20210723

通訳者たちの見た戦後史

 『戦後史の中の英語と私』文庫版改題。

最後に阿部公彦による解説が付けられている。これ以上の書評を書く事は、私には出来ない。本書を手に取って、本文も含めてお読み頂くしかない。


月面着陸の生中継で、同時通訳者として華々しく脚光を浴びた著者の、そして著者を含む同時通訳者たちのオーラル・ヒストリーになっている。彼等はどのように英語と出会ったのか、そして、同時通訳者という分野をどのように開拓して来たのかが語られている。それはまさに戦後日本の辿った現代史そのものと言って良い。

終戦の開国と共に、彼等は英語と激しく出会っている。

それにしても、鵜飼さんは人生の脚力のある方だ。彼女は自分の人生を振り返り、それが偶然の積み重ねだと謙遜する。

だが、その人生の偶然の節目節目に、彼女の大胆な決断力が光る。

上智大学外国語学部のイスパニア語学科に入学してからの、彼女の行動もそうだ。大学ではどうしてもイスパニア語の勉強が中心になる。そこで英語の方が錆び付いては困ると「英語を使ってアルバイトをすれば良いと考えた」。普通そう考えるだろうか?そこで「通訳案内業国家試験」を受験して合格し、資格を取ると、観光ガイドの仕事を始めた。ところが日光の東照宮に行くと、道に迷って帰りの電車に乗り遅れ、車に乗れば真っ先に酔ったという。

方向音痴で車酔いする私にはどうもガイドの仕事は向いてないというのが分かってきた。他に何かないかと大学の掲示板を見ていたら「国際会議アルバイト募集」の張り紙があったので応募した。

これを機会として彼女は本格的なプロとして通訳のステップを歩み始めることとなる。

若い大学生には知らない事だらけで、先行きもはっきりしなかっただろうが、取り敢えず飛び込み、厳しい試練に耐える胆力には、驚かされる。

恐らく、今の鵜飼にとっては、日本の英語教育がこれからどうなってゆくのかという問題が、一番の関心事だろう。今後の英語教育を支えるべきは、以下の3つの理念だと、彼女は考えている。

  • 日本というコンテクストで外国語としての英語を学ぶという視点から英語教育を考えたいということ。
  • 英語ネイティブ・スピーカーを理想のモデルとして模倣したり、規範として追従するのではなく、非母語者同志のコミュニケーションという視点を持つ事。
  • どのような生徒であれ学生であれ、或いは年配者であれ、英語を使えるようになることは誰にでも可能だという事。

この3つの理念を堂々と自信を持って掲げることができるのは、やはり著者が歩んで来た道ががあればこそだ。

その意味で、最終章の「思い込みからの脱却」は、大きな示唆に富む、優れた道案内になっていると思う。

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