍を病む私は、達成感を得にくい体質になっている。何かを成し遂げても、満足感がなく、苦痛だけが残る事が多い。だが、流石に今回は一山越えたという達成感が押し寄せるのを十分に感じる事が出来た。
日記によると、『進化理論の構造I』を読み始めたのは昨年の12月25日。1ヶ月以上の時間を費やしてしまった事になる。
2017年の年末から4ヶ月掛けて、ハンナ・アーレント『新版全体主義の起原』を読破した事がある。今回はそれに続く大著への挑戦になっている。
同時期に本書を読んでいた三中信宏さんによると、この本は読み手を選びまくっていると言う。私にこの本を読む資格があるかどうかは、甚だ心許ないが、進化論に関しては、それなりに熱心に学び、悩んで来たという自負はある。本に書いている事を拾い集め、精一杯の力で、何とか付いて行く事は出来るだろう。
とは言え、何と言っても今はただ第I巻を読み切ったと言うことに過ぎない。Iは808ページあり、IIは1,120ページある。
まだ山で言えば五合目にも達していない段階なのだろう。
だが、気分は盛り上がっている。Iを読み終えた余韻も醒めぬうちだが、休息を挟む事なくIIを読み始めている。
IIはまた幾つもの急所・難所に満ち溢れているだろう。
ここに来て、COVID-19の変種オミクロン株が凄まじい勢いで拡がり、その煽りを受けて図書館が休館に追い込まれている。だが、訊いてみると貸し出し・返却はどうにかこうにか出来るようだ。連続して継続で借り出せるように、この本の所蔵先として県立長野図書館を選んでいる。もう一度延長手続きは済ませている。だが、後1、2回程度の延長では済むまい。暫くは借り出しも本書に絞って、本書に集中したいところだ。
前半を読んだところだが、もう既に私のダーウィニズムに対する誤解が幾つも、この本によって暴露されている。後半も幾つもの思い違いや勘違いに気付く事が出来るだろう。
進化論を本格的に学び始めてもう半世紀ほどが過ぎるが、まだまだ学ばなければならない事はごまんとある。厳しいと感じるが、同時にちょっと嬉しい気持ちもある。